X.「帚木・空蝉・夕顔」三巻の中篇化

  − 帚木[一]と夕顔[三三] −

「帚木・空蝉・夕顔」の三巻をひとまとめにするために、帚木の冒頭と夕顔の結末が存在していることは諸家の述べている如きであり、現在までの研究で異論はない。(表8)

 表8 帚木[一]と夕顔[三三]の関係
三条西公条細流抄(夕顔[三三])は、帚木の発端を結語
箕形如菴湖月抄の註(夕顔[三三])の註に帚木[一]との語句の対応関係
萩原引道源氏物語評釈序文と跋文の関係
玉上琢弥源氏物語評釈語句の近似、同一事項

執筆順序として考えなければならないのは、空蝉物語・夕顔物語が多重後期挿入で成立していったので、その時期がいつかということである。つまり、空蝉物語・夕顔物語が全て成立して、それのまとめとして全体を一つの中篇とする時期なのか、それとも空蝉物語や夕顔物語が成立途上でほぼ出来上がったため一端まとめたのか、なのである。
従来の成立論では、この三巻が源氏物語の起筆であるとか、後期挿入であるとかが問題になるだけであったが、この発想では不充分でもっと詳細に検討しなくてはならない。

 和辻哲郎氏の帚木[一]を、「光源氏、光源氏と、(好色の人として)評判のみはことごとしく、世人に非難される罪が多い。のみならずこのような好色事を世間の噂にされたくないときわめて隠密に行った情事をさえ人は語り伝えている。世間はまことに口が悪い。しかしそれは名のみである、濡れ衣である。というのは、源氏は世人の非難を恐れて恋をまじめに考えたために、仇めいた遊蕩的なことはなく、交野の少将ののような好色の達人には笑われたろうと思われる人だからである。」と解釈し、この発端を「読者がすでに光源氏を知れることを前提として書かれたもの」であり、「一つは紫式部がすでに光源氏について多くのことを書き、その後に帚木の巻を書く場合」で、「作者は自分の書いた光源氏が多くの読者によって誤解され非難されたのに対して抗議を提出したのである。」とする。

 著者も和辻氏の解釈を取りたい。紫上系源氏や空蝉・夕顔物語の後では、紫式部は源氏物語を充分に書いたことになるし、好色物語とすれば、紫上系のみでなく中の品の空蝉・軒端荻、下の品の夕顔などと交わり光源氏は読者に好色人と思われても当然であろう。帚木[一]夕顔[三三]は空蝉物語・夕顔物語が全て書かれた後で、帚木・空蝉・夕顔の三巻をまとめて中篇物語とするために、序文と跋文として付け加えたとされる。

 では帚木[一]の内容はどうしてこの様になったのであろうか。好色性を否定する様な、そして帚木[二]と矛盾する様な内容となったのであろうか。従来の執筆順序ではこの点は説明し難い。いきおい、帚木[一]が源氏物語の書き出しとする説が出たり、和辻氏の如く矛盾に満ちた源氏物語となるのである。後期挿入から説明すれば、紫上系源氏は、まだ真面目な光源氏である。それにもかかわらず、帚木・空蝉・夕顔の三巻を桐壺の巻と若紫の巻との間に入れると、真面目(桐壺)→好色(三巻)→真面目(若紫)となってしまう。帚木三帖を桐壺と若紫の巻に全体として挿入するために、好色性を何とか打ち消す必要が出てきた。そこで帚木[一]の如き好色といっても「交野の少々には、笑はれ給ひけんかし」という程度であると、一端好色と認め、そしてあまりたいした好色ではないとする、すっきりとしない文章をもって紫式部は処理したのである。


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