3 湯桁はいくつーー伊予の介の登場(表7)

 「伊予」の介なる語が使われるのは、表7のごとくである。
このうち、伊予の介が紀伊守の親でないのは、帚木[一七][一九前]関屋[一]である。帚木[一九]で、「姉君やまうとの後の親」(二一六ページ一一行)で、空蝉は紀伊守の継母であることが明らかであり、関屋[一]のあと[二]で、紀伊守が伊予の介の子であることとなるから、空蝉が「伊予の介の」妻となった方が先で、関屋[一]が、空蝉が既婚から、伊予の介の妻へと移行する変化点である。

表7 「伊予」の使われ方と執筆時期      
執筆時期
伊予の語句 巻名  節 地・会話文 V・2 結 論
伊予の守の朝臣
伊予の介の子
伊予の介
伊予の方
伊予の翁
伊予の湯桁
伊予の介
伊予の介
湯桁はいくつ
伊予の家の小君
伊予の介
伊予の介
(かの昔の小君)
帚木〔一七後〕
帚木〔一九前〕
帚木〔一九後〕
帚木〔二二〕
帚木〔二四中〕
空蝉〔二〕
空蝉〔六前〕
夕顔〔六〕
夕顔〔六〕
夕顔〔二八〕
夕顔〔三二〕
関屋〔一〕
関谷〔二〕
会(紀伊守→源氏)

会(源氏→紀伊守)
地(空蝉の心中)
会(源氏→小君)

会(源氏→小君)

地(源氏)



 
前期
中期
中期
中期
 
中期
後期
後期
前期
 
前期
中期
前期1
前期3
中期
中期
中期
初期
中期
後期
後期
前期2
前期1
前期2
中期

「伊予」がはじめて使われるのは[一七]の後半である。この部分の筋の展開は、方違へとして紀伊守の邸が選ばれ、その仰せ言をたまわった紀伊守は、しりぞきざまに、
「伊予の守の朝臣の家につつしむ事侍りて」と歎いたが聞き入れられない。そして「女遠き旅寝は、もの恐ろしき心地すべきを・・・」との魂胆を紀伊守に知らせるために人を走らせる。そして源氏の到着にあたって紀伊守は、「にはかに」と「わぶ」のである。
 しかし、帚木[一七]をこのまま通読すると、紀伊守が「『にはかに』と、わぶれど」の「わぶ」の真意がすっきりしない。つまり、「にはかに」という言葉が発せられるとしたら、紀伊守邸を源氏が突然訪れる場合か、「紀伊守に仰せ言賜」はる時である。帚木[二五]では、同じ方違へで、源氏は「道の程より」何の仰せ言もなく、「にはかに罷でたまふまねして・・」紀伊守邸を訪れているから、仰せ言もなく、突然訪れることはありうる。しかし[一七]では、源氏からまず仰せ言があり、
しかも「よろしき御座所にも」と、再度知らせがあったのであるから、源氏が到着した際、「にはかに」などとは言わないであろう。また、「わぶ」の意味においても帚木[二五]では、紀伊守は「にはかに」訪れた源氏に対し、
「おどろきて、遣水の面目とかしこまりよろこぶ。」のであるから、[一七後]で、愚痴をこぼすような意味での「わぶ」は不自然である。又、この時、「承りながら、退きて、・・・・下に歎く」と、一度は歎いているのであるから、二度歎くことになる「わぶ」はおかしい。
 紀伊守は、「かしこまりよろこぶ」ほど源氏に「親しく仕うまつる」(帚木[一七前])身分なのであるから、帚木[一七後]の「『にはかに』と、わぶ」るのは、仰せ言を賜わった事に対してよりも、突然初めて紀伊守邸を訪れられた源氏に対して丁寧なおもてなしができないという意味の「わぶ」と考えた方が自然である。又、帚木[一七後]と帚木[二五]とはよく呼応している。とすると、二つの点、すなわち、紀伊守の身分からして、仰せ言賜わってまで訪れられた源氏に対し「わぶ」のが不自然であること、紀伊守が二度も歎くことになってしまうことから、二一四ページ一行目から二一四ページ八行目まで、つまり、「紀伊守に仰言賜へば、承りながら、退きて・・・」から「・・・御供にも睦じき限しておはしましぬ。」まで、が不自然な部分となり後期挿入されたと考えられる。それでは、何故ここにこの部分を挿入したのであろうか、それは「伊予の守の朝臣」を登場させたかった為であり、「女遠き旅寝は、もの恐ろしき心地すべきを、」を付加したかった為である。
 さらに、同じく帚木[一八]の「何よけむとも、え承らず」なる紀伊守の返事も源氏の魂胆(「女遠き旅寝・・」・・云々)が伝えられているとすると、源氏に対して失礼となってしまう。ここは、方違へということで突然として源氏が訪れ、そのとまどいの言葉と解すべきであろう。[一七]の後半があるといかにも辻褄が合わず、ないほうが自然な解釈となる。
 [一九]の前半、後半、[二二]、[二四中]も挿入であることはすでに論じた。とすると、伊予の介が登場する節は、原初の空蝉の物語に対して挿入部分であることが示される。故に、伊予なる言葉は、空蝉[二]ではじめて使用されたとせざるを得ない。では、伊予の介が登場するのはどのような契機からであろうか、それは、伊予なる言葉は、人物としての守や介のほかには「伊予の湯桁」として使われており、さらにそれは「湯桁はいくつ」と呼応している点に着目すべきである。
 西の御方が、空蝉[二]で、「『十、二十、三十、四十』などかぞふるさま、伊予の湯桁もたどたどしかるまじう見ゆ」とあるが、従来の解釈では、伊予の道後温泉の湯槽の数が多いので有名であり、伊予の介のこともあるので、この「伊予の湯桁」という表現を使ったとされる。 しかし、前述の如く帚木[一七後]、[一九前]などがなく、執筆の順序からすると、まずはじめに「伊予」の名詞が出て来るのが、空蝉[二]の「伊予の湯桁」である。とすれば、伊予の湯桁には、伊予の介のことは加味されていなかったとされる。では、「伊予の湯桁」は伊予の介の登場が前になくて使われると不自然かというと、湯槽の多いのは有名であるから伊予の介の存在を前提にしなくても、数える比喩として「湯桁」を使ったとしてもなんら不自然ではない。 夕顔[六]の「湯桁はいくつ」はすでに空蝉は伊予の介の妻であり、軒端の荻は継娘であるから、この部分は、後期挿入である。
 こうして、空蝉[二]、帚木[一七後]、帚木[一九前]、関屋[一]と執筆順序が見定まると、伊予の介が登場してくるいきさつが明らかとなってくる。伊予の介の湯桁の「伊予」には、場所的な意味しかなかったものが(初期空蝉期)、ここを書き終えて、新たな構想(前期空蝉期)としての「伊予」の介が登場するようになる。いかにも、西の御方が伊予の湯桁の如く碁の目数を数えたことが、伊予の介の任地であるが故に出て来たと解釈させるのである。そして、その伊予の介は、先ず初めは、軒端の荻の親であって、決して、空蝉の夫としては未だ登場してこない。すなわち、帚木[一七後][一九前]、関屋[一]は、空蝉が、伊予の介の後妻(中期空蝉期)となる以前に執筆されたとされる。
 その後は現在の親族関係(後期)となる、夕顔[六]で、伊予の介が上京したとき、「国の物語など申すに、湯桁はいくつと問はまほしく思せど」という文章で、湯桁よりも、人物との結びつきの強い「伊予」としたのである。伊予の介の登場は、残るは夕顔[二八][三二]であるが、ここでは、しいて空蝉の夫としなくてもよく、紀伊守との関係でも親子関係は示されていない。さらに、帚木[一七後][一九前]があれば、伊予の家の小君もスムーズに導かれるので、これ等の節は前期空蝉期となる。
 伊予の家の小君(夕顔[二八])も、伊予の家に居る小君という意味にとれるし、伊予の継子と明確にするのなら、「家」ではなく「介」つまり「伊予の介の子の小君」と表現されるであろう。夕顔[二九]は、契りを結んだ空蝉と軒端の荻への消息であり、[二八]と対をなしているので、同時期のものとも考えられるがもう一度空蝉と軒端の荻という愛称の点で考えてみる。
 和歌中の空蝉は、空蝉[六]夕顔[二八]に詠まれ、軒端の荻は夕顔[二九]に詠まれている。そして末摘花では、かたや空蝉かたや荻の葉なる愛称が地の文で使われているので、[二八][二九]が同時期の中期挿入とすると、和歌で出ているので末摘花執筆時には両方とも「空蝉」「軒端の荻」となっていると考えられる。しかし末摘花[一]では空蝉は「空蝉」だが軒端の荻は「荻の葉」である。つまり和歌で使われていても現行の愛称にまだ成熟していないのである。
 とすれば、[二九]は[二八]と同じ中期と考えるよりも、もっとあとと考えても良いが今回での結論は一応同時期としておく。
 さて、夕顔[三二]であるが、伊予の介が人物として登場するのであるが、紀伊守との関係は明示されていない。ところが、源氏は、「女房の下らむにとて、たむけ心殊にせさせ給ふ」のである。もし、空蝉が伊予の介の妻であるとすると、源氏が、空蝉にまで、「内々にも、わざとし給ひて、」ことが出来るのであろうか。又、小袿の御返しとしての空蝉の返歌は人妻としていかなるものであろうか。

 蝉の羽もたちかへてける夏ごろもかへすを見てもねは泣かれけり

縁が切れてしまうにつけても、泣かずには居られませぬとは人妻の心境であろうか、ここも少なくとも空蝉は人妻ではなく、伊予の家にいる女性とみた方がよい。
 以上の如く、伊予の介の伊予に着目して種々検討すると、伊予の介と紀伊守の親子関係が構想される前の執筆順序は、

 空蝉[二]→
 帚木[一七後]→帚木[一九前]→夕顔[二八]→
 夕顔[三二]→関屋[一]となる。(表・3)

 なお、夕顔[二九]は夕顔[二八]と対をなしており、同時期のものと解釈する。
 それ故、ここまでの執筆順序は、

後期挿入 空蝉[三中]・夕顔[六]・末摘花[一]・末摘花[一五]・
     関屋[三]・関屋[四]→玉鬘[四一]・初音[一二]

中期挿入 帚木[十九後]・帚木[二二]・帚木[二四中]・空蝉[六]→
     関屋[二]

前期挿入 帚木[一七後]・帚木[一九前]・夕顔[二八]・夕顔[二九]
     夕顔[三二]・関屋[一]

初期   帚木[一八]・帚木[二五]・空蝉[二]を含む。

4 聞きおき給へる女−−初期空蝉物語

 後期、中期、前期挿入部分を除くと、空蝉物語は、帚木[一六][一七前][一八][二0][二一][二三][二四前][二四後][二五]空蝉[一][二][三前][三後][四][五]となる。帚木[一六][一七前][一八]と書かれたのであるから、空蝉の原型は、[一八]の「聞きおき給へる女」となる。挿入部分を除いたこれ等の巻・節で、空蝉が、この未婚の女として矛盾なく筋が展開されてゆけば、初期空蝉物語と確定できる。
 源氏は、ひさびさに晴れなので暑苦しいため紀伊守のもとに滞在しているこの娘を目的として、方違へを理由に訪れる(帚木[一六][一七前])。西おもてに、人のけはひがして、耳をすませたが、近き母屋に、女達がつどい居ただけであった(帚木[一八])。源氏は、寝られずにいると、この北の障子のあなたに人のけはひがする。源氏は、「こなたや、かくいふ人の隠れたる方ならむ、あはれや」と驚喜する(帚木[二0])。
 次に「ありつる子の声にて・・・」と続いているがこれは、必ずしも前に登場した子であるとの意味ではない。つまり、帚木[一九]の「伊予の介の子もあり、・・・十二、三ばかりなるもあり・・・」「衛門の督の末の子」を直接うけなくともよい。
帚木[一八]の「この西表にぞ人のけはひする。・・・若き聲どもにくからず。」の衣の音をたてていた若い女性達にまじった子供の声、と同じという意味での「ありつる子の聲」で充分である。「ありつる」とは、前にちょっと見たという程度の意で無限定である。その子の声と似た女の声なので、「寝たりける聲のしどけなき、いとよく似通ひたれば、いもうとと」思うのである。「いもうと」もありつる子に誘導されて、「晝ならましかば、のぞきて見奉りてまし」と答える。これも人妻とするよりも、未婚女性ならではの言葉であろう。昼間なら見ていたでしょうに、今は夜だからねぶたげに床にふすし、「人氣遠き心地して、もの恐ろし」も娘的である。
 帚木[二0]〜[二一]は、男性を拒否する論理から、はじめに見たとおり未婚である。「年ごろ思ひわたる心のうちも、聞え知らせむ」(帚木[二一])という源氏の言葉も帚木[一八]の「聞きおき給へる女」とよく呼応している。源氏の行動も。方違へを理由にして、聞きおき給へる女との契りへとかりたてられている。
 帚木[二一]の「いとかく憂き身の程の定まらぬ、ありしながらの身にて、・・」の解釈は重要である。ここも伊予の介の妻としての立場からの言葉とするよりも、空蝉の親が他界してしまって、品も下がってしまわない前の自分であったなら、と解釈する方が、「思へる様、げにいとことわりなり。疎ならず契り慰め給ふ事多かるべし。」という源氏の態度が生きてくる。伊予の介の妻なら不倫であり、何をいったいひとかたならず約束し慰めることが多いのであろうか。人妻に慰めることが多ければ多い程不倫の気持ちのほうが高まり罪におびえる態度となるはずである。
 驚きながらも身分の高い源氏に失礼があってはならぬと思い、必死に「いとかやうなる際は、際とこそ侍るなれ」(光源氏様のお気持ちをどうして浅いなどと思いましょうか。けれどもあまりにも身分が違います。どうぞこのような身分の者は低いものとお思いになってお見捨てください)と抵抗する空蝉に対して、源氏も「その際々を、まだ知らぬ初事ぞや。・・・・心惑を、自らもあやしきまでなむ」(自分でもわからぬほど惑うのだ)と言って語り慰めることが多いのであろう。この「際」は、身分の事であって、人妻のことではない。
 帚木[二三]で、空蝉を「中の品」とみている。伊予の介の妻なら、従六位上で、「下の品」であるからあわないが、中納言の子とすれば中の品で文意と合う。
 さて帚木[二三]で、源氏が紀伊守をめして、「かのありし中納言の子は得させてむや」と小君と姉の身分を明かすのであるが、空蝉が、中納言の子であれば、帚木[二一]の「いとかく憂き身の程の定まらぬ、ありしながらの身にて、かかる御心ばへを身ましかば、あるまじき我頼にて、身直し給ふのちせをも思ひ給へ慰めましを・・」の言葉が生きるのである。源氏はこの時中将であったのだから、中納言さえ生きていてくれたら、「のちせをも期待できて自分を慰めることができたであろうに」となるはずである。そして「憂き身の程の定まらぬ」という空蝉の言葉は、源氏としては気にかかるので帚木[二三]で「その姉君は、朝臣の弟やもたる」と既婚か否かを導きだそうと質問するのである。このように帚木[二一]と[二三]はよく呼応している。それに対して、紀伊守の返事は、「さも侍らず」である。つまり「おとうと」を持っていないからといって、既婚か否かはわからない。源氏は残念ながら聞き出したかったことの確証が得られず、質問は不発に終ってしまう。そして帚木[二五]で、「いとかく品定まりぬる、身のおぼえならで、過ぎにし親の、御けはひとまれる故里ながら、・・」や「今はいふかひなき宿世なりければ、・・・」などにみちびかれて、帚木[一九前]で紀伊守は後の親となり、既婚となっていくのである。
 小君の出仕について考えてみる。源氏から、「かのありし中納言の子」といわれた時、紀伊守は、「姉なる人」に聞いてみましょうと答えている。現行の解釈では、伊予の家の小君[二八]であるから、本来なら、伊予の介に聞くのが筋であろうし、伊予の介が在京していない場合でも伊予の介に聞けないから、当面姉にたずねましようというという文章があってよい。が、現実的にはないし、かえって伊予の介など介在しないほうが状況設定として自然である。
 紀伊守は帚木[二三]で源氏に答えて空蝉のことを次の様に説明している。
「さも侍らず。この二年ばかりぞ、かくてものし侍れど、親の掟に違へりと思ひ歎きて、心ゆかぬやうになむ聞き給ふる」
この解釈も従来のように伊予の介の妻となって居てのものであれば「親の決めた未来と異なってしまったのでこの人が歎き悲しみ、父の後妻ではありますが、いつまでもなじまないように聞いておりまする」となるが、その解釈をとると「心ゆかぬ」と言う空蝉の意志がはっきりしてきて「親の掟に違へり」という言葉よりもっと強い「親の掟に逆らい」位の言葉の方が適切となってくる。しかし、ここでは、諸般の事情から、親が死んで、紀伊守の館に居るだけであるから、「親の掟に違へり」という言葉でいいし、「心ゆかぬ」という言葉も納得がゆく。源氏の「あはれのことや。よろしく聞えし人ぞかし。まことによしや」と言う言葉も「聞きおき給へる女」だからこそなおさら親が死んで「あはれのことや」となろうし、女そのものも、「まことによしや」良い女であろうなあという言葉となる。
 帚木[二四前]でも、伊予の介の妻でないからこそ、「いもうとの君」のことをくわしく問えるのだし、小君が御文を持って来ても、源氏との関係が小君にわかってしまうからこそはずかしくて、御文を顔かくしに広げてぢまう。伊予の介の妻なら、御文は、小君の前ではわきにかなぐり捨てるか小君を叱るであろう。
 帚木[二四後]でも、源氏の御文がしばしば小君によってはこばれるので、小君が他人に言い散らせば、「輕々しき名さへ、とりそへん」と思うのも独身だからこそであろう。人妻なら、「輕々しき名」をとりそえるどころか身そのものがもたない。「めでたきこともわが身からこそと思ひて」となるのも空蝉が独身であるからで、親が生きていてくれたら、源氏は頻回に御文をくれているのだから、源氏との契りも、「めでたきこと」なのに、親のいない現在の私ではどうしようもないので御いらへも出さない。人妻であったら、「めでたきこと」では絶対に有り得ないから、このような言葉も使うはずがない。また源氏が空蝉のところに忍んでゆこうと思うのに、「人目繁からむ所に、便なきふるまいやあらはれむ」と心配できるのも未婚だからであって、人妻だったら人目につくつかないなど問題外で、その行為自体が「便なきふるまいにて」であって、「ふるまいやあらはれむ」などと悠長なことではあるまい。   帚木[二五]再度の方違へで源氏が訪れた時、「紀伊守おどろきて、遣水の面目とかしこまりよろこぶ」のであるが、帚木[二二]で、前回の方違へにて源氏が後朝に帰る折り、紀伊守は「女などの御方違こそ。夜深く急がせ給ふべきかは」と反言として、夜這いごとをうらめば、今回の方違へを遣水の面目、と単純に喜ぶものであろうか。そして、その目的の相手が「まうとの後の親」の空蝉であったり(帚木[一九前])、「伊予の介のかしづく」空蝉(帚木[一九後])であったり、自らがすき心をいだく継母なる空蝉(帚木[二四中])だったとしたら、なおさらのことであろう。挿入部分のないほうがこの語句が生きてくるのである。
 空蝉は、それなりの消息をうけとれば、「さりとてうちとけ、人げなき有様を見え奉りても・・・歎きをまたや加へむ、」(帚木[二五])と思し乱れるとある。親が死んでしまった状況はかわらないのだから、源氏と「うちとけて」もまた前回の歎きを一つ加えるだけである。だから空蝉はかくれるのである。人妻であったなら事前に小君によって知らされた夜這いであるから、源氏の志の「浅くしも思ひなされねど」などと考えることもなく、妻として防衛行動を取るであろう。まして「うちとけ」た場合など空想するはずもない。
 空蝉は、小君に、心地悩ましいことを理由に誰にも逢えないと言ったあとで、「心のうちには、いとかく品定りぬる身のおぼえならで、過ぎにし親の御けはひとまれる故里ながら、たまさかにも待ちつけ奉らば、をかしうもやあらまし、しひて思ひ知らぬ顔に見消つも、いかに程知らぬやうに思すらむ、と、心ながらも、胸いたくさすがに思ひみだる。とてもかくても、今はいふかひなき宿世なりければ、無心に心づきなくてやみなむ、と思ひ果てたり」と、その心情が表わされている。
 この中で「いとかく品定まりぬる身のおぼえ」であるが、通常は、受領階級の妻という定まった身分(注・池田亀鑑・源氏物語、日本古典全書、朝日新聞社)と解釈されているが、品定まるというのが身分なのか、それとも妻ということなのかである。いとかく品定まりぬであるから、身分であって人妻とすることは、この文章だけからは読み過ぎであり、空蝉が人妻である前提の上での解釈である。ここでは「このように下の品に身分が定まってしまわないで」と解釈して良いと考えるのである。そして、それだからこそ、「過ぎにし親の御けはひとまれる故里ながら、・・・」と親が生きていて、そのもとに生活していた昔の私ならと、ただただ源氏と契った時が、親が死んでしまったあとだったからで、もしそれが親が死ぬ前であったとしたら、源氏の訪れを待つことも趣があったことであろうと想いがすすむのである。源氏の厚志を無理やりに知らぬ顔をして、受け入れぬことで胸痛くなるのも、こんな態度の私をみて源氏はどう思われるだろうと思い乱れるのも未婚の女性であるからであろう。
 この様に、源氏を避けることが絶対に必要なのではなく、(もし人妻であるならば絶対避けねばならない)中の品であり、親も故人となっている「いふかひなき宿世」であるからこそ、真の心情を押さえ無理して、源氏の志を気付かぬげに装う(「しひて思ひ知らぬ顔に身消つも」)のも、源氏はさぞ身の程知らぬ女と思われよう(「いかに程知らぬやうに思すらむ」)と胸いたく、さすがに思い乱れるのであって、これが絶対的に拒絶しなければならない立場であるならば、以上の様な心のみだれは生じない。まして源氏の志を無理に気付かぬげに装うことは至極当然であり、胸いたくもないはずである。つまり、相対的拒絶であるが故に思い乱れるのである。そして源氏との関係でも、源氏から「心づきなくて止みなむ」とするのである。娘なら、明確に関係を断たなければならない理由はない。なんとか源氏が、気にいらなくなるまで待っていようと思うであろう。切るのもつらい、続けるのもつらい、これこそ、身分違いの恋であろう。だからこそ、「さすがにまどろまれざりければ、」となるのであって、源氏の和歌に対しても返歌をしてしまうのである。「帚木」という遠くから見え近付くと消えるという伝説上の木についてはすでに考察した。「数ならぬふせ屋におふる名のうさにあるにもあらず消ゆる帚木」なる空蝉の返歌も人妻故に消えるのであれば、「あるにもあらず」というような状態ではなく、はっきりと拒絶をもって消えてゆくのであって、人妻の拒絶というより、源氏にくらべれば、数ならぬ低い地位の館に生まれ育ったが故に、つらく、実際にはここに居ても居ないのも同然に消えてゆく帚木ですよ、と解すべきであろう。
 空蝉[一]では、源氏からの消息が絶えてしまったことに対し、空蝉の迷いが生じている。前回のことで懲りてしまったの?と思うにつけても、そのまま素知らぬ顔にすましてしまったならば、とわびしい気持ちがあり、そうかといって、「御ふるまひの絶えざらむも、うたてあるべし」であるから「よき程にて、かくて閉じめてむ」と思っている。源氏との過去は空蝉にとって、よき程のことであって、このように終焉してくれれば、との意味ともとれる。決して、「憂き程にて、かくて閉じめてむ」ではない。わびしい気持ちと、これでよいのだとする気持ちが交互するところに、「ただならずながめがち」になる、これこそ独身女性の逡巡であろうし、源氏拒絶の相対性があるのである。
 空蝉[二]は、紀伊守の国下がりの時の夜這いであって、西の御方の描写がなされている。「むべこそ親の」「伊予の湯桁」も一般的意味しかない。空蝉[三前]「例ならぬ人」も無限定であり、聞きおき給へる女の物語は続いている。
 空蝉[三後]源氏の夜這いをその気配で知った時、「女は、さこそ忘れ給ふを、うれしきに思ひなせど、あやしく夢のやうなる事を、心に離るる折なき頃にて、心解けたるいだに寝られずなむ。晝はながめ、夜は寝覚めがちなれば、春ならぬこのめも、いとなく歎しきに・・・」なのである。忘れていてくれたことが嬉しいと思う反面、前回の源氏との契りが、夢のような事で、心から離れず、あれやこれやとながめがちに時をすごすのが乙女心であろう。「あやしく夢のやうなる事」を悪夢と解釈すれば、人妻の心情になろうが、それなら、「晝はながめ、夜は寝覚めがち」ではなく、「晝は悩み、夜はおびえがち」とならなければならない。人妻であったらこの様な「晝はながめ、」の気分ではなく、帚木[一二]のごとく、「空おそろしくつつまし」であろう。ここは、空蝉[一]とまったく同一の平面と考えられる。そして身じろぎ寄るけはいに、「あさましく覺えて、ともかくも思ひ分かれず」であって、伊予の介のことを思ってそら恐ろしいこともない。乙女としての逡巡が故に、残された軒端の荻のことを考える余裕もなく、寝床から滑り出てしまうのである。
 空蝉[四]で、源氏は西の御方と契ってしまう。そして脱ぎすてた薄衣を取り、空蝉[五]で、小君をうながして退室する。最後に夜這いのきまり悪さを源氏に味わわせ、「なほかかるありきは輕々しくあやふかりけり、と、いよいよ思し懲りぬべし。」という結文で聞きおき給へる女の物語は終る。

 初期空蝉物語は、帚木([一六]、[一七前]、[一八]、[二0]、[二三]、[二四前]、[二四後]、[二五])

         空蝉([一]、[二]、[三前]、[三後]、[四]、[五])であり、
 空蝉[五]で物語は終っている。
 父親は死亡したが、未婚で、聞きおき給へる女である原「空蝉」は、伊予の介の登場もなく、紀伊守の家に逗留する中の品の女性の物語として完結している。

5 まとめ

 空蝉物語は、四回の変遷があって現行の物語となった。それは前期、中期、後期挿入部分を含め、それぞれ初期空蝉物語、前期空蝉物語、中期空蝉物語である。
それぞれの巻と節を表示する。(表9)
表9 空蝉物語の執筆順序
時期  巻   節 の 執 筆 順          はその時期に加筆挿入された節
初 期
空蝉物語
帚木

空蝉
〔一六〕〔一七前〕→〔一八〕→〔二〇〕〔二一〕→〔二三〕〔二四前〕→
〔二四後〕〔二五〕→
〔一〕〔二〕〔三前〕→〔三後〕〔四〕〔五〕

 

 

 

 

 
帚木

空蝉

夕顔
〔一六〕〔一七前〕 〔一七後〕〔一八〕→〔二〇〕〔二一〕→〔二三〕〔二四前〕→
〔二四後〕〔二五〕→
〔一〕〔二〕〔三前〕→〔三後〕〔四〕〔五〕→
 
〔三二〕
帚木

空蝉

夕顔

関屋
〔一六〕〔一七前〕〔一七後〕〔一八〕→〔二〇〕〔二一〕→〔二三〕〔二四前〕→
〔二四後〕〔二五〕→
〔一〕〔二〕〔三前〕→〔三後〕〔四〕〔五〕→
 
〔二八〕→〔三二〕→
 
〔一〕
帚木

空蝉

夕顔

関屋
〔一六〕〔一七前〕〔一七後〕〔一八〕 〔一九前〕→〔二〇〕〔二一〕→〔二三〕
〔二四前〕→〔二四後〕〔二五〕→
〔一〕〔二〕〔三前〕→〔三後〕〔四〕〔五〕→〔六後〕→
 
〔二八〕→〔三二〕→
 
〔一〕






帚木

空蝉

夕顔

関屋
〔一六〕〔一七前〕〔一七後〕〔一八〕〔一九前〕 〔一九後〕〔二〇〕〔二一〕
〔二二〕〔二三〕〔二四前〕 〔二四中〕〔二四後〕〔二五〕→
〔一〕〔二〕〔三前〕→〔三後〕〔四〕〔五〕 〔六前〕〔六後〕→
 
〔二八〕→〔三二〕→
 
〔一〕 〔二〕







帚木

空蝉

夕顔

末摘花

関屋

玉鬘

初音
〔一六〕〔一七前〕〔一七後〕〔一八〕〔一九前〕〔一九後〕〔二〇〕〔二一〕
〔二二〕〔二三〕〔二四前〕〔二四中〕〔二四後〕〔二五〕→
〔一〕〔二〕〔三前〕 〔三中〕〔三後〕〔四〕〔五〕〔六前〕〔六後〕→
 
〔六〕→〔二八〕 〔二九〕→〔三二〕→
 
〔一〕→〔一五〕→

〔一〕〔二〕 〔三〕 〔四〕→

〔四一〕→

〔一二〕