そうなると、帚木(十六)の「『これこそは、かの人々の棄て難く取り出し、まめ人には頼まれぬべけれ、』と、思すものから、・・・」が雨夜の品定めの後半、帚木(九)の「今はただ品にもよらじ。容貌をばさらにもいはし゛。・・・・後安くのどけき所だに強くは、うはべの情は、自らもてつけつべきわざをや。」・・・「わが妹の姫君は、この定めにかなひ給へり」の部分をうけないことになる。この点を解決しなければならない。通説が正しいのであろうか、詳細に検討してみる。この場合、着目すべきは、このあとの、帚木(九)の「君のうちねぶりて、詞まぜ給はぬを、さうざうしく心やましと思ふ。」の中の「君のうちねぶりて」なる意味である。
「君のうちねぶりて」を眠っていたと解釈すると、源氏は左馬頭の話を聞いていないことになる。そうなると、源氏の記憶にはないから、帚木(十六)で、源氏が人々の語っていたことをよく記憶していて思い出し、葵の君のことを「なほこれこそは、かの人々の・・・、と思すものから、」などとは語れない。それよりも、帚木(十六)は帚木(九)を前提としないほうが筋に矛盾がなく、帚木(五)の漠然とした語らいを受けた方が自然である。
「君のうちねぶりて」が、眠っていたのではなく、眠っているふりをしたとか、又は眠たがっていたと解釈すると、もっと適当な表現、たとえば「君の、うちねぶたがりて」など、が可能である。しかし、これとても、葵の上については、これ以前に具体的な性格記載はなく、この中将の思い入れの言葉が葵の上の性格づけをすることになる。中将は、わが妹のことであるから、源氏が寝たふりをしているのなら、起こしてまでも源氏の返答を求めて、妹の価値を認めさせることのほうが兄弟間の感情として自然であろう。更に、そのあとに、わずかに左馬頭の話が帚木(十)と続いているが、語り終ると、馬頭に「・・・近く居寄れば、君も目覚まし給ふ。」(帚木・十)と書いていることから、源氏が寝たふりをしていたとは解釈されない。つまり、帚木十六を帚木九を受けていると前提すると「君のうちねぶりて」の意味がとれなくなる。
帚木(十六)が帚木(九)を前提にしないとすると、帚木(十六)中の「かの人々の棄て難く取り出し・・・」の解釈は、別に特定の人物を想定しない漠然としたものぬになる。この方が言葉の裏にある「過去の話」に無限の広がりが持たせられ、読者の想像性は豊かになる。又紫式部が「君のうちねぶりて」なる漠然とした表現を何故使ったかが明確となる。
紫式部は、その読者層の想像をそのまま具体化する方法で雨夜の品定めの後半を挿入した。この時、紫式部は、すべてに矛盾なく挿入をはたすべく苦心したのであろう。帚木(十六)を先に書いてしまって、そこに「思すものから」がある以上、それを前提とするものがなければならない。その前提に源氏が討論に加わったり、話の内容に同意してしまっては、「思すものから・・」と矛盾してしまう。語られる物語に対して、源氏はわきにいて「君のねぶたがりて」か「君の寝ている様つくりて」・・などとしか表現できないであろう。それとても上述のような難点がある。とすれば、「君のねぶりて」にどちらとも解釈できるような「うち」を加え、「うちねぶりて」なる語を使って後期挿入の不自然さを最少限にしたものと考えられる。頭中将に起こさせず、一応の結論が終ったところで、左馬頭に、ただ「近く居寄」らせただけで目を覚まさせ、頭中将の「わが妹の姫君は、この定めに・・・」の言葉を聞いたとも聞かぬともとれる「君のうちねぶりて・・・」というあいまいな表現ではずし、帚木(十六)の「・・と思すものから」の表現を生かした紫式部の表現力の豊かさに驚嘆するのである。
と続く。とすると(十六)〜(十八)は、ほとんど時間的にはあいていない。にもかかわらず
、
「『かの中の品に取り出でて言ひし、この列ならむかし』と、思し出づ。」(十八中)
なにか遠いことのように思い出している。不自然である。
帚木(十五)と(十六)は連続させないほうが、「思し出づ」は生きてくる。
それでは、帚木(五)から空蝉系の帚木(十六)に連続したとしたらどうであろうか。帚木(三)では、
「なが雨晴間なき頃、・・・睦れ聞え給ひける。」
帚木(四)「つれづれと降り暮して、・・・御宿直所も・・・」
帚木(五)「この品々をわきまへ定めあらそふ。いと聞きにくき事多かり。」
帚木(十六)「からうじて今日は、日の気色も直れり。」と続くから、これでも帚木(四・五)の中の品の語らいがあまりにも接近しすぎて、帚木(十六)の「思すものから」とか、帚木(十八)の「・・・と思しいづ。」の言葉がさえない。「思しいづ」とはすでに語られたことが、時間のかなたにあって、おぼしいづであってつい昨日や一〜二週間の隔たりではかえって「思すものから」とか「思しいづ」はない方が自然である。
帚木(三)に対して帚木(四)(五)が後期挿入とすると、中の品のことは語られていないが、「長雨晴間なき頃・・・睦れ聞え給ひける」から、「からうじて今日は、日の気色も直れり」となり、間に帚木(四)の冒頭のくり返しの「つれづれと降りくらして・・・」(帚木四〜十五)がなくなり文章の流れがよい。そればかりか、「大殿には、おぼつかなくうらめしく思したれど、」(帚木三)にたいして、「大殿の御心いとほしければ、まかで給へり。」(帚木十六)とよく呼応している。さらに、帚木(三)では単に頭中将が大殿を介して紹介されているだけであるから、空蝉系に頭中将が登場していないことも説明がつく。そして、中の品に語られた時期が明確化されておらず、ただ漠然と源氏の記憶のなかにあるとされるから、「思すものから」や「思しいづ」も生きてくる。長雨の名ががよく呼応する。さらに、帚木(五)で、頭中将が「中の品になん・・・かたがた多かるべき」と語られ、源氏が「その品々やいかに。何れを三の品に置きてか別くべき。」などと話が進み、「この品々をわきまへ定めあらそふ。」となったら、帚木(十八)の「かの中の品に取り出でていひし、このなみならんかし」は矛盾する。すなわち、源氏自身が、三の品も流動的で、上の品から中の品へ、下の品から中の品になった場合はどうするのか、と問うているのであるから、中の品のことについては相当詳しいとみるべきであろう。「きゝおき給へる女」が中納言の娘であり、上の品から中の品へ下った階層であり、源氏は、このことを承知しているわけで、この娘が中の品であることは源氏自身何の疑問ももっていないはずである。とすれば、「このなみならんかし」などとは言わないはずである。
「きゝおき給へる女」は、故中納言の娘であるから、高貴な源氏が恋の相手をするのに、まあなんとか許される品であろう。今までの源氏の相手は上の品ばかりであった。紫式部は、誰ともつかぬ「かの人々」とか「かの中の品に取り出でていひし」とか「隈なく見あつめたる人の、言ひしことは、げに」とかなる表現を使って、高貴な源氏の恋の相手をやっと、自分の計算する中の品にまで下げ得たと考えたい。