| 帚木〔一三〕 (頭中将の経過報告) |
夕顔〔二六〕 (右近からの報告) |
夕顔〔五前〕 (惟光からの報告) |
夕顔〔三〕 (惟光からの報告) |
|
いと忍びて見そめたりし人の 馴れ行くままに…たえだれ忘れ ぬものに思う給へしを 久しきとだえをも…ただ朝夕に もてつけたらむ有様に見えて… 親もなく、いと心細げにて…ら うたげなりき 幼き者などもありしに この見給ふるわたりより…うた てある事をなむ、さる便ありて、 かすめいはせたりける 瞿麦の花を折りて…… …あはれはかけよなでしこの露 …なほ常夏にしくものぞなき …あらし吹きそふ秋も来にけり 心安くて、またとだえ置き侍り し程に、あともなくこそかき消 ちて失せにしか 瞿麦のらうたく侍りしかば、い かで尋ねむと これこそのたまへるはかなき例 なめれ |
頭の中将なむ、まだ少将 にものし給ひし時、見そ め奉らせ給ひて
三年ばかりは志ある様に |
顔こそいとよく侍り しか 物思へるけはひして ある人々も忍びてう ち泣く様など 五月の頃ほひよりも のし給ふ人なむある べけれど |
揚名の介なる人の 家 男は田舎に罷りて、 妻なむ若く事好み て、兄弟など宮仕 人にて…さらばそ の宮仕人ななり |
けはひして、ある人々も忍びてうち泣く様などなむ、しるく見え侍る」等々。夕顔〔五前〕のここでも帚木〔一三〕の内容は全く採り入れられていない。せいぜい「物思へるけはひして、ある人々も忍びてうち泣く様などなむ」などが常夏に近いとしても、常夏を思い出させる撫子が全く欠落している点で、夕顔〔五前〕が帚木〔一三〕を受けているとするのは無理である。
次に夕顔〔五前〕と遊女的夕顔が描写されている夕顔〔三〕を比較してみよう(表15)。惟光が夕顔〔三〕で事情を聴取したのは「この宿守なる男」で、「心知れらむ者」であったが充分な情報は得られない。もし順当に夕顔〔三〕→〔五前〕の執筆順序だとすると、揚名の介なり宮仕人なりが筋として
表15 夕顔〔三〕〔五前〕〔五後〕の比較
| この宿守なる男を 呼びて問ひ聞く (積極的) |
揚名の介なる 人の家 |
その宮人仕人ななり | なほこのわたりの心知 れらむ者を召して問へ (命令) |
||
| 児めき て的 |
[五前] | 隣の事知りて侍る者 呼びて、問はせ侍りし (間接的) |
なし | かしづく人 物思へるけはひ |
知らばやと思ほしたり (願望) |
| 遊女的 | [五後] | なし | なし | かの下が下と、人の 思ひ棄てし住なれど |
なほ言ひ寄れ。 尋ね寄らでは、さうざ うしかりなむ(命令) |
夕顔〔五前〕へ進展していってよいにもかかわらず、全く展開をみせないばかりか関係さえしていない。更に夕顔〔三〕で「兄弟など宮仕人にて来通ふ、と申す。……下人のえ知り侍らぬにやあらむ」という惟光の報告を聞いて源氏は「さらばその宮仕人ななり、したり顔に物なれて言へるかな」と夕顔の素姓について一応の推測を終え、自分の身分がわからぬようにして和歌を贈って(行動して)いるのに、夕顔〔五前〕で「隣の事知りて侍る者呼びて、問はせ侍りしかど、はかばかしくも申し侍らず」と惟光の報告があり、源氏が「うち笑み給ひて、知らばや」と思うのは全くおかしいのである。
つまり夕顔〔三〕の源氏が推定を終えて行動したことが先で、夕顔〔五前〕の「知りたい」という欲求が後になるというのはまことに不自然なのである。扇の持ち主を探すのにも夕顔〔三〕では源氏は積極的である。「心知れらむ者を召して問へ」と命令的であり、惟光も「この宿守なる男を呼びて問ひ聞く」と直接的である。対照的に夕顔〔五前〕では、惟光は「隣の事知りて侍る者呼びて、問はせ侍りしかど」と間接的であり、源氏も「うち笑み給ひて、知らばやと思ほしたり」とさほど積極的ではない。源氏の夕顔に対する興味が減少してしまったのなら夕顔〔三〕→〔五前〕でよいのだが、夕顔との関係を深めようとする源氏の表現としたら矛盾する。
それ故執筆は、時間的に夕顔〔五前〕→夕顔〔三〕→帚木〔一三〕→夕顔〔二六〕〔三〇〕〔三一〕ということになる。つまり夕顔は、下の品風児めきて的性格(夕顔〔五前〕)→遊女性(夕顔〔三〕)→常夏(夕顔〔二六〕)へと発展していったと考えられる。
夕顔〔五後〕は夕顔〔三〕と比較すると、「かの下が下」と「揚名の介(有名無実の官で得分はない)」、「なほ言ひ寄れ」と「召して問へ」など同じ表現であり、夕顔=遊女期のものである。そうなると夕顔〔五〕の後半、「かの下が下と、人の思ひ棄てし住なれど」が問題となる。これは帚木〔六〕〜〔一五〕を前提としていると考えられるから、夕顔〔五後〕は帚木〔一三〕の後に書かれたことになる。この夕顔〔五後〕については惟光を論じることで詳述する。
次に夕顔〔八前〕では惟光の再度の垣間見の報告がある。類型分類からすれば、児めきて的夕顔(らうたげ)でもあり、夕顔=常夏(忘れざりし人)で、どちらとも断定できないところである。
2 惟光報告と頭中将との関係
ここで初めて夕顔の相手として頭中将が登場する。明らかに夕顔=常夏であると読者に推測させてゆく。ではこの推測をさせるのにその間の筋の運びに無理はないのであろうか。
惟光の報告を聞いた源氏は「もしかのあはれに忘れざりし人にや」と思うのである。惟光が頭中将を見たことについては問題はない。しかし、それを聞いて源氏がすぐ常夏を連想するのは無理と考える。というのは、童は右近に「中将殿こそ、これより渡り給ひぬれ」と言っているのである。頭中将の通っている相手が常夏であるとすれば、昨年の秋より全く通っていないのだから、童が「これより渡り給ひぬれ」と声をあげるのは不自然であろう。なぜなら「心安くて、またとだえ置き侍りし程に、あともなくこそかき消ちて失せにしか」(帚木〔一三〕)なのであるから、自分から身を隠し、頭中将を渡って来られなくしているのは常夏の君のほうなのである。だから、中将の君が通って行きますよと積極的に呼ぶのはおかしいのである。「(頭中将であると)『いかでさは知るぞ、いで見む』とて、はひ渡る」のも不自然である。もしこの女が本当に常夏の君なら、少なくともまわりのもの皆で、見よう見ようとするような状態ではないはずである。かえって見つからないように、シーンとさせるはずである。逆に、まあ、中将様がお通りになるわといって見たがる様子であれば、常夏の君ではないことになるのである。
さらにこの惟光の垣間見報告には子供、すなわち撫子がいない。「ちひさき子どもなどの侍る」の子どもが常夏の子供と考えられないでもない。しかし、常夏の撫子はいったいこのとき何歳であったろう。訪れなくなった主人(頭中将)の記憶もない撫子が、主人がいるようなことを言うなどあり得ようか。ここでの「ちひさき子ども」は常夏の子供ではない。童子として仕えているものが通って来る主人のことを話してしまうので(「言過しつべきも」)、女房たちが「いひ粉はして」「人なきさまを強ひてつくり侍る」のである。夕顔は、本妻が恐ろしくて隠れただけの存在では常夏とは断定できず、頭中将が探している撫子があってはじめて、和歌をとりかわした撫子の親としての常夏となりうるのである。とすれば、夕顔〔八前〕の夕顔はもしかして頭中将が通う女にはなりえても、現在はどこに移ってしまったのかわからず、それにおいおい忘れられてゆく存在の帚木〔一三〕で語られた常夏とするには不自然すぎる。
だからこそ紫式部は、この時点では「もしかのあはれに忘れざりし人にや」としか書けず、直接常夏とは言っていないのである。夕顔〔八前〕の表現は、頭中将、夕顔の「いとらうたげ」さ、「ちひさき子ども」などを挿入付加することにより、夕顔→常夏へと移行させる準備をし、読者の想いのなかに、夕顔はひょっとして常夏ではないかと類推させようとしたのである。さすがに紫式部である。「児めきて」も「遊女」も「常夏」も、すべて漠然とした表現で、一体として夕顔としてしまった。これをもって今までの夕顔が常夏ですよと導いてゆくのである。夕顔〔八前〕はそれ故、夕顔=常夏期となる。
夕顔〔九後〕では夕顔〔八前〕の「もしかのあはれに忘れざりし人にや」は「かの頭の中将の常夏疑はしく」と変わってゆく。夕顔と常夏は、はるかに遠い関係であった(夕顔〔八前〕)にもかかわらず、常夏と実名で推測され、かなり夕顔=常夏に近付いてきた。しかし、物語の進行から見れば、源氏は夕顔のところに「いとしばしばおはします」(夕顔〔九前〕)関係であるから、本当に夕顔=常夏であるかどうかを「いと知らまほしげ」(夕顔〔八前〕)であるならば、夕顔に直接聞けば確かめられたはずである。しかし、「かの頭の中将の常夏疑はしく」(〔九後〕)のまま身分を明らかにしていない。
この不自然さは、すでに「児めきて」的夕顔を主人公として物語が進められているところへ、その主人公が実は常夏であったとするために夕顔〔八前〕が強引に後期挿入されていったと考えられると、直接本人に身分問わない訳も納得できる。つまり、なにがしの院で怪死する児めきて的夕顔の物語を進めている時は、怪奇性を保つためにお互いの正体を不明にしているのだから、ここでは身分を問わないのである。だから夕顔〔九前〕の「その人と尋ね出で給はねば、われも名のりをし給はで」のあとに「かの頭の中将の常夏疑はしく」(夕顔〔九後〕)を挿入したのである。
また、「いとしばしばおはします」(〔九前〕)とすでに通って来ているのであるが、夕顔〔八前〕で「いと知らまほしげ」なる文章が挿入されると、当然「しばしばおはします」ときに知りたいことを相手に確かめるのが自然であり、いつまでも疑問のまま残しておくのはしごく不自然なことになるのである。しかし、すでに書かれている夕顔が、後期挿入された時点からはっきり常夏となってしまったら、源氏との会話も常夏のものとなって、それまでの夕顔としての会話や行動では不充分となるであろうし、また逆に常夏としてはあってはならない部分も出て来よう。だからこそ、少なくとも夕顔が死ぬまでは明確に夕顔=常夏としなかったのである。