U 夕顔の性格と役割の検討

 夕顔の巻に登場する女主人公は、夕顔〔三〕で源氏を知って歌を詠みかけてくるほど積極的であったが、巻の進展に伴ってかなり内気な性格となっていく。また源氏の方は、頭中将との関係でも「もしかのあはれに忘れざりし人にや」(もしかして、品定めの時に話した、頭中将のあの哀れに忘れなかった撫子の女ではないか)と一度は推測し(〔八前〕)、ついに「いとしばしばおはします」関係になっても(〔九前〕)、源氏は夕顔の素姓を明らかにしていない。そして再び「かの頭の中将の常夏疑はしく」(〔九後〕)などと同じ推測をして、最初の推測から話は一歩も進展せず、夕顔は「なにがしの院」で怪死してしまう(〔一六〕)。
 そして夕顔〔二六〕で、右近に夕顔まつわるすべての関係を明らかにさせ、実は夕顔=常夏であったとするのである。
 夕顔が“児めきて”的性格、“遊女”的役割、及び“常夏の君”の一面を有していることは従来から指摘されている。これらがモザイク的に語られていることなどから、甲斐氏は「夕顔巻には、結果的に、雨夜の品定めにおける下の品の女、及び頭中将の語った常夏の女、及び女の怪死のことが述べられているが、それらがすっきりした形でまとめられているわけではない」とするのである。
 ここでは夕顔像の検討を行い、各節を可能な限りグループ化する。常夏の君と推測される夕顔(A)、遊女性のある夕顔(B)、児めきて的性格の夕顔(C)、明確に下の品と断定された夕顔(D)、漠然と下の品風であるとされる夕顔(E)の五つに分離する。A〜Eは表に示すときに使用する。下の品(D)と下の品風(E)に区別するのは、いったん夕顔を下の品と確定した節のあとでは下の品風の夕顔を執筆挿入することはあり得ないので、それだけで下の品と断定した節は下の品風夕顔の節に対して後期挿入となるからである。夕顔が常夏であるとすれば三位中将の娘であり、下の品とは考えにくい。しかし、児めきて的夕顔や遊女的夕顔は下の品を思わせる。あえてこのように書き分けたところに、紫式部の潜在的な意図を感じるのである。

 夕顔像の検討を各節ごとに行ってみる。 〔一〕はまず家の描写から始まる。そして「むつかしげなる大路」の中に、「おのれひとり笑の眉開けたる」人めいた名をもつ夕顔の花咲く家は、これからどのような物語の舞台となるのか、おかしげなる童に香をたきしめた扇をわたした主はどんな女か、読者に充分な興味を持たせて行く。はっきりした夕顔像は描写されておらず、そこに登場する女性は「いかなる者の集へるならむ」と、せいぜい下の品風の女としておぼろげに推測させているのである。(E)
〔二〕は大弐の乳母の見舞いの情景で、夕顔に関する記述はない。夕顔〔一〕と連続しているので下の品風としておく。(‘E。’は前節との関係で判断したことを表す)
〔三〕では、夕顔は「ありつる扇御覧ずれば、もてならしたる移香……をかしうすさび書きたり」あり、女が最も身近に持ちならし、移り香さえしみこんだ扇に「心あてにそれかとぞ見る……」(光源氏さまではございませんか)という和歌を書きしるした。ここでの夕顔は積極的であり遊女的である。またその字体も「あてはかにゆゑづき」(上品で趣深く)、源氏の返歌に対して「あまえて、いかに聞えむ、などいひしろふ」夕顔であるから遊女性を持っている。身分的には「宮仕人ななり」でもあるから下の品風である。(BとE)
〔四〕でははっきりした夕顔像は描かれておらず、一ふさ折った夕顔の花を扇にのせてくれた縁で「いかなる人の住処ならむ」と興味をひくだけなので〔一〕と同じグループである。「御志の所」と比較して、中の品か下の品の女と推測される。(E)
〔五〕の前半(二四八ページ一〇行目「……思ひ居り」まで)では「かしづく人侍るなめり。……顔こそいとよく侍りしか。物思へるけはひして、ある人々も忍びてうち泣く様などなむ、しるく見え侍る」とあり、これも夕顔の性格ははっきりしないが、一応“児めきて的”としたい。源氏は「知らばや」と思う気持ちでやや消極的である。「かしづく人侍る」の語があるので下の品の女でもないが、不明なので下の品風とする。(CとE)
 しかし〔五〕の後半では積極的に結びつきを求める夕顔である。つまり「書き馴れたる手して、口疾く返事などし侍りき」であり、源氏すら「なほ言ひ寄れ」と積極的である。〔五〕の前半と後半では夕顔の性格は全く違い、後半は〔三〕と同じような遊女性をもっているうえ、夕顔は「かの下が下と、人の思ひ棄てし住なれど」と描写され、下の品と断定されている。(BとD)
 各節が分割されることは、空蝉論でも証明した。夕顔〔五〕の前半と後半を表にしてみると、筆感が異なることがよくわかる(表11)。

表11 夕顔〔五前〕と〔五後〕の比較   
夕顔に対する積極性
夕顔側に対する惟光
夕顔の特徴
下の品か否か
五前 うち笑み給ひて、
   知らばやと思ほしたり
         (消極) 
問はせ侍りしかど  

     (間接)

物思へるけはひ

  (感傷的)

かしづく人侍る

   (否定)

五後 なほ言ひ寄れ。尋ね寄らでは、
     さうざうしかりなむ
         (積極)
消息など遺したりき 

     (直接)

書き馴れたる 
    手して
  (行動的)
下が下    

   (肯定)

〔六〕は空蝉と軒端の荻のことについてである。
〔七〕は六條わたりのことについてで、夕顔の登場はない。
〔八〕の前半(二五四ページ一行目「宣ひけり」まで)では、夕顔は「人にいみじく隠れ忍ぶる気色になむ見え侍る」人物として設定されている。そしてこの〔八〕前半で、夕顔の巻全体の中で初めて中将殿、すなわち頭中将が登場する。しかし、この登場は間接的である。
 源氏は帚木〔一三〕を受けて「もしかのあはれに忘れざりし人にや」と思う。しかし、夕顔自身の性格ははっきりせず、逆に〔五前〕で「顔こそいとよく侍りしか」とはっきりしていることが、ここでは「容貌なむ、ほのかなれど、いとらうたげに侍る」とぼかされ、「らうたげ」の言葉が入れられている。再検討を要し、児めきて的ではあるが一応常夏の女ともしておく。(A?とC。?は断定はできないが関連することを表す)
〔八〕の後半は「仮にても……かの人の定めあなづりし下の品ならめ」(これを下の品というのだろうか)と、源氏は夕顔の住居の様子からこの女は下の品だろうと推定している(E)。そして惟光の忠誠心によって源氏は夕顔に通うこととなる。
 この「下の品」の推定なり断定については、後に遊女的夕顔の項で夕顔〔五後〕と比較するが、夕顔〔五後〕で下の品と断定されて、あとの方の夕顔〔八後〕で下の品と推定されるのは不自然であり、夕顔〔八後〕→夕顔〔五後〕の執筆順と推定される。また、夕顔〔八前〕で常夏という具体的人物に可能な限り近づけたにもかかわらず、夕顔〔八後〕では再び下の品と漠然とした対象にしてしまっていることや、惟光の夕顔とのかかわりも夕顔〔八前〕でかなり詳細にわたるのに後半では簡単にすまされ、夕顔〔八前〕→夕顔〔八後〕へと話の進展がない。夕顔〔八後〕→夕顔〔八前〕の執筆の方がよさそうである。
 夕顔〔八〕を整理して表にすると次ページ表12のようになる。

表12 夕顔〔八前〕と〔八後〕の比較
起こったこと
夕顔の素姓
惟光の思い
夕顔
〔八前〕
〔惟光の垣間見報告〕
頭中将の初登場
右近の君初登場
もしかのあはれに
   忘れざりし人にや
     (常夏・類推)
私の懸想もいとよくしおきて

           (詳細)

夕顔
〔八後〕
〔夕顔に通う〕
しひておはしまさせ
     そめてけり
人の定めあなづりし
    下の品ならめ
    (下の品・推定)
おのれも隈なきすき心にて、
     いみじくたばかり
         (簡単)

〔九〕は序で述べた如く筋の破綻するところなので、できるだけ詳しく検討する。
〔九〕の前半(二五五ページ三行目まで)は、「女も、いとあやしく心得ぬ心地のみして」いたたまれず、「御在所見せむと尋ぬれど」(源氏のお住まいをお教えくださいと尋ねるけれども)と夕顔は積極的で行動的である。遊女性を持つ可能性も否定できない。しかし、夕顔〔三〕で「光源氏様ではありませんか」とほぼ確信を持って言いあてた女(遊女的夕顔)とすれば不自然である。遊女的とも断言できない。「女、さしてその人と尋ね出で給はねば、われも名のりをし給はで……」(〔九〕の一行目)に誘発された行動とも理解できる。それでも児めきて的夕顔より積極的である。「夕顔のしるべせし随身」を中心に考察する必要がある。記号で表すとEとC?→Bが適当である。
〔九〕の中間部(二五五ページ三行目〜二五六ページ一一行目まで)では、「人のけはひ、いとあさましく柔かにおほどきて、もの深く重き方は後れて、ひたぶるに若びたるものから……」(この人の様子は、おどろきあきれるほどのんびりしていて、深い情趣を解するほど知性的ではなく、ただただ少女っぽい)という夕顔像が浮かび上がってくる。また「女方も、あやしう様違ひたる物思をなむしける」とあり、消極的であり、跡をつけるなど積極的な行動は起こしていない。当然児めきて的夕顔である。しかし「いとやむごとなきにはあるまじ」とあるから下の品とは断定されない。(EとC)
〔九〕の後半(二五六ページ一一行目〜二五七ページ五行目まで)では、「『世づかぬ御もてなしなれば、もの恐しくこそあれ』と、いと若びてい」う女であり、「いみじく靡きて、さもありぬべう思ひたり」となる人物である。一見、児めきて的夕顔のようである。また、「ひたぶるに従ふ心は、いとあはれげなる人」とあるから遊女的ではない。しかし〔九後〕の殆ど同じ状況の〔一〇〕では「『いかでか、にはかならむ』と、いとおいらかに言ひて居たり」しているのだから、〔一〇〕のほうがより児めきて的夕顔である。更に〔九後〕の終わりに「なほかの頭の中将の常夏疑はしく」とあるから、ここでの女は性格的には児めきて的女に近いが、巻中での役割としては常夏の君の役割を担っているのである。(A?とC)
〔一〇〕では「されどのどかに、つらきも優きも……思ひ入れたる様ならで、わがもてなし有様は、いとあてはかに児めかしくて」とあるから当然少女っぽい、児めいた夕顔である。また「はなやかならぬ姿、いとらうたげにあえかなる心地して、そこと取り立ててすぐれたる事もなけれど、ほそやかにたをたをとして、物うち言ひたるけはひ、あな心苦し、とただいとらうたく見ゆ。心ばみたる方をすこし添へたらば……」(心苦しいほど幼くたどたどしい様子であり、趣を解する心もまだ未熟で……」とあるから、児めきて的夕顔である。
 そして「いざ、ただこのわたり近き所に、心安くて明さむ」と源氏が誘うと、「『いかでか、にはかならむ』と、いとおいらかに言ひて」いるのである。源氏が詠みかけた和歌に対して返歌しても、「かやうの筋なども、さるは、こころもとなかめり」とあり、〔五後〕の「書き馴れたる手して、口疾く返事などし侍りき」夕顔とは全く違っているのである。(C)
〔一一〕では、「女はぢらひて、『山の端の心も……心細く』」とあるから「口疾く返事など」する遊女的夕顔ではない。また頭中将のことも出ていないし、子供の存在など全く感じさせないから常夏の女でもない。よって児めきて的夕顔とある。(C)
〔一二〕では源氏が〔三〕を受けて「露の光りやいかに」と宣うと、「後目も見おこせて、『光ありと見し夕顔のうは露はたそがれどきのそら目なりけり』とほのかにいふ」のであるから遊女的であるし、遊女的夕顔〔三〕の和歌を直接受けている点でも遊女的である。また正体不明ゲームのやりとりも「いとあいだれたり」と描写され、児めきて的夕顔ではない。(B)
〔一三〕では直接的な夕顔の描写はないが、惟光が「わがいとよく思ひ寄りぬべかりしことを、ゆづり聞えて、心ひろさよ」などと述べ、源氏に対して不遜であり、文章は〔一二〕からそのままつながっているので、遊女的夕顔の次元にある。(‘B)
〔一四〕では「女も、かかる有様を思の外にあやしき心地はしながら」行動を起こしたり言葉をかけたりもしないで、「すこしうちとけ行く気色、いとらうたし。……物をいと恐しと思ひたる様、若う心苦し」とあるから〔一一〕と同じ理由で児めきて的夕顔である。(C)
〔一五〕は六條わたりについてであり、夕顔像の記述はない。
〔一六〕では「この女君いみじくわななき惑ひて、いかさまにせむと思へり……われかの気色なり。『ものおぢをなむ理なくせさせ給ふ本性にて、いかに思さるるにか』と右近も聞ゆ。いとか弱くて……」とあり、児めきて的夕顔であろう。要するに幼いのである。「いといたく若びたる人にて」という表現からもそれがわかる。そしてここで夕顔は亡くなってしまうのであるから、これ以降は夕顔についての思い出の描写となる。(C)
〔一七〕から〔二一〕までは、〔一八〕に「いとささやかにて、うとましげもなく、らうたげなり」と死後の描写があるだけで、夕顔の性格がはっきりする描写はない。しかし、〔一七〕から〔二一〕までは、いささかくどい印象はあるものの、文章がこの怪死事件をめぐって流れるように続いており、〔一六〕と同じ次元にあると考えられる。(〔一八〕はC、他は‘C)
〔二〇〕に頭中将が登場するが、この登場には中将が帚木〔一三〕で語った常夏の君を思い出させるような描写もないし、子供に関する注意の喚起もない。「胸つぶれ給」うという言葉が若干ひっかかるだけであるが、これとて常夏の女を前提にするとはいい難い。またこの話は怪死事件の事後談と考えられるので、児めきて的夕顔の続きと考えられる。(‘C)
〔二二〕から、〔二四〕は、源氏が東山の尼寺に夕顔の屍を見にゆく場面で、夕顔像の正確な描写はない。〔二三〕で死顔が「いとらうたげなる様」であるから、〔一八〕と同じ書き方である。(C)
〔二五〕は右近を二條院に迎え源氏の病がようやく治るところで、夕顔の描写はない。
〔二六〕は右近から夕顔の素姓を聞かされるところである。「親達は早う亡せ給ひにき。三位中将となむ聞えし」と素姓が明らかにされていく。ここではじめて源氏は、はっきり「幼き人惑したりと、中将の憂へしは、さる人や」と問い、夕顔が常夏の君であったとなるのである。(A)
〔二七〕は〔二六〕と同じように右近が源氏に夕顔の素姓を話すところであるが、ここでは頭中将など一切出てこない。「かのありし院に……いと恐しと思ひたりし様の、面影にらうたく思ほし出でらるれば……」「ものはかなげにものし給ひし人の……」「はかなびたるこそはらうたけれ」と夕顔のことが回想されている。性格的には児めいた夕顔のようであるが、これらだけからは断定できない。しかし少なくとも〔二六〕の断定的表現より〔二七〕のほうが先に書かれたことはわかる。また、頭中将も子供も存在しないので常夏ではない。(次章で詳論)(C?)
〔二八〕〔二九〕は空蝉と軒端の荻の話で夕顔の描写はない。
〔三〇〕は「頭の中将を見給ふにも、あいなく胸騒ぎて、かの瞿麦の生ひたつ有様、聞かせまほしけれど、かごとに懼ぢてうち出で給はず」とあり、頭中将と子供について述べているので常夏の君の役割である。(A)
〔三一〕も「頭の君に懼ぢ聞えて」「若君の上をだにえ聞かず」とあるから常夏の君である。(A)
〔三二〕は空蝉の話で夕顔の描写はない。
〔三三〕は帚木三帖のまとめとして最後に書かれたものであろう。

 以上、夕顔の性格について検討してきたが、それを整理すると表13になる。この表からも明らかなように、夕顔の類型分類は明確には行い得なかった。その原因は、文章が短すぎたり、特徴ある描写が不足していることもあるが、初めに述べた如く、分類基準が統一されていないためでもある。児め

表13 夕顔の類型分類







節 




























〔一〕
〔二〕 E’
〔三〕
〔四〕
〔五前〕
〔五後〕
〔八前〕 A?
〔八後〕
〔九前〕 C?→B
〔九中〕
〔九後〕 A?
〔一〇〕
〔一一〕
〔一二〕
〔一三〕 B’
〔一四〕
〔一六〕
〔一七〕 C’
〔一八〕
〔一九〕 C’
〔二〇〕 C’
〔二一〕 C’
〔二二〕
〔二三〕
〔二四〕
〔二五〕
〔二六〕
〔二七〕 C?
〔三〇〕
〔三一〕
〔六〕〔七〕〔一五〕〔二八〕〔二九〕は除く。
 ’は前の節と連続していると考えて分類。

きて的夕顔を下の品風女としてもよいし、常夏的夕顔も児めきて的夕顔でもよいのである。
 しかし、この分類作業が無駄かというと決してそうではない。少なくとも夕顔の巻の全体的基調は、下の品風の女で児めきて的性格を持つものが物語の主人公であり、初めは性格を持たない漠然とした下の品風の女であったものが児めきて的夕顔に移行し、次々に遊女的、常夏の女性へと変化したと考えられる。下の品を思わせる夕顔、児めきて的夕顔、遊女的夕顔、常夏的夕顔も紫式部は意図的に執筆し、これらを簡単には分離できないようにあえてブリッジさせていると考えられるのである。それ故、それぞれの夕顔像についてもっと徹底的に検討してゆけば、紫式部の意図や後期挿入の技法がより明らかになるはずである。