47巻  総  角


畳語、繰り返し文字は文字になおしてあります。和歌部分は『 』で囲んであります。句点は「。」になおしてあります。

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あまたとしみみなれ給にし河風も・この秋はいとはしたなくものかなしくて・御はての事いそかせ給・おほかたのあ
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こにまいれり・名香のいとひきみたりて・(1オ)」かくてもへぬるなとうちかたらひ給ふほとなりけり・むすひあけた
るたたりのすたれのつま木丁のほころひよりすきて見えけれは・その事とこころえてわかなみたをはたまにぬかなん
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『ぬきもあえすもろきなみたのたまのをになかきちきりをいかかむすはん』・とあれは・あはすはなにをとうらめし
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ほそくなともことに思いれぬを・この人人あやしうこころこはきものににくむめるこそいとわりなけれ・けにさの
みやうのものとすくしたまはむも・あけくるる月日にそへても・御事をのみこそあたらしく心くるしうかなしきもの
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こえ給ひけん・はかはかしくもあらぬ身のうしろめたさは・かすそひたるやうにこそおほされたりしか・心ほそき御
なくさめに(17ウ)」は・かくあさゆふに見たてまつるよりいかなるかたにかとて・なまうらめしくおもひたまへれは・
けにといとをしくて・なをこれかれうたてひかひかしきものにいひ思ふへかめるにつけて・思ひみたれ侍そやと・い
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きこえつたへて・うらみたまふもことはりなるよしをつふつふときこゆれは・いらへもし給はす・うちなけきていか
にもてなすへき身にかはと・ひとところおはせましかは・ともかくもさるへき人にあつかはれたてまつりて・すくせ
といふなるかたかたにつけつつ・みを心ともせぬ(18オ)」よなれは・みなれいの事にてこそは人わらへなるとかをもか
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かう・けせうにこれかれにもくちいれさせす・しのひやかにいつ・ありけんことともなくもてなして・こそとおもひ
そめたまふける事なれは・御心ゆるし給はすは・いつもいつもかくてすくさんとおほしのたまふを・このおい人のをの
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オ)」ゆる・ひめ宮おほしわつらひて・辨かまいれるにのたまふ・としころも人ににぬ御心よせとのみのたまひわたり
しを・ききをき・いまとなりては・よろつにのこりなくたのみきこえて・あやしきまてうちとけにたるを・おもひし
にたかふさまなる御心はへのましりて・うらみたまふめるこそわりなけれ・世に人めいてもあらまほしき身ならは・
かかる御事をもなにかはもてはなれてもおもはまし・されとむかしより思ひはなれにたる心にて・いとくるしきを・
この君のさかりすきたまはむもくちをし・けにかかるすまゐもたたこの御ゆかりひとつにところせくのみおほゆるを
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るものから・あるへかしきさまをのたまひつつくれは・いとあはれと見たてまつる・さのみこそはさきさきも御けし
きを見たまふれは・いとよくきこえさすれと・さはえ思ひあらたむまし・兵部卿の宮の御うらみもふかさまさるめれ
は・又そなたさまにいとよくうしろみきこえんとなんのたまふ・それもおもふやうなる御事ともなり・ふたところな
からおはしまして・ことさらいみしき御心をつくして・(20オ)」かしつききこえさせ給はんに・えしもよにありかたき
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御事ともさしつとひたまはさらまし・かしこけれとかくいとたつきさなけなる御ありさまを見たてまつるに・いかにな
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まはの事ともするに・御くしをかきやるにさとうちにほひたる・たたありしなからのにほひになつかしうかうはしき
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にて・けふりもおほくむすほほれ給はすなりぬるもあへなしとあきれてかへり給ぬ・御いみにこもれる人かすおほく 
て・心ほそさはすこしまきれぬへけれと・中の宮は人のみ思はん事もはつかしきみのうさを思ひしつみ給て・又なき
人にみえたまふ宮より(74ウ)」も御とふらひいとしけくたてまつりたまふ・思はすにつくつくと思ひきこえ給へりしけ
しきもおほしなほらてやみぬるをおほすに・いとうき人の御ゆかりなり・中納言かくよのいと心うくおほゆるついて
に・ほいとけんとおほさるれと・三条の宮のおほさんことにははかり・この君の御事の心くるしさとに思みたれて・
かののたまひしやうにて・かたみにも見るへかりけるものを・したの心は身をわけ給へりとも・うつろふへくはおほ
えさりしを・かうもの思はせたてまつるよりは・たたうちかたらひてつきせぬなくさめにも見たてまつりかよはまし
ものをなとおほす・かりそめに京にもいてたまはす・かきたえなくさむかたなくてこもりおはするを・よ人もおろか
ならす思ひ給へる事とみききて・うちより(75オ)」はしめたてまつりて・御とふらひおほかり・はかなくて日ころはす
きゆく・七日七日の事ともいとたうとくせさせ給つつ・をろかならすけうし給へと・かきりあれは御そのいろのかは
らぬを・かの御方の心よせわきたりし人人のいとくろうきかへたるをほのみたまふて
  『くれなゐにをつるなみたもかひなきはかた身のいろをそめぬなりけり』・ゆるしいろの〈つやなと〉こほりとけぬ
かと見ゆるを・いととぬらしそへつつなかめ給さまいとなまめかしうきよらなり・人人のそきつつ見たてまつりて
・いふかひなき御事をはさるものにて・このとののかくならひたてまつりて・いまはとよそに思ひきこえんこそあた
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らしうくちをしけれ・思ひのほかなる御(75ウ)」すくせにもおはしけるかな・かくふかき御心〈さし〉のほとをかた
かたにそむかせ給つるよとなきあへり・この御方にはむかしの御かたみにいまはなにこともきこえうけ給はらんとな
ん思ふたまふる・こ〈う〉と〉としくおほしへたつるときこえ給へと・よろつの事うきみなりけりとのみつつましく
て・またたいめんしてものなともきこえたまはす・この君はけさやかなる方にいますこしこめき・けたかくおはする
ものからなつかしうにほひある心さまそおとり給へりけると事にふれておほゆ・ゆきのかきくらしふるひひねもすに
なかめくらして・よの人のすさましき事にいふなるしはすの月よのくもりなくさしいてたるを・すたれまきあけて見
たまへは・むかひのてらのかねのこゑまくらをそはたててけふもくれぬとかすかなるひひきをききて(76オ)」
  『をくれしとそらゆく月をしたふかなつゐにすむへきこのよならねは』・風のいとはけしけれは・しとみおろさせた
まふに・よもの山のかかみと見ゆる〈月かけに〉みきはのこほり月かけに〈れるわたり〉いとおもしろし・京のいへ
のかきりなくとみかくもえかうはあらぬはやとおほゆ・わつかにいきいててものし給はましかは・もろともにきこえ
ましと思ひつつくるそ・むねよりあまる心ちする
  『こひわひてしぬるくすりのゆかしきにゆきの山にやあとをけなまし』・中はなる偈をしへむをにも哉事つけて身も
なけんとおほすそ・心きたなきひしり心なりける・人人ちかうよひいてたまひてものかたりなとせさせ給ふ・けは
ひなとのいとあらまほしうのとやかに心ふかきを見たてまつる人人・わかきは心にし(76ウ)」めてめてたしと思ひた
てまつる・おいたるはたたくちをしういみしき事をいととおもふ・御心ちのおもくならせ給ひし事も・たたこの宮の御
事をおもはすに見たてまつり給て・人わらへにいみしとおほすめりしを・さすかにかの御方にはかく思ふとしられた
てまつらしと・たた御心ひとつによをうらみ給ふめりしほとに・はかなき御くたものをもきこしめしふれす・たたよ
はりになんよはらせたまふめりし・うはへにはなにはかり事事しうものふかけにもてなさせ給はて・したの御心の
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かきりなくなに事もおほすめりしに・こ宮の御いましめにさへたかひぬる事とあいなう人の御うへをおほしなやみそ
めしなりときこえて・おりおりにの給し事なとかたりいてつつ・たれもたれもなきまとふ事つきせす・我心から(77オ)」
あちきなき事を思はせたてまつりけんことと・とりかへさまほしくなへてのよもつらきに・ねんすをいととあはれに
し給ひて・まとろむほとなくあかし給ふに・またよふかきほとのゆきのけはひいとさむけなるに・人人こゑあまた
して・むまのをとまきこゆるに・なに人かはかかるさよ中にゆきをわくへきと大とくたちもおとろき思へるに・宮か 
りの御そにいたうやつれてぬれぬれいり給へるなりけり〈り〉・うちたたき給ふさまさななりときき給て・中納言は
かくろへたる方にいり給て・しのひておはす・御いみは日かすのこりたりけれと・心もとなくおほしわひて・よひと
よゆきにまとはされてそおはしましける・ひころのつらさも〈すこし〉まきれぬへきほとなれと・たいめんし給へき
心ちもせす・おほしなけきたるさまのはつかしかりしを・やかて見(77ウ)」なをされ給はすなりにしも・いまよりのち
の御心あらたまらんはかひなかるへく思ひしみてものし給へは・たれたれもいみしうことはりをきこえしらせつつ・
ものこしにてそ日ころのをこたり〈も〉つきせすの給ふを・つくつくとききゐ給へり・これもいとあるかなきかにて
をくれたまふましきにやときこゆる御けはひの心くるしさを・うしろめたういみしと宮も〈は〉おほしたり・けふは
御身をすててとまりたまひぬ・ものこしならてといたうわひ給へと・いますこしものおほゆるほとまてはへらはとの
みきこえ給てつれなきを・中納言もけしききき給て・さるへき人めしいてて御ありさまにたかひて・心あさきやうな
る御もてなしのむかしもいまも心うかりける月ころのつみは・さも思ひきこえたまひぬへき事なれと・にくからぬさ
まにこそ・かうかへたてまつり給はめ・かやうなる(78オ)」事また見しらぬ御心にて・くるしうおほすらんなとしのひ
てさかしかり給へは〈と〉・いよいよこの君の御心にもはつかしうて・えきこえ給はす・あさましう心うくおはしけ
り・きこえしさまをもむけにわすれ給ける事と・をろかならすなけきくらし給へり〈つ〉・よるのけしきいととけは
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しき風のをとに・人やりならすなけきふし給へるもさすかにて・れいのものへたててきこえたまふ・ちちのやしろを
ひきかけて・ゆくさきなかき事をちきりきこえ給ふも・いかてかくくちなれたまひけんと心うけれと・よそにてつれ
なきほとのうとましさよりは・あはれに人の〈御〉心もたをやきぬへき御さまをひとり〈か〉たにもえうとみはつま
しかりけり・たたつくつくときき〈給〉て
  『きしかたをおもひいつるもはかなきをゆくすゑかけて(78ウ)」なにたのむらん』・とほのかにのたまふ中中いふせ
う心もとなし
  『ゆくすゑをみしかきものとおもひなはめのまへにたにそむかさらなん』・なに事もいとかうみるほともなきよをつ
みふかくなおほしないそと・よろつにこしらへ給へと・心ちもなやましくなんとていりたまひにけり・人の見るらん
もいと人わろくてなけきあかし給ふ・うらみんもことはりなるほとなれと・あまりに人にくくもとつらき〈に〉なみ
たのをつれは・ましていかにおもひ〈給〉つらんとさまさまあはれにおほししらる・中納言のあるしかたにすみなれ
て・人人やすらかによひつかひ・人もあまたしてものまいらせなとしたまふを・あはれにもおかしうも御らんす・
いといたうやせあをみてほれほれしきまて物を思ひたれは・心くるしと見たまひて・まめ(79オ)」やかにとふらひたま
ふ・ありしさまなとかひなき事なれと・この宮にこそ〈は〉きこえめとおもへと・うちいてんにつけてもいと心よは
くかたくなしく〈う〉見えたてまつらんにははかりて・事すくななり・ねをのみなきて日かすへにけれは・かほかは
りのしたるも見くるしうはあらて・いよいよものきよけになまめいたるを・女ならはかならす心うつりなんと・をの
かけしからぬこころならひにおほしよるもなまうしろめたかりけれは・いかて人のそしり〈を〉もうらみをもはふき
て・京にうつろはしてんとおほす・かくつれなきものからうちわたりにもきこしめして・いとあしかるへきにおほし
わひて・けふはかへらせたまひぬ・をろかならすことのはをつくし給へと・つれなきはくるしきものをとひとふしお
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 ほししら(79ウ)」せまほしうて・心とけすなりぬ・としのくれかたにはかからぬところたに・そらのけしきれいにはに
ぬを・あれぬ日なを〈く〉ふりつむゆきにうちなかめつつあかしくらしたまふ・心地つきせすゆめのやうなり〈御わ
さもいかめしうせさせ給〉・宮よりも御す行なとこちたきまてとふらひきこえ給ふ・かくてのみやはあたらしきとし
さへなけきすくさん・ここかしこにもおほつかなくてとちこもり給へる事をきこえ給へは・いまはとてかへり給はむ
心ちもたとへんかたなし・かくおはしならひて・〈僧もそくも〉人しけかりつるなこりなくならんを・おもひわふる
人人いみしかりしをりのさしあたりてかなしかりしさはきよりも・うちしつまりていみしうおほゆ・時時おりふ
しおかしやかなるほとにきこえかはし給ひしとしころよりも・かくのとやかにてすくし給へる(80オ)」ひころの御あり
さまけはひのなつかしうなさけふかうはかなき事にもま〈めやか〉なるかたにもおもひやりおほかる御心はへを・い
まはかきりに見たてまつりさしつることとおほほれあへり・かの宮よりはなをかうまいりくる事もいとかたきを思ひ
わひて・ちかうわたい〈し〉たてまつるへき事を〈らんところを〉なん・たはかり〈もとめ〉いてたるときこえたま
へり・きさいの宮きこしめしつけて・中納言もかくをろかならす思ひほれてゐたなるは・けにをしなへておもひかた
うこそはたれもおほさるらめと心くるしかりたまひて・二条の院のにしのたいにわたい〈し〉たまて・時時もかよ
ひたまふへくしのひてきこえ給けれは・女一の宮の御方に事よせておほしなるにやとおほしなから・お(80ウ)」ほつか
なかるましきはうれしくてのたまふなりけり・さななりと中納言もききたまひて・三条の宮もつくりはててわたい
〈し〉たてまつらん〈と〉事をおもひしものを・かの御かはりになすらへても見るへかりけるをなとひきかへし心ほ
そし・宮のおほしよるめりしすちはいとにけなき事に思ひはなれて・おほかたの御うしろみは・我ならては又たれか
はとおほすとや(81オ)」


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