33巻  藤 裏 葉


畳語、繰り返し文字は文字になおしてあります。和歌部分は『 』で囲んであります。句点は「。」になおしてあります。

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御いそきのほとにも・宰相中將はなかめかちにて・ほれほれしきここちするを・かつはあやしく・わか心なからしう
ねきそかし・あなかちにかうおもふ事ならは・せきもりのうちもねぬへきけしきにおもひよはりたまふなるをききな
から・おなしくは人わるからぬさまにみはてんとねんするもくるしうおもひみたれたまふ・女きみも・おととのかす
め給し事のすちを・もしさもあらは・なにのなこりかはとなけかしうて・あやしくそむきそむきに・さすかなる御もろ
こひなり・おとともさこそこころつよかりたまひしかと・たけからぬにおほしわつらひて・かの宮にもさや(1オ)」う
におもひたちはてたまひなは・又とかくあらためおもひかかつらはむほと・人のためもくるしう・わか御かたさまに
も・人わらはれに・をのつからかるかるしき事やましらむ・しのふとすれと・うちうちの事あやまりもよにもりにた
るへし・とかくまきらはして・なをまけぬへきなめりとおほしなりぬ・うへはつれなくて・うらみとけぬ御中なれは
・ゆくりなくいひよらんもいかかとおほしははかりて・事事しくもてなさむも・人のおもはむところおこなり・い
かなるついてしてかはほのめかすへきなとおほすに・三月廿日大殿・大宮の御き日にてこくらくしにまうて給へり・
(1ウ)」きみたちみなひきつれいきほひあらまほしう・かむたちめなともあまたまいりつとひたまへるに・宰相中將お
さおささけはいおとらす・よそほしくてかたちなと・たたいまのいみしきさかりにねひゆきて・とりあつめ・めてたき
人の御ありさまなり・このおととをはつらしと思きこえ給しより・みえたてまつるも心つかひせられて・いといたう
よういしもてしつめてものし給を・おとともつねよりはめととめ給・みす行なとも・六条院よりもせさせ給へり・宰
相の君はましてよろつをとりもちてあはれにいとなみつかうまつりたまふゆふかけてみなかへりたまふほと・花はみ
なちりみたれ・(2オ)」かすみたとたとしきに・おととむかしおほしいてて・なまめかしううそふきなかめ給ふ・宰相
もあはれなるゆふへのけしきに・いととうちしめりて・あまけありと人人さはくに・なをなかめいりてゐ給へり・
心ときめきにみたまふことやありけん・そてをひきよせて・なとかいとこよなくはかうしし給へる・けふのみのりの

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えにもたつねおほさは・つみゆるし給てよや・のこりすくなくなりゆくすゑの世に・思ひすて給へるもうらみきこゆ
へくなとのたまへは・うちかしこまりて・すきにし御おもむけもたのみきこえさすへき〈さまに〉うけ給はりをく事
侍りしかと・ゆるし(2ウ)」なき御けしきにははかりつつなんときこえ給・こころあはたたしきあま風にみなちりちり
にきほひかへりたまひぬ・きみいかにおもひて・れいならすけしきはみたまひつらんなと・よとともに心をかけたる
御あたりなれは・はかなき事なれと・みみととまりて・とやかうやとおもひあかし給・ここらのとしころのおもひの
しるしにや・かのおとともなこりなくおほしよはりて・はかなきついてのわさとはなく・さすかにつきつきしからむ
をおほするに・四月ついたちころ・御まへのふちのはないとおもしろうさきみたれて・よのつねの色ならす・たたに
みすくさん事おしき(3オ)」さかりなるに・あそひなとし給て・くれゆくほとのいとといろまされるに・頭中將して御
せうそこあり・ひとひの花のかけのあかすおほえ侍しを・御いとまあらはたちよりたまひなんやとあり・御ふみには
『わかやとのふちのいろこきたそかれにたつねやはこぬはるのなこりを』・けにいとおもしろきえたにつけ給へるも
・こころときめきせられてかしこまりきこえたまふ
『なかなかにおりやまとはんふちのはなたそかれときのたとたとしくは』・ときこえてくちおしくこそおくしにけれ
とりなをし給へよときこえ給・(3ウ)」御ともにこそとのたまへは・わつらはしきすいしむはいなとてかへしつ・おと
とのおまへにかくなんとてこらむせさせ給・おもふやうありてものしたまへるにやあらん・さもすすみものし給はは
こそは・すきにしかたのけうなかりしうらみもとけめとのたまふ・御心おこりこよなうねたけなり・さしも侍らし・
たいのまへのふちつねよりもおもしろうさきて侍るなるを・しつかなるころおひなれは・あそひせんとにや侍らんと
申たまふ・わさとつかひさされたりけるを・はやうものしたまへとゆるし給・いかならむとしたにはくるしうたたな
らす・なをしこそ(4オ)」あまりこくてかろひためれ・ひさむきのほと・なにとなきわか人こそ・ふたあひはよけれ・

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ひきつくろはんやとて・わか御れうのこ〈こ〉ろことなるに・えならぬ御そともくして御ともにもたせてたてまつり
たまふ・わか御かたにて心つかひいみしうけさうして・たそかれもすき・心やましきほとにまうてたまへり・あるし
の君たち・中將をはしめて七八人うちつれてむかへいれたてまつる・いつれとなくおかしきかたちともなれと・なを
人にすくれて・あさやかにきよらなるものから・なつかしうよしつきはつかしけなり・おととおましひきつくろはせ
なとし給御よういおろかなら(4ウ)」す・御かうふりなとしたまひていて給ふとて・きたのかた・わかき女房なとにの
そきてみ給へ・いとかうさくにねひまさる人なり・よういなといとしつかにものものしや・あさやかにぬけいておよ
すけたるかたは・ちちおととにもまさりさまにこそあめれ・かれはたたいとせちになまめかしう・あいきやうつきて
・みるにゑまほしく・世中わするる心ちそし給・おほやけさまはすこしたはれてあされたるかたなりし・事はりそか
し・これはさえのきはもまさり・心もちゐ・ををしく・すくよかに・たらひたりと・よにおほえためりなとのたまひ
て・ひきつくろひてそたいめし給・ものまめやかにむヘむヘしき御もの(5オ)」かたりはすこしはかりにて・花のけふ
にうつりたまひぬ・春のはないつれとなくみなひらけいつるいろことに・めおとろかぬはなきを・心みしかくうちす
ててちりぬるかうらめしうおほゆるころをひ・この花のひとりたちを〈くれて〉なつにさきかかるほとなん・あやし
う心にくくあはれにおほえ侍・いろもはたなつかしきゆかりとしつへしとて・うちほをゑみ給へるけしきありてにほ
ひきよけなり・月はさしいてぬれと・はなのいろさたかにみえぬほとなるを・もてあそふに・心をよせておほみきま
いり御あそひなとしたまふ・おととほとなくそらゑひをしたまひて・みたりかはしく・(5ウ)」しゐゑはし給を・さる
心していたうすまひなやめり・君はすゑのよにはあまるまて・あめのしたのいうそくにものし給めるを・よはひふり
ぬる人おもひすて給なんつらかりける・文籍にも家禮といふ事のあるへくや・なにかしのをしへもよくおほししるら
んと思給ふるを・いたう心なやまし給ふとうらみきこゆへくなんなとのたまひて・ゑひなきにやおかしきほとに・け

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しきはみたまふ・いかてかむかしをおもひたまへいつる御かはりともにはみをすつるさまにもとこそおもひ給へしり
侍るを・いかに御覽しなす事にか侍らん・もとよりおろかなるこころのおこたり(6オ)」にこそとかしこまりきこえた
まふ・御ときよくさうときて・ふちのうら葉のとうちすしたまへる御けしきをたまはりて・頭中將花の色こくことに
ふさなかきをおりて・まらうとの御さかつきにくはふ・とりてもてなやむにおとと
『むらさきにかことはかけんふちのはなまつよりすきてうれたけれ』とも宰相さか月をもちなからけしきはかりはい
したてまつり給へるさまいとよしあり
『いくかへりつゆけきはるをすくしきてはなのひもとくおりにあふらむ』頭中將にたまへは(6ウ)」
『たをやめのそてにまかへるふちの花みる人からやいろもまさらむ』つきつきすんなかるめれと・ゑひのまきれには
かはかかしからて・これよりまさらす・七日のゆふつくよかけほのかなるに・いけのかかみのとかにすみわたれり・
けにわつかなるこすゑとものさうさうしきころなるに・いたうけしきはみよこたはれるまつのこたかきほとにはあら
ぬに・かかれるはなのさまよのつねならす・おもしろし・れいの辨少將こゑいとなつかしうて・あしかきをうたふ・
おとといとけやけうもつかうまつるかなとうちみたれ給て・としへにけるこのいゑのとうちくはへたまへる御こゑい
とおもし(7オ)」ろし・おかしきほとに・みたりかはしき御あそひにてもの思のこらすなりぬめり・やうやう夜ふけゆ
くほとに・いたうそらなやみして・みたりここちいとたへかたうてまかてむそらもほとほとしうこそ侍ぬへけれ・と
のゐところゆつりたまひてんやと・中將にうれへ給・おととあそんや御やすみところもとめよ・おきないたうゑひす
すみて・むらいなれはまかりいりぬといひすてていり給ぬ・中將花のかけのたひねよ・いかにそやくるしきしるへに
て侍やといへは・まつにちきれるはあたなるはなかは・ゆゆしやとてせめ給ふ・中將は心のうちにねたのわさやとお
もふところあれと・人さまの思ふさま(7ウ)」にめてたきに・かうもありはてなんと心よせわたることなれは・うしろ

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やすくみちひきつおとこきみはゆめかとおほえ給にも・わかみいととはつかしうそおほえたまひけんかし・女はいと
はつかしとおもひしみてものしたまふも・ねひまされる御ありさまいととあかぬところなく・めやすし・よのためし
にもなりぬへかりつる身を・こころもてこそかうまてもおほしゆるさるめれ・あはれをしりたまはぬもさまことなる
わさかなと・とけぬ御けしきをうらみきこえ給・少將のすすみいたしつるあしかきのおもむきはみみととめたまひつ
や・いたきぬしかなな・かはくちのとこそいらへまほし(8オ)」かりつれとの給へは・女いとききくるしとおほして
『あさきなをいひなかしけるかはくちはいかかもらししせきのあらかき』・あさましとのたまふさまいとこめきたり
・すこしうちわらひて
『もりにけるくきたのせきをかはくちのあさきにのみはおほせさらなん』・とし月のつもりもいとわりなくて・なや
ましきにものおほえすとゑひにかこちて・くるしけにもてなして・あくるもしらすかほなり・人人きこえわつらふ
を・おととしたりかほなるあさいかなと・とかめ給ふ・されとあかしはててそいて給・ねくたれの御あさかほみるか
ひありかし・(8ウ)」御ふみはなを〈猶〉しのひたりつるさまのこころつかひにてあるを・中中けふはえきこえ給は
ぬを・ものいひさかなきこたちつきしろふに・おととわたりてみ給そいとわりなきや・つきせさりつる御けしきにい
ととおもひしらるる身のほとかな・たえぬ心に又きえぬへきも
『とかむなよしのひにしほるてもたゆみけふあらはるるそてのしつくを』・なといとなれかほ也・うちゑみててをい
みしうもかきなられにけるかななとの給も・むかしのなこりなし・御かへりいといてかたきかたけれは・みくるしや
とて・さもおほしははかりぬへき事なれはわたり給ぬ・御つかひのろくなへてなら(9オ)」ぬさまにてたまへり・中將
おかしきさまにもてなし給・つねにひきかくしつつかくろへありきし御つかひ・けふはおももちなと人人しくふる
まふめり・右近のそうなる人のむつましうおほしつかひたまふなりけり・六條のおとともかくときこしめしてけり・

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宰相つねよりもいといたうひかりそひてまいりたまへれは・うちまもり給ひて・けさはいかにふみなともものしつや
・さかしき人も・をんなのすちにはみたるるためしあるを・ひとわろくかかつらひ・こころいられせてすくされたる
なん・すこし人にぬけたりける・みこころとおほえける・おととのみをきてのあまりすくみて・なこり(9ウ)」なくく
つをれたまひぬるを・よ人もいひいつる事あらむや・さりとてもわか〈か〉た〈た〉けうおもひかほに・こころおこ
りして・すきすきしき心はへなと・もらしたまふな・さこそおい〈ら〉かにおほきなるこころをきてとみゆれと・し
たのこころはえををしからす・くせありて・人みえにくきところつき給へる人なりなと・れいのをしへきこえたまふ
・ことうちあひ・めやすき御あはひとおほさる・御こともみえす・すこしかこのかみはかりとみえたまふ・ほかほか
にては・おなしかほをうつしとりたるとみゆるを・おまへにてはさまさまあなめてたとみえたまへり・おととはうす
き御なをししろき御そのからめきたるか(10オ)」もむけさやかにつやつやとすきたるをたてまつりて・なをつきせすあ
てになまめかしうおはします・宰相とのはすこしいろふかき御なをしに・丁子そめのこかるるまてしめるここあやの
なつかしきをきたまへる・ことさらめきてえんにみゆ・くはん佛ゐてたてまつりて・御導師をそくまいりけれは・ひ
くれて御かたかたより・わらはへいたしふせなとおおやけさまにかはらす・心心にしたまへり・おまへのさほうを
うつして・きみたちなともまいりつとひて・中中うるはしき御前よりも・あやしう心つかひせられて・おくしかち
なり・宰相はしつこころなく・いよいよけさうしひきつくろひて(10ウ)」いてたまふを・わさとならねとなさけたちた
まふわか人は・うらめしとおもふもありけり・としころのつもりとりそへておもふやうなる御なからひなれは・水も
もらむやは・あるしのおととは・いととしきちかまさりをうつくしきものにおほして・いみしうもてかしつききこえ
たまふ・まけぬるかたのくちをしさは・なをおほせと・つみものこるましう・まめやかなる御心さまなとの・としこ
ろことこころなくてすくしたまへるなとを・ありかたくおほしゆるす・女御の御ありさまなとよりも・はなやかにめ

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てたくあらまほしけれは・きたのかたさふらふ人人なとは・心よからす(11オ)」思ひいふもあれと・なにのくるしき
事かはあらん・あせちのきたのかたなとも・かかるかたにてうれしとおもひきこえたまひけり・かくて六條の院の御
いそきは廿よ日のほとなりけり・たいのうへ・みあれにまうてたまふとて・れいの御かたかたいさなひきこえ給へと
・中中さしもひきつつきてもこころやましきをおほして・たれもたれもとまり給て・事事しきほとにもあらす・御
くるま廿はかりして御前なともくたくたしき人かすおほくもあらす・事そきたるしもけはひことなり・まつりのひあ
か月にまうてたまひて・かへさにはもの御らんすへき御さし(11ウ)」きにおはします・御かたかたの女はうをのをのく
るまひきつつきて・御まへところしめたるほと・いかめしう・かれはそれと・とをめよりおとろおとろしき御いきをひ
なり・おととは中宮の御はは宮す所のくるまをしさけられ給へりしおりのことおほしいてて・ときによる心をこりし
て・さやうなる事なん・なさけなきことなりける・こよなくおもひけちたりし人も・なけきおふやうにてなくなりに
きと・そのほとはのたまひけちて・のこりとまれる人人も・中將はかくたた人にてわつかになりのほるめり・宮は
ならひなきすちにておはするも・おもへはいとこそあはれなれ・すへていとさためなきよな(12オ)」れはこそ・なに事
もおもふままにていけるかきりのよをすくさまほしけれと・のこりたまはんすゑのよなとの・たとしへなきおとろへ
なとをさへ思ひははからるれはとうちかたらひたまひて・かむたちめなともおほむさしきにまいりつとひたまへれは
・そなたにいてたまひぬ・近衞つかさのつかひは・頭中將なりけり・かの大とのにていてたつところよりそ・人々は
まいりたまひける・藤内侍のすけもつかひなりけり・おほえことにて・うち春宮よりはしめたてまつりて・六條の院
なとよりも・御とふらひともところせきまて・御心よせいとめてたし・宰相中將いてたちのところにさへとふらひた
ま(12ウ)」へり・うちとけすあはれをかはし給ふ御なかなれは・かくやむことなきかたにさたまり給ぬるを・たたなら
すうちおもひけり

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『なにとかやけふのかさしよかつみつつおほめくまてもなりにけるかな』・あさましとあるをおりすくしたまはぬは
かりをいかか思けん・いとものさはかしくくるまにのるほとなれは
『かさしてもかつたとらるる草のなはかつらをおりし人やしるらん』・はかせならてはときこえたり・はかなけれと
・ねたきいらへとおほす・なをこのないしにそ思ひはなれす・はひまきれたまふへき・かくて(13オ)」御まいりは・き
たのかたそひ給へきを・つねになかなかしうは・えそひさふらひたまはし・かかるついてに・かの御うしろみをやそ
へましとおほす・うへもつゐにあるへきことのかくへたたりてすくし給を・かの人もものしとおもひなけかるらん・
この御心にも・いまはやうやうおほつかなくあはれにおほししるらむ・かたかた心をかれたてまつらんもあいなしと
おもひなり給ひて・このおりにそへたてまつり給へ・またいとあえかなるほともうしろめたきに・さふらふ人とても
わかわかしきのみこそおほかれ・御めのとたちなとも・みおよふ事の心いたるかきりあるを・みつからはえ・つとし
もさふらはさら(13ウ)」んほと・うしろやすかるへきときこえ給へは・いとよくおほしよることかなとおほして・さな
とあなたにも・かたらひのたまひけれは・いみしくうれしうおもふことかなひはへり〈ぬる〉・ここちして・人のさ
うそく・なにかの事もやむことなき御ありさまに・おとるましくいそきたつ・あまきみなん・なをこの御をひさきみ
たてまつらんのこころふかかりける・いまひとたひ〈みたてまつる〉よもやといのちをさへしふねくなして・ねんし
けるを・いかにしてかはと思ふもかなし・そのよはうへそひてまいりたまふに・御〈て〉くるまにもたちくたり・う
ちあゆみなと人わろかるへきを・わかためはおもひははからす・たたかく(14オ)」みかきたてたてまつりたまふ・たま
のきすにて・わか〈か〉くなからふるを・かつはいみしう・心くるしうおもふ・御まいりのきしき・人のめおとろく
はかりの事はせしとおほしつつめと・をのつからよのつねのさまにそあらぬや・かきりもなくかしつきすゑたてまつ
りたまひて・うへはまことにあはれうつくしとおもひきこえ給につけても・人にゆつるましう・まことにかかる事も

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あらましかはと〈おほす〉・おととも宰相のきみもたたこの事ひとつをなんあかぬ事かなとおほしける・三日すくし
てそ・うへはまかてさせたまふ・たちかはりてまいり給よ・御たいめんあり・かくおとなひたまふけちめになん・
(14ウ)」とし月のほともしられ侍れは・うとうとしきへたてはのこるましくやと・いとなつかしうのたまひて・ものか
たりなとし給・これもうちとけぬるはしめなめり・ものなとうちいひたるけはひなと・むへこそはとめさましうみ給
・又いとけたかうさかりなる御けしきを・かたみにめてたしとみて・そこらの御中にもすくれたる御心さしにて・な
らひなきさまにさたまりたまひけるも・いと事はりと思ひしらるるに・かうまてたちならひきこゆるちきり・をろか
なりやはとおもふものから・いて給きしきのいとことによそほしく・御てくるまなとゆるされ給ひて・女御の御あり
さまにことならぬを・思くらふるに(15オ)」さすかなる身のほとなり・いとうつくしけに・ひゐなのやうなる御ありさ
まを・ゆめのここちしてみたてまつるにも・なみたのみととまらぬは・ひとつものとそみえさりける・としころよろ
つになけきしつみ・さまさまうき身と思くら〈ん〉しつるいのちものへまほしう・はれはれしきにつけて・まことに
すみよしのかみもをろかならすおもひしらる・おもふさまにかしつききこえて・こころをよはぬ事はたおさおさなき
人のらうらうしさなれは・おほかたのよ〈せ〉おほえよりはしめてなへてならぬ御ありさまかたちなるに・宮もわか
き御心ちにいとこころことにおもひきこえたまへり・いとみたまへる御かたかた(15ウ)」の人なとは・このははきみの
かくてさふらひ給ふを・きすにいひなしなとすれと・それにけたるへくもあらす・いかめしうならひなき事はさらに
もいはす・こころにくくよしある御けはひを・はかなき事につけてもあらまほしうもてなしきこえ給へれは・殿上人
なともめつらしきいとみところにて・とりとりにさふらふ人々も・こころをかけたる女房のよういありさまさへ・い
みしうととのへなし給へり・うへもさるへきおりふしにはまいりたまふ・御なからひあらまほしううちとけゆくに・
さりとて・さしすきものなれす・あなつらはしかるへきもてなしはた〈つゆ〉なく・あやしくあらまほしき(16オ)」人

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のありさま心はへなり・おとともなかからすのみおほさるる御よのこなたにとおほしつる・御まいりかひあるさまに
みたてまつりなし給て・心からなれとよにうきたるやうにてみくるしかりつる・宰相のきみもおもひなくめやすきさ
まにしつまり給ぬれは・御心おちゐはて給て・いまはほいもとけなんとおほしなる・たいのうへの御ありさまのみす
てかたきにも・中宮おはしませは・おろかならぬ御こころよせなり・この御かたにもよにしられたるおやさまには・
まつ思ひきこえ給へけれは・さりともとおほしゆつりけり・なつの御かた〈の〉ときときはなやき給ましきも・宰相
のものし給へは(16ウ)」とみなとりとりにうしろめたからすおほしなりゆく・あけむとしよそちになり給御賀の事を・
おほやけよりはしめたてまつりて・おほきなるよのいそきなり・その秋太上天皇になすらふ御くらゐ給はりて・みふ
くははり・つかさかうふりなとみなそひ給ふ・かからてもよの御心にかなはぬ事なけれと・なを〈猶〉めつらしかり
ける・むかしのれいをあらためて・院しともなとなり・さまことにいつくしうなりそひ給へは・うちにまいり給ふへ
き事かたかるへきをそ・かつはおほしける・かくても猶あかすみかとはおほしめして・よのなかをははかりてくらゐ
をえゆつりきこえぬ(17オ)」事をなん・あさゆふの御なけきくさなりける・内大臣あかり給て・宰相の中將・中納言に
なり給ひぬ・御よろこひにいてたまふ・ひかりいととまさり給へるさまかたちよりはしめて・あかぬ事なきを・ある
しのおととも・なかなか人にをされ・すさましきみやつかへよりはとおほしなる・女きみの大夫のめのと六ゐすくせ
とつふやきしよの事・もののおりおりにおほしいてけれは・きくのいとおもしろくうつろひたるをたまはせて
『あさみとりわかはのきくをつゆにてもこきむらさきのいろとかけきや』・かかりしおりのひと(17ウ)」ことはこそわ
すられねと・いとにほひやかにほをゑみてたまへり・はつかしういとおしきものから・うつくしうみたてまつる
『ふたはよりなたたるそののきくなれはあさきいろわくつゆもなかりき』・いかに心をかせたまへりけるにかと・い
となれてくるしかる・御いきほひまさりて・かかる御すまひもところせけれは三条殿にわたりたまひぬ・すこしあれ

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にたるを・いとめてたくすりしなして・宮のおはしまししかたをあらためしつらひてすみ給・むかしおほえてあはれ
に思ふさまなる御すまひな(18オ)」り・せんさいともなと・ちゐさき木ともなりしも・いとしけきかけとなり・ひとむ
らすすきも心にまかせてみたれたりける・つくろはせ給やり水のみくさもかきあらためて・いと心ゆきたるけしき也
・おかしきゆふくれのほとを・ふたところなかめ給て・あさましかりしよの御おさなさのものかたりなとし給に・戀
しき事もおほく・人のおもひけん事もはつかしう女君はおほしいつ・ふる人とものまかてちからす・さうしさうしにさ
ふらひけるなと・まうのほりあつまりて・いとうれしと思あへりおとこ君(18ウ)」
『なれこそはいはもるあるしみし人のゆくへはしるややとのましみつ』女君
『なき人のかけたにみえすつれなくて心をやれるいさらゐのみつ』・なとの給ほとに・おととうちよりまかて給ける
を・もみちの色におとろかれて・わたり給へり・むかしおはしまさひし御ありさまにもをさをさかはる事なく・あた
りあたりりおとなしくすまゐ給へるさま・はなやかなるをみ給につけても・いとものあはれにおほさる・中納言もけしき
ことに・かほすこしあかみて・いととしつまりてものし給・あらまほしくうつくしけなる御あはひなれと・女はまた
かか(19オ)」るかたちのたくひもなとかなからんとみえ給へり・おとこはきはもなくきよらにおはすふる人ともも・お
まへにところえて・神さひたる事ともきこえいつ・ありつる御てならひとものちりたるを御覽して・うちしほたれ給
・この水の心たつねまほしけれと・おきなはこといみしてとの給
『そのかみのおいきはむへもくちぬらんうへしこまつもこけをひにけり』・おとこ君の宰相のめのとつらかりし御心
もわすれねはしたりかほに
『いつれをもかけとそたのむふたはよりねさしかはせる松のすゑすゑ』・おい人とももかやうの(19ウ)」すちにきこえ
あつめたるを・中納言はおかしとおほす・女君はあいなくおもてあかみくるしときき給ふ・神な月の廿日あまりのほ

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とに・六条院にきやうかうあり・もみちのさかりにて・けふあるへきたひのみゆきなるに・朱雀院にも御せうそこあ
りて・院さへわたりおはしますへけれは・よにめつらしくありかたき事にて・よ人も心ををとろかす・あるしの院か
たも御心をつくし・めもあやなる御心まうけをせさせ給ふ・みのときに行幸ありて・まつむまはとのに左右のつかさ
の御むまひきならへて・左右近衞たちそひたるさほう・五月のせ(20オ)」ちにあやめわかれすかよひたり・ひつしくた
るほとに・みなみのしむてんにうつりおはします・みちのほとのそりはしわたとのには・にしきをしきあらはなるへ
きところには・せん上をひきいつくしうしなさせ給へり・ひんかしのいけにふねともうけて・みつしところのうかひ
のおさ・院のうかひをめしならへて・うををろさせ給へり・ちゐさきふなともくひたり・わさとの御らんとはなけれ
と・すきさせ給ふみちのけうはかりになん・山のもみちいつかたもおとらねと・にしの御まへは心ことなるを・中の
らうのかへをくつし・ちうもんをひらき・きりのへたてな(20ウ)」くて・御覽せさせ給ふ・御さふたつよそひて・ある
しの御さはくたれるを・せんしありてなをさせ給ほとめてたくみえたれと・みかとはなをかきりあるゐやゐやしさを
つくしてみせたてまつり給はぬ事をなん・おほしける・いけのいををひたりの少將とり・くら人ところのたかかひの
きたのにかりつかうまつれるとりひとつかひを・みきのすけささけて・しんてんのひむかしよりおまへにいてて・み
はしのひたりみきにひさをつきてそうす・おほきをととおほせことたまひて・てうしてをものにまいる・みこたちか
んたちめなとの御まうけもめつらしきさまに・(21オ)」つねの事ともに事をそへ〈て〉つかうまつらせ給へり・みな御
ゑいになりてくれかかるほとに・かくその人めす・わさとの大樂にはあらす・なまめかしきほとに・殿上のわらはへ
まひつかうまつる・朱雀院のもみちの賀れいのふることおほしいてらる・賀王恩といふものをそうするほとに・おほ
きおととの御おとこのとをはかりなる・せちにおもしろうまふ・内のみかと御そぬきてたまふ・おほきおととおりて
ふたうし給ふ・あるしの院きくおらせ給て・青海波のおりをおほしいつ

P0597
いろまさるまかきのきくもおりおりにそて(21ウ)」うちかけしあきをこふらし・おととそのおりはおなしまひにた
ちならひきこえ給しを・われも人にはすくれ給へるみなから・なをこのきははこよなかりけるほと・おほししらる・
しくれおりしりかほ也
『むらさきのくもにまかへるきくのはなにこりなきよのほしかとそみる』・ときこそありけれときこえ給・ゆふかせ
のふきしく・もみちのいろいろこきうすきにしきをしきたる・わたとののうへみえまかふ・にはのおもに・かたちお
かしきわらはへ〈の〉やむことなきいへのこともなとにて・あをきあかきしらつるはみ・すわうえひそめなと・つね
のこと・れいの(22オ)」みつらにひたむ〈ひ〉はかりのけしきをみせて・みしかきものともをほのかにまひつつ・もみ
ちのかけに・かへりいるほと・ひのくるるもいとおしけなり・かくそなといとおとろおとろしくはせす・うへの御あそ
ひ・はしまりて・ふんのつかさの御ことともめす・もののけうせちなるほとに・御前にみな御ことともまいれり・う
たのほうしのかはらぬこゑも・すさく院は・いとめつらしくあはれにきこしめす
『あきをへてしくれふりぬるさと人もかかるもみちのおりをこそみね』・うらめしけにそおほしたるやみかと(22ウ)」
『よのつねのもみちとやみるいにしへのためしにひけるにはのにしきを』・ときこえしらせ給・御かたちいよいよね
ひととのほりたまひて・たたひとつものとみえさせ給を・中納言のさふらひたまふか・ことことならぬこそめさまし
かめれ・あてにめてたきけはひや思なしにおとりまさらん・あさやかににほはしきところはそひてさへみゆ・ふえつ
かうまつり給いとおもしろし・さうかの殿上人・みはしにさふらふなかに・辨少將のこゑすくれたり・なをさるへき 。
にこそとみえたる御なからひなめり(23オ)」


尾州家  河内本 (武蔵野書院版) 目次へ戻る

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