16巻   関 屋

畳語、繰り返し文字は文字になおしてあります。和歌部分は『 』で囲んであります。句点は「。」になおしてあります。

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いよのすけといひしは・こ院のみかとのかくれさせたまうて・又のとし・ひたちになりて・くたりにしかは・かのは
は木木も・いさなはれにけり。すまのおほむたひゐも・はるかにききて・人しれすおもひやりきこえぬにしもあらさ
りしかと・つたへきこゆへきよすかたになくて・つくはねの山をふきこすかせもうきたるここちして・いささかのこ
とつてたになくて・とし月かさなりにけり。かきれる事もなかりし・御たひなりしかと・京にかへりすみたまて・又
のとしのあきそ・ひたちはのほり(1オ)」ける。せきいる日しも・このとのは・いしやまに・御かんはたしにまいりた
まひけり。京よりかのきのかみなといひしことも・むかへにきたる人人・このとのかくまうてたまふへしと・つけ
けれは・みちのほと・さはかしからん物そとて・またあかつきよりいそきけれと・をんなくるま・おほくところせく
・ゆるきくるに・日たけぬ。うちいてのはまくるほとに・とのはあはたやまこえ給ぬとて・御さきの人人・みちも
さりあへす・きこみぬれは・せき山にみなおりゐて・ここかしこの・すきのしたにくるまともかきおろし・こかくれ
にゐ・(1ウ)」かしこまりて・すくしたてまつる。くるまなとかたへはおくらかし・さきにたてなとしたれと・なをる
いひろう見ゆ。くるまとをはかり・そてくち物のいろあひなとも・もりいてて見えたる・ゐなかひす・よしありて・
齋宮の御くたりか・なにそやうのおりの・物見くるまおほしいてらる。とのも・かく・よにかへりさかへたまふ・め
つらしひに・かすもなき御せんともみなめととめたり。九月つこもりなれは・もみちのいろいろ・こきませ・しもか
れのくさむらむら・おかしく・見えわたる。せき山より・さとくつれいてたるたひすかた・いろいろの(2オ)」あをと
もの・つきつきしき・ぬひもの・くくりそめさまさまにさるかたに・おかしく見ゆ。御くるまはすたれをろしたまう
て・かのむかしのこきみ・いまは右衞門のすけなるをめしよせて・けふの御せきむかへは・えおもひすてたまはしな
とのたまふ。御こころのうち・いとあはれにおもほしいてらるる事おほかれと・おほそうにていとかひなし。女もひ
としれす・いにしへのことわすれねは・とりかへして物あはれなり

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  『ゆくとくとせきとめかたきなみたをやたえぬしみつと人は見るらん』。えしりた(2ウ)」まはしかしと・おもふに・
いとかひなし。いし山よりいて給御むかへに・ゑもんのすけまいれり。ひと日まかりすきにし・かしこまりなとまう
す。むかしわらはにて・いとむつましくらうたき物にしたまうしかは・かうふりなとえしまて・このおほむかけにか
くれたりしを・おほえぬよのさはきありしころ・もののきこえにははかりて・ひたちにくたりし〈を〉そ・すこし・
御こころをきて・としころはおほしけれと・いろにもいたしたまはす。むかしのやうにこそあらねと・なをしたしき
いへ人のうちには・かすまへたま(3オ)」へり。きのかみといひしも・いまはかうちのかみにそなりにける。そのおと
うとの左近のそうとけて・御ともにくたれりしをそ・とりわきなしいてたまひけれは・それにそ・たれもおもひしり
てなとて・すこしも・よにしたかふこころをつかひけんなと・思いてける。すけめしよせて・御せうそこあり・い
まはおほしわすれぬへき事を・こころなかくもおは〈す〉るかなと・おもひゐたり。ひと日はちきりしられしを・さ
はおほししりけめや
  『わくらはにゆきあふみちをたのみしも(3ウ)」なほかひなしやしほならぬうみ』。せきもりの・さもうらやましく・
めさましかりしかなと・あり。としころのとたえも・うゐうゐしく・なりにけれと・こころにはいつとなう・たたい
まのここちするならひになん・すきすきしくそ・いととにく〈ま〉れんやとて・たまへれは・かたしけなうて・もて
いきて・なほきこえたまへ・なにかは・むかしのやうにもあらす・すこしおほしのく事もやあらんとおもひたまふる
に・おなしやうなる・御けしきのなつかしさなん・いとありかたき・すさひ事そ・ようなき御ことと思へと・(4オ)」
えこそすくよかにきこえかへさね・をんなにては・まけきこえたまへらんに・つみゆるされぬへし・なといふ。いま
はまして・いとはつかしく・よろつ・うゐうゐしきここちすれと・めつらしきにや・えしのはれさりけん
  『あふさかのせきやいかなるせきなれはしけきなけきのなかをわけけん』。ゆめのやうになんときこえたり。あはれ

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も・つらさも・わすられぬふしとおほしをかれたる人なれは・おりおりはなをのたまひうこかしけり。かかるほとに
・このひたちのかみおひのつもりに(4ウ)」や・なやましうのみして・ものこころほそかりけれは・こともに・たたこ
のきみの御事をいひおきて・よろつのこと・この御心にまかせて・わかありつるよにかはらて・つかうまつれとのみ
いひけり。をんなきみ・心うきすくせありて・この人にさへ・おくれて・いかなるさまにはふれまとふへきにかと・
おもひなけきたまふを・見つつ・いのちはかきりあるものなれは・おしみととむへきかたなし。いかてこの人のおほ
んために・のこしをくたましひもかな・わかことものこころ〈もしらぬ〉をと・うしろめたくかなしき事にいひおも
へと・けにえととめぬ(5オ)」わさにて・つゐにうせぬ。しはしこそさのたまうし物をなと・なさけつくれと・うはへ
にこそあれ・なほうくつらきことおほかり。とあるもかかるも・よのことはりなれは・身ひとつのうきにて・なけき
あかしくらす。かうちのかみのみそ・むかしより・すきこころありて・すこしなさけかりける。あはれに・のたまひ
をきしを・かすならすとも・おもほしうとまて・なに事をも・のたまはせよなと・ついそうしよりて・いとあさまし
き・こころはえの見えけれは・うきすくせある身にて・かくいきとま(5ウ)」りて・はてはてはめつらしきことともを
ききそふるかなと・人しれすおもひしつみて・人にさなともしらせて・あまになりにけり。ある人人もいふかひな
しとおもひなけく・かみもいとつらう・をのれをいとひたまふほとに・のこりの御よはひは・おほくものし給らん・
いかてかすくしたまふへきなとそあめる(6オ)」


尾州家  河内本 (武蔵野書院版) 目次へ戻る

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