13巻   明 石

畳語、繰り返し文字は文字になおしてあります。和歌部分は『 』で囲んであります。句点は「。」になおしてあります。

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なをあめ風やます・かみなりしつまらて・ひころへぬ・いとと物わひしき事かすしらす・きしかたゆくさき・かなし
き御ありさまに・心つよくしもえおほしなさす・いかにせまし・かかりとてみやこにかへらん事も・また世のゆるさ
れもなくて・人わらはれなる事こそまさらめ・なをこれより・ふかからん山をもとめてや・あとたえなましとおもほ
すにも・なみかせにさはかれてなんと・人のいひつたへん事の・のちのよまていとかるかるしき名をさへやなかしは
てんとおほしみたる・御ゆめにもたたおなしさまなるもののきつつ・まつはしきこゆと見たまふ・雲ま(1オ)」なくあ
けくるる日かすにそへて・京の事もおほつかなく・かくなから身をはふらかしつるにやと・心ほそくおほせと・かし
らさしいつへくもあらぬ・そらのみたれにいてたちまいる人もなし。二條院よりそ・あなかちにあやしきすかたにて
そほちまいれる・みちちかひにてたに・人かなにそとも・御覧しわくましく・まつをいはらふへきしつのをの・あは
れにむつましうおほさるるを・われなからかたしけなく・くしにける心のほとをおほししらる・御ふみにはあさまし
く・をやみなきころのけしきにいととそらさへとつる心ちして・なかめやるかたなくなむ(1ウ)」
  『うらかせやいかにふくらんおもひやる袖うちぬらしなみまなきころ』。あはれにかなしき事ともをかきあつめたま
へるを・ひきあくるよりいとと・みきはもまさりぬへく・かきくらすここちしたまふ・京にもこのあめ風・いとあや
しき物のさとしなりとて・にんわうゑなとをこなはるへしとなんききはへりし・うちにまいり給・かんたちめなとも
なく・すへてみちたえて・まつりこともとちてなんさはき侍るなと・はかはかしからす・かたくなにかたりなせと・
京の事とおほせはいふかしくて・いかかなとおまへにめしいててとはせ給・たたれいのあめのをやみなくふりて・か
せは時々(2オ)」ふきいてつつひころになりはへるを・れいならぬことにおとろき申はへるなり・いとかく・地のそこも
とおるはかりのひふり・いかつちしつまらぬことは侍らさりきなと・ここをはいみしきさまにおとろきおちてをるか
ほのいとからきにも・心ほそさまさりける・かくしつつよはつきぬへきにやとおほさるるに・その又のひのあか月よ

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り・かせいかめしうふき・しほたかうみちて・なみのをとのあらきことは・いはほも・山ものこるましきけしきなり
・かみのなりひらめくさまさらにいはんかたなくて・おちかかりぬとおほゆるに・あるかきりのさかしき人なし・わ
れらいかなるつみををかして・(2ウ)」かくかなしきめを見るらん・ちちははにもあひ見す・かなしきめこのかほをも
見て・しぬへきこととなけく・きみは・御心をしつめて・なにはかりのあやまちにてこのなきさにいのちをはきはめ
んと・つようおほしなせと・いとさはかしけれは・いろいろのみてくらささけさせたまひて・すみよしのかみちかき
さかゐをしつめまもりたまふ・まことにあとをたれたまふかみならは・たすけ給へとおほくの大くわんをたてさせ給
・をのをのみつからのいのちをはさるものにて・かかる御みの・又なきれいにしつみたまひぬへきことのいみしうか
なしきに・心ををこしてすこしものおほゆるかきりは・みにかへてこの御み(3オ)」ひとつをすくひたてまつらんとと
よみて・もろこゑに・ほとけ神をねんしたてまつる。ていわうのふかき宮にやしなはれたてまつり給て・いろいろの
たのしみにをこり給しかと・ふかき御うつくしみに・おほやしまにあまねくしつめるともからをこそ・おほくうかへ
給しか・いまなにのむくひにか・よこさまなるなみ風にはおほほれ給はん・天ちことはり給へ・つみなくてつみにあ
たり・つかさくらゐをとられ。いゑをはなれさかゐをさりて・あけくれやすきそらなくなけきたまふに・かくかなし
きめをさへ見・いのちつきなんとするは・さきの世のむくひか・このよのをかしかと・神ほとけ(3ウ)」あきらかにま
しまさは・このうれへやすめ給へと・みやしろのかたにむきてさまさまの願をたてたまふ・又うみのなかのりうわう
・よろつのかみたちにくわんをたてさせ給に・いよいよなりととろきて・おはしますにつつきたるらうにおちかかり
ぬ・ほのほもえあかりてらうやけぬ・心たましゐなくてあるかきりまとふ・うしろのかたなるしもやにうつしたてま
つりつ・上下となくたちこみていとらうかはしく・なきとよむこゑのひひき・いかつちにもおとらす・そらはすみを
すりたるやうにて日もくれにけり・やうやうかせなをり・あめのあししめり・ほしのひかりも見ゆるに・このおはし

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まし(4オ)」ところのいとめつらかなるをいとかたしけなくて・しんてんにかへしうつしたてまつらんとするに・やけ
のこりたるかたもうとましけに・そこらの人のふみととろかしまとひつるに・みすものこらすふきちらしてけり・よ
をあかしてこそはとたとりあへるに・きみはれいのねんすしたまふて・おほしめくらすにいと心あはたたし。月さし
いててしほのちかくみちきけるあともあらはにて・なこり猶よせかへるなみあらきを・しはのとをしあけてなかめお
はします・ちかきせかいにものの心をしり・きしかたゆくさきのことうちおほえ・とや・かくやと・ものをも申・は
れはれれしくさとる人もなし・あやしき(4ウ)」あまともなとの・たかき人おはしますところとてあつまりまいりて・き
きもしりたまはぬことをさへつりあへるもいとめつらかなれと・えをいもはらはす・このかせいましはしやまさらま
りかは・しほのほりてのこるところもあるましかりけり・神のたすけをろかならさりけりといふをきき給も・いと心
ほそしといへはをろかなり
  『うみにますかみのたすけにかからすはしほのやほあひにさすらへなまし』。ひねもすにいりもみつる・かみのさは
きにさこそいへ・いたうこうし給にけれは・心にもあらすうちまとろみ給・かたしけなき(5オ)」おましところなれは
・たたよりゐ給へるに・こ院のたたおはしまししさまなからたちたまひて・なとかくあやしきところにはものするそ
とて・御てをとりてひきたてたまふ・すみよしのかみのみちひき給ままに・はやふなてして・このうらさりねとのた
まはす・いとうれしくて・かしこき御かけにわかれたてまつりにしこなた・さまさまにかなしきことおほくはへれは
・いまはたたこのなきさに・身をやすてはへりなましときこえ給へは・いとあるましきこと・これはたたいささかの
もののむくひなり・われはくらゐにありしときあやまつところなかりしかと・をのつからをかしありけれは・そのつ
みを(5ウ)」をふるほといとまなくて・このよをかへりみさりつれと・いみしきうれへにしつむを見るに・たへかたけ
れは・うみにいり・なきさにのほり・いたうこうしにたれと・かかるついてに・たいりにそうすへきことあるにより

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なん・いそきのほりぬるとてたちさり給ぬ・あかすかなしくて。御ともにまいりなんとなきいり給て・見あけたまへ
れとひともなし・月のかほのみきらきらとして・ゆめのここちもせす・御けはひとまれる心地して・そらのくもあは
れにたなひけり・としころゆめのうちにも見たてまつらてこひしうおほつかなき御さまを・ほのかなれとさたかに見
たてまつりつるのみおもかけにおほえ給て・(6オ)」われかくかなしひをきはめ・いのちつきなんとしつるを・たすけ
にかけりたまへるとあはれにおほすに・ようそかかるさはきもありけると・なこりたのもしう・うれしくおほえたま
ふことかきりなし・むねつとふたかりて・なかなかなる御心まとひに・うつつのかなしきこともわすれぬ・ゆめにて
も御いらへをいますこしきこえすなりぬることといふせう・又や見えたまふとことさらにねいり給へと・さらに御め
もあはてあか月かたになりにけり・なきさにちいさやかなるふねよせて・人二三人このたひの御やとりをさしてく・
なに人ならんととへは・あかしのうらより・さきのかみしほちの(6ウ)」御ふねよそひてまいれるなり・源少納言さふ
らひたまははたいめして・ことのありさまとり申さんといふ・よしきよおとろきて・にうたうはかのくにのとくいに
て・としころあひかたらひはへれと・わたくしにいささかあひうらむることはへりて・ことなるせうそくをたにかよ
はさてひさしうなりはへりぬるを・なみのまきれにいかなることかあらんとおほめく。きみ御ゆめなとのおほしあは
することもありて・はやあへとのたまへは・ふねにいきてあひたり・さはかりはけしかりつるなみかせに・いつのま
にかふなてし給つらんとここちえかたくおもへり。いぬるついたちの日のゆめに・さま(7オ)」ことなるもののつけし
らすることのはへりしかは・しんしかたかへい事とおもふ給へしかと・十三日にあらたなるしるしみせん・ふねよそ
ひまうけて・かならすあめ風やまはこのうらによせよと・かさねてしめすことのはへりしかは・こころみにふねよそ
ひまうけて・けふをまちはへりしに・いかめしうあめ風いかつちのおとろかしはへりつれは・ひとのみかとにもゆめ
をしんして・くにをたすくるたくひおほくはへりけるを・もちゐさせたまはぬまても・このいましめの日をすくさす

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・このよしをつけ申はへらんとてなん・ふねいたしつるに・あやしきかせほそくふき(7ウ)」て・このうらにつきはへり
つること・まことに神の御しるへたかはすなん・さしととめはへりつる・ここにもしろしめすことやはへつらんとて・
いととははかりおほくはへれと・このよし申たまへといふ・よしきよしのひやかにつたへきこゆ・きみおほしまはす
に・ゆめうつつ・さまさましつかならす・さとしのやうなる事ともを・きしかたゆくすゑのこらすおほしあはせて・
よの人のききつたへん・のちのそしりもやすからさるへきをははかりて・まことのかみのたすけにもあらんを・そむ
く物ならは・又これよりまさりて人わらはれなるめをや見ん・うつつさまの人のこころにたになをくるし・はかなき
ことをも(8オ)」かつ見つつ・われよりよはひまさり・くらゐたかく・時よのよしおほえ・いまひときはまされる人に
は・なひきしたかひ・そのこころむけをとるへいものなりけり・しりそきてとかなしとこそ・むかしのかしこき人も
いひをきけれ・けにかくいのちをきはめ・よに又なきめのかきりを見つくしつ・さらにのちのなをは・とてもかくて
も・たけきこともあらし・ゆめのなかにも・ちちみかとの御をしへありつれは・又なに事をかうたかはんとおほして
・御かへりのたまふ・しらぬせかいにめつらしきうれへのかきり見つれと・みやこのかたよりとて・こととひをこす
る人もなし・たたゆくゑなきそらの月日のひかりはかりを・ふる(8ウ)」さとのともとなかめはへるに・うれしきつり
ふねをなん・かのうらにしつやかにかくろふへきくまはへりなんやとのたまへり・かきりなくよろこひかしこまり申
す・とまれ・かうまれ・よのあけはてぬさきに・御ふねにたてまつれとて・れいのしたしきかきり四五人はかりして
たてまつりぬ・れいの風いてきて・とふやうにあかしにつき給ひぬ・たたはひわたるほとはかた時のまといへと・猶
あやしきまて見ゆる風のこころなり・はまのさまけに心ことなり・ひとしけく見ゆるのみなん・御ねかひにそむきけ
る・にうたうのりやうしこめたるところところ・うみのつらにも・ふかき山かくれにも・時時につけてけうを(9オ)」
さかすへき・なきさのとまや・をこなひをしてのちのよをおもひすますへき・山水のつらに・いかめしうたうをたて

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て・三まいをこなひつとめ・このよのまうけに・秋のたのみをかりおさめ・のこりのよはひつむへき・いねのくらま
ちともなと・おりおりところにつけたる見ところありてしあつめたり。たかしほにおちて・このころむすめなとは・
をかへのやとにうつしてすませけれは・このはまのたちに心やすくおはしまさす・ふねより御くるまにたてまつり・
うつるほと・日やうやうさしあかりて・ほのかに見たてまつるより・おいもわすれよはひのふる心地して・ゑみさか
えてまつすみよしの神をかつかつ(9ウ)」おかみたてまつる・月日のひかりをてにえたてまつりたる心ちして・いとな
みつかうまつる事いとことはりなり・ところのさまをはさらにもいはす・つくりなしたるこころはへ・こたちたてい
し・せんさいなとのありさま・えもいはぬいりえの水なと・ゑにかかんにも心のいたりすくなからんゑしは・えかき
をよふましう見ゆ・月ころの御すまひよりはこよなく・あきらかになつかしう・御しつらひなとえならすして・すま
ひけるさまなとけに・みやこのやんことなきところところにもことならす・えんにまはゆきすちはまさりさまにそみゆ
る・すこし御心しつまりては・まつ京の御ふみともきこえた(10オ)」まふ・まいれりしつかひは・いまはいみしきみち
にいてて・かなしきめを見ることとなけきしつみて・かのすまにとまりたるをめして・みにあまるものともおほくた
まひてつかはす・むつましき御いのりのしとも・さるへきところところには・このほとの御ありさまくはしういひつか
はすへし・にうたうの宮はかりには・めつらかにてよみかへれるさまなときこえたまひけり・二条の院・あはれなり
しほとの御返はかきもやり給はす・うちをきうちをきをしのこひつつきこえ給御けしき猶ことなり・かへすかへすいみしき
めのかきりを見つくしはてつるみのありさまなれは・いまはとよをおもひはなるる心のみ(10ウ)」まさりはへれと・か
かみを見てもとのたまひしおもかけの・まきるるおりなきを・かくおほつかななからやとここらかなしき・さまさま
のうれしさはさしをきて
  『はるかにもおもひやるかなしらさりしうらよりをちにうらつたひして』。ゆめのなかなるここちのみしてさめはて

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ぬほと・いかにひかことおほからんとけにそこはかとなく・かきみたりたまへるしもいと見まほしきそはめなるを・
いとこよなき御心さしのほとと・人人見たてまつる・をのをのふるさとに・心ほそけなることつてすへかめり。を
やみなかりしそらのけしきなこりなくすみわたりて・あさりするあまほこら(11オ)」はしけなり・すまはいと心ほそう
あまのいはやもまれなりしを・ひとしけきいとひはし給しかと・ここはさまことに又おかしうあはれなることおほく
て・よろつにおほしなくさまる・にうたうをこなひつとめたるさまいみしうおもひすましたるを・たたこのむすめひ
とりをもてわつらひたるけしきいとかたはらいたきまて・ときときもらしうれへきこゆ・御心ちにもおかしとききを
き給し人なれは・かくおほえなくてめくりおはしたるは・さるへきちきりあるにやとおほしなから・猶かうみをしつ
めたるほとは・をこなひよりほかのことはおもはし・みやこの人もたたなるよりは・いひしにたかふとおほさん
11ウ)」もはつかしうおほさるれは・けしきたちたまふこともなし・ことにふれて心はせありさまなへてならすもあり
けなりなと・いふかしうおほされぬにしもあらす・ここにはかしこまりて・みつからもをさをさまいらす・ものへた
たりたるしもやにさふらふ・さるはあけくれ見たてまつらまほしく・あかすおもひきこえていかておもふこころをか
なへんと・佛かみをいよいよねんしたてまつる・としは六十はかりになりにたれと・いときよけにあらまほしうをこ
なひさらほひて・人のほとのあてはかなれはにやあらん・うちひかみをれをれしきことはあれと・いにしへのものを
も見しりて・ものきたなからす・よしつきた(12オ)」る事もましれれは・むかしものかたりなとせさせてききたまふに
・すこしつれつれのまきれなり・としころおほやけわたくし御いとまなくて・さしもききをきたまはぬよのふること
とも・くつしいてつつきこゆ・かかふるところをも・人をも見さらましかは・さうさうしくやとまてけうありとおほす
こともましる・かうはなれきこゆれとも・いとけたかく心はつかしき御ありさまに・さこそいひしかつつましうなり
て・わかおもふことは心のままにもえうちいてきこえぬを・心もとなくくちおしとははきみにもいひあはせてなけく・

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まつりしにつけても・身のほとしられていとはるかにそおもひきこえける・おやたちのかくいひあつかふをきくにも
・にけなきことなとおもふに・たたなるすりはものあはれなり。四月になれはころもかへの御さうそく・み丁のか
たひらなとよしあるさまにしいつ・よろつにつかうまつりいとなむを・いとおしくすすろなりとおもほせと・人のさ
まあくまてにおもひあかりたるに・おほしゆるして見たまふ。京よりもうちしきりたる御とふらひともたゆみなくおほ
かり・のとやかなるゆふつくよに・うみのうへくもりなく見えわたれるも・すみなれ給しふるさと(13オ)」のいけの水
におもひまかへられ給に・いはむかたなくこひしきこと・いつかたとなくゆくゑなき心地したまふに・たためのまへ
に見やらるるはあはちしまなりけりあはとはるかになとの給て
  『あはと見るあはちのしまのあはれさへのこるくまなくすめるよの月』。ひさしくてもふれ給はぬきんをふくろより
とうてたまうて・はかなくかきならしたまへる御さまを見たてまつる人も・やすからすあはれにかなしくおもひあへ
り・かうれうといふてをあるかきりひきすまし給へるに・かのをかへのいへも・松のひひき・なみのをとにあひて・
心はせある(13ウ)」わかき人はみにしみておもふへかめり・なに事もききわくましき・このも・かのもの・しはふるい
人ともも・すすろはしくて・はまかせをひきありく・にうたうもえたへて・くやうほうたゆみていそきまいれり・さ
らにそむきにしよのなかも・とりかへしおもひいてぬへくはへり・のちのよにねかひはへるところのありさまも・お
もふたまへやらるるよのさまかなとなくなくめてきこゆ・我御こころにも・おりおりの御あそひ・その人・かのひと
の・こと・ふえ・もしはこゑのいてしさま・時々につけてよにめてられ給しありさま・みかとよりはしめたてまつり
て・もてかしつきあかめたてまつり給しこと・人のうへも・(14オ)」わか御みのありさまも・おほしいてられてゆめの
ここちしたまふままに・かきならし給へるこゑも・心すこくきこえ・としふる人はさらになみたもととめあへす・を

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かへに・ひは・さうのこととりにやりて・にうたうひはのほうしになりて・いとおかしうめつらしきて・ひとつふた
つひきいてたり・さうの御ことまいりたれは・すこしひきたまふも・さまさまいみしうのみおもひきこえたり・いと
さしもきこえぬ物のねたに・おりからこそはまさるものなるを・はるはるともののととこほりなきうみつらなるに・
中中春秋のはなもみちのさかりなるよりは・たたそこはかとなくしけれるかけともなまめかしきに・くひな(14ウ)」
のうちたたきたるは・たかかとさしてとあはれにおもほゆ・ねもいとになくいつることともを・いとなつかしうひき
ならしたるも・御心とまりて・これは女のなつかしきさまにて・しとけなうひきたるこそおかしけれとおほかたにの
たまふを・にうたうあいなくうちゑみて・あそはすよりなつかしきさまなるはいつこのかはへらん・なにかしえんき
のみかとの御手よりひきつたへてはへること・三たいになんなりはへりぬるを・かうつたなき身にてこのよのことは
すてわすれはへりぬるを・もののせちにいふせきおりおりはかきならしはへりしを・あやしくまねふもののはへるこ
そ・しねんにかのせんわうの・御てにかよひて(15オ)」はへれ・やまふしのひかみみに・松風をききわたしはへるにや
あらん・いかてかこれしのひてきこしめさせてしかなときこゆるままに・うちわななきてなみたおとすへかめり・き
みことをこととも・きき給ましかりけるあたりに・ねたきわさかなとてをしやり給・あやしくむかしより・さうはを
んななんひきとるものなりける。さかの御つたへにて・女五宮さるよの中の上すにものし給けるを・その御すちにて
・とりたててつたふる人なし・すへてたた・いまよになをとれる人人・かきなての心やりはかりにのみあるを・こ
こにかうひきととめ給へりける・いとけうありけることかな・いかてかきくへきとのたまふ・きこしめさん(15ウ)」に
ほにのははかりかはへらん・おまへにめしても・あき人のなかにてたにこそ・ふることききはやすひとはへりけれ・
ひはなん・まことにねをひきしつむる人・いにしへもかたうはへしを・おさおさととこほることなく・なつかしきて
なとすちことになん・いかてたとるにかはへらん・あらきなみのこゑにましるは・かなしくおもふ給へられなから・

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かきつむるものなけかしさまきるるおりおりもはへりなと・すきゐたれは・おかしとおほして・さうのこととりかへ
てたまはせたり・けにいとすくしてかいひきたり・いまのよにきこえぬ・すちひきつけて・てつかひいといたうから
めいて・ゆのねふかうすましたり・いせのうみならねと・きよき(16オ)」なきさにかひやひろはんなと・こゑよき人に
うたはせて・われもときとき・はうしとりてこゑうちそへ給を・ことをひきさしつつめてきこゆ・御くたものなとめ
つらしきさまにてまいらせ・人人にさけしゐそしなとして・をのつから・ものわすれもしぬへきよのさまなり・い
たくふけゆくままに・はま風すすしうて・月もいりかたになるままに・すみまさりしつかなるほとに・御物かたりの
こりなくきこえいてて・このうらにすみはしめしほとの心つかひ・のちのよをつとむるさま・かきくつしきこえて・
むすめのありさまとはすかたりにきこゆ・おかしきものから・さすかにあはれときき給ふしふしもあり。(16ウ)」いと
とり申かたきことなれと・あかきみかくおほえなきさかひに・かりにてもうつろひおはしましたるは・もしとしころ
・おいほうしのいのり申はへる神佛のあはれひおはしまして・しはしのほと御心をもなやましたてまつり給にやとな
んおもふたまふる・そのゆへは・すみよしのかみをたのみはしめたてまつりて・この十八年になりはへりぬ・めのわ
らはのいとけなくはへりしより・おもふこころはへりて・としことの春秋ことに・かのみやしろにまいることをなん
しはへる・よるひるの六時のつとめにも・みつからのはちすのうへのねかひをはさるものにて・たたこの人をたかき
ほいかなへたまへとなん(17オ)」ねんしはへる・さきのよのちきりつたなくてこそ・かくくちおしき山かつとなりはへ
りけめ・おや大臣のくらゐをたもちはへりき・みつからかくゐ中のたみとなりてはへり・つきつきさのみおとりまか
りはへらは・なにの身にかなりはへらんとかなしくおもひはへるを・これはむまれし時より・たのむところなんはへ
る・いかにして宮このたかき人にたてまつらむと・おもふこころふかきにより・ほとほとにつけて・あまたの人人
のそねみをおひ・身のためからきめを見はへれと・さらにくるしとおもふたまへす・いのちのかきりは・せはきそて

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にもはくくみはへりなん・かくなから見すてはへりなは・なみのなかにもましりうせ(17ウ)」ねとなん・をきてはへる
なと・すへてまねふへくもあらぬことともを・うちなきつつきこゆ・きみも・ものをさまさまおほしつつくるおりか
ら・なみたくみつつきこしめす・よこさまのつみにあたり・おもひかけぬせかいにたたよふも・なにのつみにかとお
ほつかなくおもひつるを・こよひの・みものかたりにききあはすれは・けにあさからぬさきのよのちきりこそはとあ
はれになん・なとかはかくさたかにおもひしり給けることを・いままてはつけ給はさりつらん・みやこはなれし時よ
り・よのつねなさもあちきなく・をこなひよりほかのことなくて月日をふるに・心もみなくつほれにけり。かかる人
ものしたまふとはほのききなから・いた(18オ)」つら人をは・ゆゆしき物にこそおもひすてたまふらめと・おもひくむ
しつるを・さらはみちひき給へきにこそあなれ・心ほそきひとりすみのなくさめにもなとのたまふを・かきりなくう
れしとおもへり
  『ひとりねはきみもしりぬやつれつれとおもひあかしのうらさひしさを』。ましてとし月をおもふ給へわたるいふせ
さを・をしはからせたまへときこゆるけはひなと・わななきたれとさすかにゆへなからす・されとうらなれ給へる人
はとて
  『たひころもうらかなしさにあかしかねくさのまくらはゆめもむすはす』。とうちみたれ給へる御(18ウ)」[さまは・
いとそあいきやうつき・いふよしなき御けはひなる・かすしらぬこととも・きこえつくしたれと・うるさしや・ひか
ことともに・かきなしたれは・いととをこにかたくなしき・にうたうの心はへもあらはれぬへかめり・おもふこと・
かつかつかなひぬる心地して・すすしくおもひゐたるに・又の日の・ひるつかた・をかへに御ふみつかはす・心はつ
かしきさまなめるも・中中かかる物のくまにそ・おもひのほかなることも・こもるへかめると・心つかひしたまひ
て・こまのくるみ色のかみの・えなら(19オ)」ぬに・ひきつくろひたまひて

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  『をちこちもしらぬくもゐをなかめわひかすめしやとの木すゑをそとふ』・おもふにはとはかりやありけむ・にうた
うも・人しれすまちきこゆとて・かのいへにきゐたりけるも・しるけれは・御つかひいとまはゆきまてゑはす・おほ
んかへりいとひさし・うちにまいりて・そそのかせと・むすめはさらにきかす・いとはつかしけなる御ふみのさまに
・さしいてむ・てつきもはつかしう・つつましう・人の御ほとわか身のほと・おもふに・こよなくて・心ちあしとて
・よりふしぬ・(19ウ)」いひわひて・入道そかく・かしこきは・ゐなかひてはへる・たもとにあまりはへるにや・さら
にみたまへもをよひはへらぬ・かしこさになん・さるは
  『なかむらんおなしくもゐをなかむるはおもひもおなし思ひなるへし』・となむ・みたまふる・いとすきすきしやと
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ましくみ給・御つかひなへてならぬたまもかつけたり・又の日・せんしかきは・みしらぬ心ちしてなむ(20オ)」
  『いふせくもこころに物をなやむかなやよやいかにととふ人もなみ』・いひかたみと・このたひは・いといたうなよ
ひたるうすやうに・いとうつくしうかきたまへり・わかき人のめてさらんも・いとあまりむもれいたからん・めてた
しとみれと・なすらひならぬ身のほとの・いみしうかひなけれは・なかなか世にある物と・たつねしりたまふにつけ
て・涙くまれて・れいのとうなきを・せめていはれて・あさからすしめる・むらさきのかみに・すみつき・こくうす
くまきらはして(20ウ)」
  『おもふらむこころのほとややよいかにまたみぬ人のききかなやまむ』・てのさまかきたるさまなと・みやこのやむ
ことなき人に・いたうをとるましう・上すめきたり・京のことおほえて・おかしうみ給へと・うちしきりて・つかは
さんも・人めつつましけれは・三二日へたてつつ・つれつれなるゆふくれ・もしはものあはれなるあけ〕(21オ)」
(21ウ)」ほのなとやうに・まきらはし・おりおり人もおなし心に見しりぬへきほと・をしはかりてかきかはし給ににけ

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なからす・こころふかくおもひあかりたるけしきも・見てはやましとおほすものから・よしきよ・からうして・い
ひしけしきもめさましく・としころ心つけてあらんを・めのまへにおもひたかへてんも・いとおしくおほしめくらさ
れて・人すすみまいらは・さるかたにてもまきらはしてんなとおほせと・をんなはた中中やむことなききはの人よ
りも・いたうおもひあかりて・ねたけにもてなしきこえたれは・こころくらへにてそすきける。京のことをかく・せ
きへたたりそひては・いよいよおほつかなくおもひきこえたまひて・(22オ)」猶いかさまにせまし・たはふれにくくも
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はしのもとにたたせ給て・御けしきいとあしうて・にらみきこえさせ給を・かしこまりておはします・きこえ給こと
ともおほかりけり・源しの御事ともなりけむかし・いとをそろしう・いとおしとおほして・きさきにきこえたまひけ
れは・あめなとふり・(22ウ)」そらみたれたるよは・おもひなしなることは・さそはへる・かるかるしきやうに・おほ
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よはり給・うちにおほしなけくことさまさまなり・なを源しのきみ・まことにをかしなきにて・かくしつむならは・
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かうしも人に見えしとおもひしつむれと・身のうきをもとにて・わりなきことなれと・うちすて給へるうらみのやる
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ひて・なにかかく心つくしなる事をおもひそめけむ・すへてひかひかしき人にしたかひそめにける・心のをこたりと
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たにまいれ・あなゆゆしやとて・かたすみによりゐたり・めのと・ははきみなと・ひかめることをいひあはせつつ・
いつしかいかてかおもふさまに見たてまつらむと・とし月をたのみすくし・いまやいまやおもひかなふとこそたのみき
こえつれ・心くるしきことを・もののはしめに見る(36オ)」かななと・なけくを見るにも・いとおしけれはいととほけ
られて・ひるは日日とひいをのみねくらし・よるはすくよかにおきゐて・すすのゆくゑもしらすなりにけり・てをを
しすりてあふきゐたり・てしともにあはめられて・月よにいててきやうたうするものは・やり水にたうれいりにけり
・よしあるいはのかたそはに・こしをつきそこなひて・やみふしたるほとになん・すこしものまきれける。きみはな
にはのかたにいて給て・御はらへし給て・すみよしにも・たひらかにていろいろのくわんはたし申へきよし・御つか
ひして申させたまふ・にはかにところせくて・みつからはえこのたひはまうて(36ウ)」たまはす・ことなる御せうよう
なくて・いそきいり給ひぬ。二条の院におはしましつきて・みやこの人も・御ともの人も・ゆめの心地して・ゆきあ

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ひよろこひなきも・ゆゆしきまてたちさはきたり・女きみも・かひなき物におもほしすてつるいのちうれしくおほさ
るらんかし・いとうつくしけにねひととのほりて・おほんものおもひのほとに・ところせかりし御くしの・すこしへ
かれたるしも・いみしうめてたきを・いまはかくて見るへきそかしと・御心地おちゐるにつけては・かのあかすわか
れし人のおもふらんさま・こころくるしうおもほしやらる・なをよとともにかかるかたにつけて・御心のいとまそ
(37オ)」なきや・かの人のことともなときこえいて給へり・おほしいてたるけしきあさからす見ゆるを・たたならすや
見たてまつり給らん・わさとならねと・身をはおもはすなとほのめかし給も・おかしうらうたくおもひきこえ給・か
つ見るたにあのかぬ御さまを・いかてへたてつるとし月そとあさましきまておもほすに・とりかへしよのなかいとうら
めしうなん。ほともなくもとのくらゐあらたまりて・かすよりほかの權大納言になり給・つきつきの人もさるへきか
きりは・もとのつかさたまはりて・よにゆるさるるほと・かれたりしきの春にあふ心ちしていとめてたけなり。めし
ありてうちにまいり給・御前にさ(37ウ)」ふらひ給に・ねひまさりて・いかてさる物むつかしきすまゐに・としへたま
ひつらんと見たてまつる・女房なと院の御時よりさふらひておいしらへるともは・かなしくていまさらになきさはき
めてきこゆ。うへもはつかしうさへおほしめされて・御よそひなとひきつくろひていておはします・御心ちれいなら
て月ころへたまひけれは・いたうおとろへさせ給へる・昨日けふそすこしよろしうおほされける・御ものかたりしめ
やかにありてよにいりぬ・十五夜の月おもしろう・しつかなるにむかしの事・かきくつしおもほしいてられてしほた
れさせ給・ものこころほそくおほさるるなるへし・あそひなとも(38オ)」せす・むかしききしもののねともきかて・ひ
さしうなりにけるかなとのたまはするに
  『わたつみにしつみうらふれひるのこかあしたたさりしとしはへにけり』。ときこえ給へはいとあはれに心はつかし
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  『みやはしらめくりあひけるときしあれはわかれしはるのうらみのこすな』。いとなまめかしき御ありさまなり。ゐ
んの御ために・御八かうをこなはるへきことまついそかせ給。春宮見たてまつり給に・こよなうおよすけまさり給て
・めつらしとおほしよろこひたるは・かきりなくあはれと見たてまつり給・御さへもいとこよなく(38ウ)」まさらせ給
て・よをたもち給はんにははかりあるましく見えさせ給。にうたうの宮にもけふは・御心すこしのとめて・御たいめ
のほとにもあはれなることともあらむかし。まことやかのあかしには・かへるなみにつけても御ふみつかはす・ひき
かくしていとこまやかにかき給めり・なみのよるよるいかに
  『なけきつつあかしのうらにあさきりのたつやと人をおもひやるかな』。かのそちのむすめの五節・あいなくひとし
れぬものおもひさめぬる心ちして・まくなきつくりてさしをかせたり
  『すまのうらにこころをよせしふな人の(39オ)」やかてくたせるそてを見せはや』。てなとこよなくまさりにけりと・
見おほせてつかはす
  『かへりてはかことやせましよせたりしなこりにそてのひかたかりしを』・あかすおかしとおほししなこりなれは・
おとろかされ給ていととわすれかたけれと・このころはさやうの御あるきせてつつみ給めり。はなちるさとなとにも
・たた御せうそくはかりおほつかなからて・うちうちうらめしけなりとなん・よにしらすものうくてとそ(39ウ)」


尾州家  河内本 (武蔵野書院版) 目次へ戻る

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