4巻 夕 顔
畳語、繰り返し文字は文字になおしてあります。和歌部分は『 』で囲んであります。句点は「。」になおしてあります。
P0059
六条わたりの御しのひありきのころ・内よりまかてたまふなかやとりに・大貮のめのとの・いたくわつらひて・あま
になりにける・とふらはんとて・五条なるいへ・たつねておはしたり。御くるまいるへきかとはさしたりけれは・こ
れみつめさせて・またせたまふほと・むつかしけなる・おほちかなと・見わたしたまへるに・このいゑのかたはらに
・ひかきといふものいと・あたらしくして・はしとみ四五けんはかり・あけわたして・すたれなと・しろう・すすし
けなるに・おかしき・ひたひつきのすき(1オ)」かけ・あまた・見えて・のそく。たちさまよふらん・しもつかた・お
もひやるそ・あなかちに・たけたかき・ここちすれと・いかなるもののつとへるならんと・やうかはりて・おほさる。
御くるまも・いたう・やつし・さきも・をはせたまはす。たれとか・しらんと・うちとけたまひて・すこし・さしのそ
き給へれは・かとは・しとみのやうなるを・をしあけたる・見いれのほとなく・ものはかなきすまゐのさまを・あはれ
に・いつこを・さしてと・おほしなせは・たまのうてなも・おなしことなり。きりかけたつものに・いとあをやかな
る・かつらの・ここちよ(1ウ)」けに・はひかかれるに・しろきはなそ・おのれひとり・ゑみのまゆひらけたる。をち
かたひとにものまうすと・くちすさひたまふに・御すいしんつゐゐて・かのしろくさけるをなん・ゆふかほとは申は
へる・名は人めきて・かう・あやしき・かきねになん・さきはへると申。けに・いと・こいへかちに・むつかしけなる
・わたりの・このも・かのもの・あやしく・うちよろほひて・むねむねしからぬのきのつまことに・はひまつはれた
るを・くちをしのはなのちきりやとて・ひとふさおりてまいれとおほせたまへは・このをしあけたるかとにいりて・
おる・さすかに(2オ)」されたる・やりとくちに・きなるすすしのひとへ・はかま・なかやかに・きなしたる・わらはの
おかしけなる・いてきて・うちまねく。しろき・あふきのいたう・こかしたるを・これにをきてまいらせよ・えたもな
さけなかめるはなをとてとらせたれは・かとあけてこれみつのあそん・いてきたるしてたてまつらす。かきを・をき
まとはしはへりて・いとふひんなるわさなりや・もののあやめ・見わくへき人も・侍らぬ・わたりなれと・らうかは
P0060
しきおほちにたたせおはしまいてと・かしこまり申す。ひきいれておりたまふ。これみつかあにのあさり・(2ウ)」む
すめとも・むこの參川守なと・つとひゐたるほとにて・かく・おはしまいたることを・また・なきことに・かしこま
り・よろこひ申す。あまきみも・おきあかりて・おしけなき身にも・侍れと・すてかたく・おもふたまへつることは・
たた・かく・御まへにさふらひ・御らんせらるる事のかはり侍なん・ことを・くちをしく・おもふたまへたゆたひし
かと・いむことのしるしに・かうよみかへりて・わたりおはしますを・見たてまつり侍ぬれは・いまなん・あみたほ
とけの御ひかりも・こころきよく・またれはへるへきなと・きこえて・よはけになく。月ころ・おこたり(3オ)」かた
うものせらるるを・やすからす・なけきわたりつるに・かく・よをはなるるさまに・ものしたまひてけれは・いとあ
はれにくちをしくなん・いのちなかくて・なをくらゐたかく・なとも・見なし給へ・さてこそ・ここのしなのかみに
も・さはりなくは・のほりたまはめ・このよにすこし・うらみのこるはわろきわさとなん・きくなと・なみたくみつ
つ・のたまふ。かたほなるをたにも・めのとなとやうのおもふへき人は・あさましく・まことに見なすものを・まし
ていと・おもたたしう・なつさひちかつきつかまつりけん・身もいたはしう・かたしけなく・おほゆへかめれは・
(3ウ)」すすろになみたもろなり。こともは・いと見くるしと・おもひて・そむきぬるよのさりかたきやうに・みつか
ら・ひそみ御らんせられたまふと・つきしろひ・めくはす。君はいとあはれとおもほして・いはけなかりけるほとに
おもふへき人人も・みなうちすててものしたまひにけるなこりはくくむ人あまたあるやうなりしかと・まことにな
つさひむつふるかたは・たくひなくなんおもほえし・人となりてのちは・かきりあれはあさゆふにしもえ見たてまつ
らす・こころのままにとふらひまうつることはなけれと・なをひさしうたいめんせぬときは・こころほそう(4オ)」お
ほゆるを・さらぬわかれはなくもかなとのみなんなと・こまやかにのたまひてをしのこひたまへる御そてのにほひも
・いと・ところせきまてにほひみちたるに・けに・おもへは・よにをしなへたらぬ人のみすくせそかしと・あまを・も
P0061
とかしうおもひつることも・みなうちしほたれたり。修法なとまたまた・はしむへきことなと・をきてのたまはせて
いてたまふとてそ・これみつにしそくめして・ありつるあふき御らんすれは・もてならしたるうつりか・いとしみふ
かくなつかしうて・おかしうすさひかいたり・つまにちゐさくて(4ウ)」
『こころあてにそれかとそ見るしらつゆのひかりそへたるゆふかほのはな』。そこはかとなく・かきまきらはしたる
・てもあてはかに・ゆへつきたれは・おもひのほかにおかしうおほさる。これみつにこのにしなるいへにすむはたれ
そ・とひききたりやとのたまへは・れいのうるさき御こころとはおもへと・さはえ申さねは・この五六日・かくて侍
れと・わつらふ人のあつかひに・こころのいとまも侍らねは・となりのあないもえききはへらすなんと・はしたなや
かに申せは・にくしとこそおもひたれな・このあふきのたつねまほしきゆへありて見ゆるを・な(5オ)」を・このわた
りにこころしれらん人めしてとへとのたまへは・いりてここのやともりなるを〈のこ・〉よひいたして・とひきく。
やうめいのすけなる物の・いゑになん侍りける。おとこはゐ中へまかりて・めなん・わかくて・ことこのみて・はら
からともなと・宮つかへ人にてまうてきかよふとなん申て・くはしきことは下人のえしり侍らぬにやあらんときこゆ
れは・その宮つかへ人ななり・したりかほにものなれていへるかな・めさましかるへききわにやあらんとおほせと・
かうきこえかかるこころもにくからす・すくしかたきそ・なをこのかたにおもからぬ御こころなるかし。御たたう
(5ウ)」かみにあらぬすちに・いたうかきかへ給て
『よりてこそそれかとも見めたそかれにほのほの見つるはなのゆふかほ』。ありつる・隨身してつかはす。また見ぬ
・御さまなれといとしるく・おもひあてられたまへる・御そはめをえ見すくさて・さしをとろかしきこえたりけるを
・いらへ給はてほとへつれは・なまはしたなき心ちしつるを・かくわさとめかしけれは・あまへていかにきこえんな
といひしろうへかめり。御隨身はめさましとおもひて・やをらまいりぬ。御さきのこゑもほのかにて・いと・しのひ
P0062
ていてたまひぬ。しとみはをろして(6オ)」けり。ひまひま見ゆる火のひかりはほたるよりもほのかにてあはれなり。
御こころさしのところには・こたち・前栽なとも・なへてならす・のとやかにこころにくくすみなし給ひて・うちと
けぬ御ありさまなとの氣しきことなるに・ありつるかきね・おほしいてらるへくもあらすかし。つとめてすこしねす
くし給て・日さしいつるほとに・いてたまふ。御あさけのすかた・けに・人のめてきこえんにことはりなる御ありさ
まなり。けふもかのしとみのまへわたりし給ふ。きしかたもすき給けん・みちなれと・たた・はかなかりし・ひとふ
しに・御め・とまりて・(6ウ)」いかなる人のすみかならんと・ゆききに御めととめ給けり。これみつ日ころありてま
いれり。わつらひ侍りし人なを・よはけに侍れは・とかく・見たまへあつかひはへりてなん〈なと〉きこえて・ちか
うまいりて・おほせこと侍しのちなん・となりのいへしれるものやととはせ侍りしかは・はかはかしく申すものは侍
らす。いとしのひてこの五月のころほひより・ものしたまふ人なんあるへけれと・その人とはさたかにいへ人にもし
らせすとなん申す。ときとき中かきのかいまみしはへるに・けにわかきをんなとものすきかけあまた見え侍。しひら
たつものかこと(7オ)」はかり・ひきかけなとして・もてかしつけるけはひしたる人侍り。きのふ・ゆふひののこりな
く・さしいりてはへりしに・ふみ・かくとて・ゐて侍し人のかほこそ・いとよく侍しか・ものおもへるけはひにて・
ある人ともしのひてうちなけくさまなとしるく見え侍と・きこゆれは・君うちえみたまひて・しらはやとおほいたり。
おほえこそ・いと・おもかるへきおほん身なれ・御よはひのほと・よろつの人のなひきめてきこえたるさまなとおも
ふには・けにすきたまはさらんもなさけなく・さうさうしかるへし。人のうけひかぬ・身のほとにてたに・なをさり
ぬへからん・あたりのすき(7ウ)」はこのもしう・おほゆるものをと・おもひけり。もし・見たまへうる事もやあると
・はかなき・ついてつくりいてて・せうそくなとつかはしてはへりき。なれたるてしてくちとうかへりことなとし侍
り。いとくちをしからぬわか人ともになん・侍めるなときこゆれは・なを・いひよれ・たつねしらすはくちをしから
P0063
んとのたまふ。かのしもかしもと思すてしすまゐなめれと・そのなかにもおもひのほかにくちをしからぬを・見つけ
たらんはめつらしかるへくおほすなりけり。さて・かのうつせみのつれなさを・このよの人にはにす・おほすに・お
ひらかならまし(8オ)」かは・たた・こころくるしきあやまちにてやみぬへきに・いとねたく・まけてやみなんを・御
こころにかからぬおりなし。かやうのなみまてはおほしよらさりつるを・ありし・あまよのしなさためののち・いふ
かしう・おほしよるしなしな・あるに・いとと・くまなく・なる・御こころなめり。うらもなく・まちきこえかほな
る・かたつかたをも・あはれとおほさぬにしもあらねと・つれなくてききゐたらん人も・こころはつかしけれは・ま
つこなたをこころみはててとおもほすほとに・いよのすけ・のほりきぬ。まつ・いそき・まいれり。ふなみちのしわ
さとて・いたう・くろみやつれたる(8ウ)」すかた・いとふつつかに・こころつきなし。されと・人もいやしからぬす
ちにて・かたちなとねひたれと・いと・きよけにて・たたならす・けしきよしついてなとそありける。くにのものか
たりなと申すに・ゆけたはいくつと・とはまほしくおほせと・あいなくまはゆくて・御こころのうちにおほしいつる
ことさまさまなり。ものまめやかなるおとなを・かうおもふも・けに・おこかましう・うしろめたなきわさなりや。
けに・これそなのめならぬ・かたわなめると・むまのかみのいさめおほしいてて・いとをしきに・つれなきこころは
ねたけれと・人のためはあはれとおほしな(9オ)」さる。むすめをはさるへき人にあつけをきて・きたのかたはゐてく
たりぬへしと・きき給に・ひとかたならす・こころあはたたしくて・いまひとたひはあひ見るましきにやと・こきみ
をかたらひ給へと・人のこころをあはせたらんにてたに・かるらかにえしも・まきれ給ふましきを・まいて・いとに
けなきことにおもひて・いまさらにひんなかるへしと思はなれたり。さすかにたえておほしわすれなんも・いと・う
かるへきことにおもひて・さるへきおりおりの御いらへなと・なつかしうきこえつつ・なけのふてつかひにつけたる
ことのはも・あやしくらうたけ(9ウ)」にめとまるふしふし・くわへなとして・あはれとおほしぬへき人さまなれは・
P0064
つれなくねたきもののわすれかたきにおほす・いまひとかたはぬし・つよくなるとも・かはらすうちとけぬへく見え
しさまなるを・たのみ給て・とかくきき給へと・御こころもうこかすそありける。あきにもなりぬ。人やりならぬ・
こころつくしに・おほしみたるることともありて・おほ〈い〉とのには・たえまをきつつ・うらめしうのみおもひき
こえ給へり。六条にもとけかたかりし御氣しきをおもむけきこえ給てのち・ひきかへしたとしへなからんはいとをし
かるへし・さりとてよそ(10オ)」なりし御こころまとひのやうにあなかちなる事はなきにも・いかなる事にかと見えた
り。をんなはあまりなるまて・ものをおほししれる御こころさまに・よはひのほとなともにけなく・人ももとききこ
ゆへきに・いとと・かく・つらき御よかれのうちしきるねさめねさめは・おほしみたるる事・いとさまさまなり。きり
のいと・ふかきあしたに・いたうそそのかされたまひて・ねふたけなるけしきに・うちなけきつついて給ふ。中將の
おもと・御かうしひとまあけて・見たてまつりおくり給へとおほしく・みき丁・ひきやりたれは・御くしもたけて見
いたし(10ウ)」給へり。せんさいはいろいろみたれたるを・すきかてにやすらひ給へる御さまたくひなし。らうのかた
におはするに・中將御おくりにまいる。しをんいろのおりにあひたるうすもののも・あさやかにひきゆひたるこしつ
き・たをやかになまめきたり。見かへり給てすみのまのかうらんにしはしひきすゑたまへり。うちとけたらぬ・もて
なし・かみのさかりは・めさましう・見たまふ
『さくはなにうつるてふなはつつめともなおらてすきうきけさのあさかほ』。いかかすへきとて・てをとらへたまへ
れはいと・なれてとく(11オ)」
『あさきりのはれまもまたぬけしきにてはなにこころをとめぬとそ見ると』・おほやけことにそきこえなす。おかし
けなる・さふらひわらはの・すかたこのもしく・ことさらめき・たるさしぬきのすそ・つゆけきはなのなかにましり
て・あさかほ・おりてまいれるほとなと・ゑにかかまほしけなり。おほかたに見たてまつる人たに・こころしめたて
P0065
まつらぬはなし。もののなさけもしらぬ・やまかつも・はなのかけにはなをやすらはまほしきにや・この御ひかりを
見たてまつりあたるは・ほとほとにつけて・わかかなしとおもふむすめをつかうまつらせま(11ウ)」はやと・おもひ・
もしは・くちおしからす・おもふいもふともたる人は・いやしき・しなにても・なを・この御あたりにさふらはせん
とおもひよらぬはなかりけり。まいて・さりぬへきついてなつかしき御ことのはも・見たてまつりつる人のもののこ
ころしるは・いかかをろかにはおもひきこえん・あけくれうちとけておはせぬを・こころもとなくおもふへかめり。
まことや・これみつかあつかりのかいまみ・いとよう・あないとひつつ申す。その人とはさらにおもひえ侍らす。人
にいみしう・かくれしのふる氣しきなん・見えはへるを・つれつれなるままに・みなみのはしとみある・なかや(12オ)」
に・わたりきつつ・くるまのをとすれは・わかきものとも・のそきなとすへかめるに・このしうとおほしきも・はひ
わたるおりはへ〈へ〉かめり。ほのかなれはにや・かたちなん・いとらうたけにはへめる。一日さきをひてまかるく
るまの侍りしをのそきて・わらはのなれたるいそききて・右近の君こそまつもの見給へ・中將とのこそこれよりわた
り給ぬれといへは・よろしきおとないてきて・あなかまと・てかくものから・いかてさはしるそといひてはひわたる。
うちはしたつものをみちにてなん・かよひはへる・いそきくる物は・きぬのすそをものにひきかけて・(12ウ)」よろほ
ひたうれて・はしよりもおちぬへけれは・いてこのかつらきのかみこそ・こころさかしうしをきたれとむつかりて・
もののそきのこころもさめぬめり。君は御なをしすかたにて・御隨身とももありつ・なにかしかれかしとかそへしは
・頭中將の御隨身とも・ことねりわらはをこそいひ侍りしかと申せは・たしかにそのくるまをそ見ましとのたまふ。
もしかのあはれとわすれかたけにいひし人にやと・おほしよるに・いとと・しらまほしき御氣しきを見て・わたく
しのけさうはいとよくしをきて侍り。あないものこるところなく見たまへなから・たた(13オ)」われとちとしらせても
のいふわか人ともはへるを・そらおほめきしてなん・はかられまかりありく・いとよくかくしをきたりとおもひて・
P0066
ちゐさきこともなとの侍るか・ことあやまりしつへきを・いとよういひまきらはしつつ・又ひとなきさまをなん・し
ゐてつくり侍とかたりてわらふ。あま君のとふらひにものせんついてに・かいま見をせさせよとの給けり。かりにて
もやとれるすまゐのほとおもふに・これこそは・かの人のさため・あなつりし・しものきはならめ・そのなかにおも
ひのほかにおかしきこともあらはなとおほすなりけり。これみつはいささかのことも・御こころ(13ウ)」にあやまちき
こえしとおもふ。をのれもくまなきすきこころにて・いみしうたはかりまとひありきて・いとしのひておはしまさせ
そめてけり。そのほとのくたくたしく・むつかしさに・れいのもらしつ。女をさしてその人とたつねえ給はねは・わ
れもなのりをし給はて・いとわりなくやつれしのひて・れいならすおりたちありき給ふは・をろかにはおほされぬな
めりと見れは・これみつ・わかむまをたてまつりて・御ともにはしりありく。けさう人のいとものけなきあしもとを
見つけられて侍らんとき・からくもあるへきかなとわふれと・又人にしらせたま(14オ)」はぬままに・かのゆふかほの
しるへせし隨身はかりと・さてはかほもむけにしるましきわらはひとりとそ・ゐておはしける。もし思よるけんきも
やとて・となりになかやとりをたにし給はす。をんなもいとあやしうこころえすとおもひて・さるへき人をそへて・
〈うかかはせ・〉あかつきのみちをたつねて・ありか見んと・よろつにすれと・そこはかとなくまとはしつつ・さす
かにあはれに見ては・えあるましく・この人の御こころにかかりたれはかるかるしくひんなかるへきこととおほしか
へしわひつつ・いとしはしはおはします。かかるすちはまめ人のみたるるおりもあるを・いとめや(14ウ)」すくしつめ
給て・人のとかめきこゆへきふるまひはし給はさりつるを・いとあやしきまて・けさのほと・ひるまのへたてをもお
ほつかなくのみおもひわつらはれ給へは・かつはものくるをしく・いとさまて御こころとまるへきにもあらぬをと・
わか御こころをもさまいたまへと・人のさまはあさましうやはらかにおほときて・ものふかくはつかしけになとはあ
らす。おもりかなるけはひなとはをくれて見ゆれと・ひたふるにわかひたるものから・よをまたしらぬにしもあらす。
P0067
いとやんことなきにはあるましく・いつくにかはかりはとまるこころそと・返返あやしくおほす。(15オ)」ことさらめ
きて・御さうそくもやつれたるかりの御そをたてまつり・かほをもほの見せたまはす。よひあかつきにも人しつまり
よふかきほとにいていりたまへは・むかしありけんもののへんけめきて・うたておもひなけかるへかめれと・人の御
けはひありさまは・てさくりにもしるきわさなれは・たれはかりかはかからん・たたこのすきもののしいてつるわさ
なめりと・たいふをうたかひなから・せめてつれなくしたりかほにて・かけておもひもよらぬさまにたゆますあされ
ありけは・いかなることにかと・心えかたく・をんなかたもおもふに・いとうかひたるもの思を(15ウ)」なんしける。
きみもかくうらなけにうちたゆめて・はひかくれなんを・いつこをはかとか・たつねん・かりそめのかくれかと・は
た・見ゆめれは・いつこともしらす・おもひまとはしても・なのめにてやみぬへくは・かはかりのすさみにてもやみ
ぬへきを・さらにさてすくしてんとおもほされす。人めをおもほして・へたてをきたまふよなよななとは・いとくる
しきまておほえたまへは・なをたれとなくしのひて・二条院にむかへてむ・もしきこえありて・ひなかるへきことな
りとも・さるへきにこそは・われなから・いとかく人にしむ事はなきを・いかなるちきりにかありけんなとおほしや
る。いさいと(16オ)」こころやすきところにて・のとかにきこえんなとかたらひたまへは・あやしうかくのたまへと・
よつかぬ御もてなしなれは・ものをそろしうこそあれと・いとわかひていへは・けにとほほゑまれて・いつれかきつ
ねならんな・たたはかられ給へかしとのたまふ。をんなもいみしうなひきて・さもありぬへうおもひたり。よになう
かたはならんことにても・ひたふるにしたかひぬへく・あはれなる人さまを・なをかの頭中將のとこなつそ・うたか
はしく・かたりしこころさま思いてられ給へと・しのふるやうこそはとおほせは・あなかちにもとひいて給はす。け
しきはみて・ふとそむきかくるへき心(16ウ)」さまなと・はたなけれは・かれかれにとたへをかんおりにこそは・さや
うにかはる事もあらめと・われなからかくて・なかくしもあらす・すこしもうつろふことのあらんこそ・あはれなる
P0068
へけれとさへおほしけり。八月十五夜くまなき月のひまおほかるいたやはのこりなくもりきて・見ならひたまはぬす
まゐのさまもめつらしきに・あかつきちかくなりぬるなるへし。となりのいヘいヘめさまして・あやしきしつのをの
こゑこゑ・あはれいとさむしや・ことしこそなりはひ〈に〉もたのむところすくなく・ゐなかのかよひもおもひかけ
ねは・いとこころかなしけれ・えい・きき給ふ(17オ)」やなといひかはすもきこゆ。いとあはれけなるをのかししのい
となみに・おきいててそそめきさわくほとなとを・をんなは・いとはつかしとおもひたり。えんたち・けしきはまん
・人は・きえもいりぬへきすまゐなめりかし。されとよろつのこと・いとおほときこころもとなくて・つらきもうき
もしらぬさまにて・おもひいれたるさまもなし。わかもてなしひとつは・あてはかに・こめかしくて・くたくたしき
となりのよういなさも・いかなる事ともききしらぬさまなれは・はちかかやかんよりはなかなかつみゆるされたり。
こほこほとなる神よりも・おとろおとろしくふみととろかすからうす(17ウ)」のをとも・まくらかみとおほゆ。あなみみ
かしかましとこれそものむつかしうおほさるる。なにのひひきともしられす・いとあやしきをとなひなり。しろたへ
のころもうつきぬたのをとも・かすかにこなたかなたにききわかれす。そらとふかりのこゑなとも・とりあつめてし
のひかたき事おほかり。はしちかきおましところなれは・をしあけてもろともに見いたし給へは・ほとなきにはに・
されたるくれたけ・前栽のつゆなとは・かかるところにもおなしこときらめきて・むしのこゑのみたりかはしく・か
へのなかのきりきりすたに・まとほにききならひ給へる御ここちに・みみに(18オ)」さしあてたるやうになきみたるる
も・すへてさまかへておかしうのみおほさるるも・御こころさしひとつのあさからぬに・よろつのつみみなきゆるな
るへし。しろきあはせに・うすいろのなよよかなるひきかけて・はなやかならぬすかた・いとらうたけに・あえかな
るここちして・そこととりたててすくれたるところもなけれと・ほそやかにたをたをとして・もの〈うち〉いひたる
けはひよりはしめて・らうたけにこころくるしうのみ見ゆ。すこしここちはめるけをつけはやと見給なから・なをう
P0069
ちとけ〈見〉まほしけれは・いさたたこのわたりちかきところ〈に〉・心やすくよをもあかさん・かくてのみは・い
と(18ウ)」くるしかりけりとのたまへは・いかてかにはかにはと・いとおほとかにいひてゐたり。このよならぬちきり
まて・たのめ給ふに・うちとくるこころさまなと・あやしう〈やう〉かはりて・よなれたる人ともおほえす。人のお
もはんところも・えははかり給はて・右近めして御すいしんめさせ給て・御くるまひきいれさせ給。ある人人も・
かかる御こころさしのをろかならぬを見しれは・おほめかしなから・みなたのみをかけきこえたり。あけかたもちか
くなりにけり。とりのこゑなとはきこえて・たたおきなひたるこゑに・ぬかつくそきこゆる。たちゐのけはひたへか
たけにおこな(19オ)」ふもいとあはれに・あしたのつゆにことならぬよに・なにことむさほる身のいのりにかあらんと
きき給ふ。みたけさうしなるへし。なもたうらいたうしとそをかむなる・かれきき給へ・このよのみとはおもはさり
けりとあはれかり給て
『うはそくかおこなふみちをしるへにてこんよもふかきちきりたえすな』。長生殿のふるきためしはゆゆしくて・は
ねをかはさんなとはひきかへて・みろくのよをかねたまふ・ゆくさきのたのめいとこちたし・をんな
『さきのよのちきりしらるる身のうさに(19ウ)」ゆくすゑかねてたのみかたさよ』。かやうなるかたさまなとも・さる
はこころもとなからさめり。いさよふ月にゆくりなく・あくかれんことを・をんなもさすかにおもひやすらひ・とか
くの給ふほとに・にはかにかきくもかくれて・あけゆくそらいとおかし。はしたなきほとにならぬさきにといそき給
て・いとかるらかにうちのせ給へれは・うこんそのりぬる。そのわたりちかきなにかしの院におはしつきて・あつか
りめしいつるほとに・おほきにあれたるかとのしのふくさしけりあひて・見あけらるる・たとしへなく・こくらし。
きりふかくつゆけきに・すたれをさへあけたまへれは・(20オ)」御そてもいといたうぬれにけり。またかやうなること
をならはさりつるを・こころつくしなることにもありけるかな
P0070
『いにしへもかくやは人のまとひけんわかまたしらぬしののめのみち』。ならひたまへりやとのたまふを・をんなう
ちはちらひて
『やまのはのこころもしらてゆくつきはうはのそらにてかけやたえなん』。こころほそくとて・すこけにおもひたれ
は・かのさしつとへるすまゐのならひならんとおかしくおもほす。御くるまいれて・にしのたいに御ましなとよそふ
ほと・(20ウ)」らうのかうらんに・御くるまひきかけて・たちたまへり。右近えんなるここちして・いにしへのことな
と・人しれすおもひいてけり。あつかり・いみしくけいめいして・ありくけしきに・この御ありさまはしりはてぬ。
ほのほのともの見ゆるほとに・おりたまひぬ。かりそめなるさまに・しつらひておはします。御ともに人もさふらは
さりけり。いとふひんなるわさかな・人めしにつかはさんなと申さすれと・ことさらに人しるましき・かくれかもと
めたるなり・さらにこころよりほかにもらすなとくちかため給。とののしもけいしにて・むつましくつかまつる(21オ)」
ものなれは・まいりよりてさはきありく。御かゆてうつなといそきまいらせたれと・とりつき御まかなひなともうち
あはす。またしらぬここちし給へは・たたおかしくあはれなるたひねに・おきなかかは・とちきりたまふよりほかの
ことなし。日さしあかる〈ほとに〉をき給て・かうしひとま・てつから・あけたまふ。いといたうあれて・人めもな
く・はるはると見わたさるる・こたちいとうとましくものふりたり。けちかき前栽なとは見ところなく・みなあきの
のらにて・いけもみくさにうつもれたれは・おそろしけなり。へちなうのかたにそ・さうしなとして人すむへかめれ
と・(21ウ)」こなたははなれたり。けうとくなりにけるところかな・さりともおになともわれをは見ゆるしてんとの給
ふ。しつかにておもふさまなり。かほはなをかくし給つれと・をんなのいとつらしとおもひたれは・けにかはかりに
てへたてあらんも・ことのさまにたかひたりとおほして
『ゆふつゆにひもとくはなはたまほこのたよりに見えしえにこそありけれ』。つゆのひかりやいかにとの給へはしり
P0071
めに見をこせて
『ひかりありと見しゆふかほのうはつゆはたそかれときのそらめなりけりと』・いふをおか(22オ)」しとおほしなす。
うちとけ給へるさま・ところからはまいてゆゆしきまて見えたまふ。つきせすへたて給へるか・つらさに・あらはさ
しとおもひつるものを・ねたくいまたになのりし給へ・いとむくつけしとのたまへは・あまのこなれはとてさすかに
うちとけぬ〈さま〉・いといたくあいたれたり。よしこれもわれからななりとてうらみ・かつはかたらひくらしたま
ふ。これみつ・たつねまいりて・右近かいはん事のさすかにいとをしけれは・ちかくもよらす。かくまてたとりあり
きたまふを・おかしくさもおほされぬへきさまにこそはとおもふにも・わかいとよくおもひよりぬへかりしを・(22ウ)」
ゆつりきこえたるこころひろさよと・めさましきことをそおもひをる。たとしへなくのとかなるゆふへのそらをなか
め給て・おくのかたはくらかりて・ものむつかしと・をんなのおもひたれは・はしにすたれあけてそひふし給へり。
ゆふはへの御かたちを・をんなはかかるありさまのおもひのほかに・あやしきここちしなから・よろつのなけきわす
られて・うちとけゆくさまいとらうたし。つと御かたはらにそひふして・ものおそろしとおもへるさま・わかうらう
たし。かうしとくおろして・おとなふらなとまいらせて・なこりなくなれにたる御なかにて・なを御こころの(23オ)」
へたてのこし給ふなん・つらきとうらみたまふ。内にいかにもとめさせたまふらんかし・いつこをたつぬらんなとお
ほしやりて・かつはあやしのこころや・六条わたりにも・いかにおもひみたれ給らん・うらみられんに・ことはりな
りと・いとおしきかたは・まつおもひいてきこえたまふ。なにこころもなきさしむかひを・あはれとおほすままに・
あまりこころふかく・見る人くるしき御もてなしありさまをそ・すこしとりすてはやとおもひくらへられたまふ。よ
ひすくるほとに・すこしねいり給へるに・御まくらかみのかたに・いとおかしけなるをんなゐて・をのかいとめてた
しと(23ウ)」見たてまつるをは・たつねもおほさて・かくことなることなき人をゐておはして・ときめかし給ふこそ・
P0072
いとめさましくつらけれとて・この御かたわらなる人を・かきおこさんとすと見たまひて・ものにおそはるるやうに
て・おきたまへれは・ひもきえにけり。うたておほさるれは・たちをひきぬきて・右近かちかくふしたるをおこし給
へは・これもものをそろしと思たるけしきにて・まいりよれり。わたとのにふしたらんとのゐ人おこして・しそくさ
してまいれと・いへとの給へは・くらくていかてかまからんと申せは・あなわかわかしとうちわらひ給て・てをたた
きたまへは・(24オ)」やまひこのこたふるこゑはかり・いとうとましく・人はえききつけす。このをんな君・いみしく
わななきまとひて・いかさまにせんとおもへり。あせもしととになりて・われかの氣しきなり。ものをちをなんわり
なくせさせたまふ本上にて・いかにおほしめすらんと・右近もきこゆ。いとかよはくて・ひるもそらをのみ見つるを
・いとをしとおほして・われ人をおこさんよとて・てたたけは・やまひこのみこたふるいとうるさし・ここに〈し〉は
しちかくとて・右近をひきよせて・にしのつまとにいててをしあけたまへれは・わたとのの火もきえにけり。風すす
しくうちふきて・人はすくなくて(24ウ)」さふらふかきりもみなねたり。この院のあつかりのこのいとわかき・又うへ
わらは・御すいしんはかりそありける。めせは御いらへしておきたれは・しそくさしてまいれ・すいしんもつるうち
して・たえす・こわつくれとおほせよ・人はなれたるところにて・うちとけていぬるものともかな・これみつの朝臣
のありつらんはと・とはせ給へは・さふらひつれと・おほせこともなし・あかつきに御むかへにまいらんとて・まか
てぬと申す。かくいふも・たきくちなれは・つるうちつきつきしううちならして・ひあやうしなんといふいふ・あつ
かりか・さうしのかたにいぬなり。うちをおほしやりて・なたい(25オ)」めんはすきぬらん・たきくちのとのゐ申は・い
まこそはとおほすは・いたくもふけぬにこそは・かへりいりたまひて・さくりたまへは・をんなはありつるままにて
ふしたり。右近はかたはらにうつふしふしたり。こはなんそ・あなものくるをしのものをちや・あれたるところは・き
つねなとやうのものの・人をひやかさんとて・ものおそろしうおもはするならんとて・まろあれは・さやうのものに
P0073
はよもをとされしとて・ひきおこしたまふ・いとうたてみたりここちのあしう侍れは・うつふしふして候にや・おま
へにこそわりなくおほしめさるらめといへは・そよなとかくはとて・かいさく(25ウ)」れは・いきもせす。ひきうこか
し給ふに・なよなよとしてあれにもあらぬさまなれは・いといたうわかひたる人の・ものにけとられぬるなんめりと
・せんかたなくおほさるるに・からくしてしそくもてまいりたり。右近もうこくへくもあらねは・ちかき御き丁をひ
きよせて・なをここにもてまいれとのたまへは・れいならぬことにて・御まへにもえまいらぬ・つつましさなれは・
なけしをえのほらす。たたもてこや・ところにしたかひてこそとめしよするに・たたかのまくらかみなりつるをんな
・おもかけに見えて・ふときえうせぬ。むかしものかたりのたとへにこそ・かかる事は〈きけ〉・(26オ)」いとむくつ
けうもあるかなと・めつらかなれと・まつこの人いかになりぬるそと見ゆるこころさはきに・身のうへもしられたま
はす・そひふして・ややとをとろかし給へと・たたひえにひえゆく・いきはたとくたへにけり。いはんかたなし。た
のもしういかにといふへき人もおほえ給はす。そうなんとこそは・かかる人のたのもし人にはおほすへけれと・さこ
そこころつよかり給へと・またいとわかうきひわなる御こころに・かくゆふかひなくなりぬるを見たまふに・あさま
しうやるかたなくて・つといたき給て・いといみしきめな見せたまひそ・あかきみいきいて(26ウ)」給へとの給へと・
ひえはてにけれは・けはひものうとくなりゆく。右近はなにこころなくて・たたあなむつかしとおもひけるここちさ
めて・なくこといみし。南殿のおにの・なにかしのおととををひやかしけんためしをおほしいてて・こころつよくさ
りともいたつらにはなりはて給はし・よるのこゑは・おとろおとろしとせいしたまひて・いとあはたたしきに・あきれ
たる心ちしたまふ。このおとこをめして・いとあやしくここにものにおそはれたる人のものをちして・なやましけな
るを・たたいまこれみつのあそんのやとなるところにまかりて・いそきまいるへきよし(27オ)」をおほせよ・なにかし
あさりそこにものせは・しのひてここにくへきよしいへ・かのあま君なときかんに・おとろおとろしくいふな・かかる
P0074
ありきゆるさぬ人なりなとのたまふやうなれと・むねはつとふたかりて・この人をかくむなしうなしてん事を・いみ
しうおほすにもあまりあるに・おほかたのけはひむくむくしさなんと・たとへんかたなし。よなかもすきにけんかし。
かせあらあらしくふきたるに・まつのひひきもこふかくきこえ・けしきあるとりのからこゑにきこえたるも・おそろ
しきやまになくらんふくろうはこれなりけりとおもひあはするに・(27ウ)」うとましくこなたかなたも・ものとをくお
おもひまはさるることかきりなし。なとてかくはかなきやとりをとりつらんと・くやしき事やらんかたなきに・右近
はものもおほえす。君につとつきたてまつりて・わななくことかきりなし。これもいかならんとこころもそらにてと
らへたまへり。われひとりさかしき人にて・おほしやるかたそなきや。火のほのかにまたたきて・もやのきはにたて
たるひやうふのかみ・ここかしこくらかりて・くまくましう見ゆるに・もののあしをと・ひしひしとふみならしつつ
・うしろよりくるここちす。これみつたにとくこなとまち(28オ)」たまへと・ありかさたまらぬものにて・ここかしこ
たつぬるほとに・よのあくるひさしさ・ちとせをすこす心ちし給ふ。からうしてとりのこゑほのかにきこゆるに・い
のちをかけて・なにのちきりに・かかるめを見るらん・わかこころなから・かかるすちはおほけなう・あるましきこ
ころのむくひに・さるへくて・かくきしかたゆくさきのためしなるへき事もあるなんめり。しのふとすとも・よにあ
ることかくれなくて・うちにきこしめさんを・はしめ・よの人のおもひいはん事よ。よからぬわらはへのくちすさみ
になるへき身なんめり。ありありておこかましきなをとるへきことと(28ウ)」おほしめくらすに・からうしてこれみつ
まいれり。よなかあかつきとなく・御こころにしたかへるものの・こよひしも候はて・めしにさへおこたりつるを・
にくくおほすものから・めしいれてのたまひいてんことの・まちきかん人もあさましくあえなきに・ふともいはれ給
はす。右近このたいふのけはひをきくに・はしめよりの事うちおもひいてられて・なくに・君もえたえたまはす。わ
れひとりたのもしき人にて・いたきもちたまへるに・この人のまいれるに・いきをのへ給てそ・かなしきこともおほ
P0075
えたまひける。とはかりいみしうなき給。ややためらひて・ここにあやしき(29オ)」事のあるに・あさましとおもふにも
あまりてなん・かかることには・すきやうなとをこそすなれとて・そのことせさせん・願なともたてさせんとて・あ
さりをものせよといひつるはとの給へは・きのふやまへのほり侍りにき。まついとめつらかなる事にも・侍かな・か
ねて御ここちなとれいならすものしたまふことや侍りつらん。さらにさる事もなかりつとて・ないたまふさま・いと
おかしけに・らうたく・見たてまつる人も・いとかなしくて・おのれもよよとなきぬ。さいへととしうちねひ・よのな
かのとある事かかる事に・しほしめる人こそ・もののおりふしはたの(29ウ)」もしかりけれ。いつれもいつれもいはけなき
とちにて・いひやらんかたなかりけれと・この院もりにもきかせんことは・いとひんなかるへし。なを人ひとりこそ
・むつましからめ・をのつからいひもらしつへき・くゑんそくもあらん。まつこの院をいておはしましなんときこゆ。
さてこれより人すくななるところは・いつこかはあらんとのたまへは・けにさそはへらん。かのふるさとにも・女房
なとのかなしひにたへす・なき〈まとひ〉侍らんに・おのつからもののきこえはへらんも・たいたいしくなんはへる
へきを・やまてらこそ・なをかやうのことのをのつからゆきましり・ものまき(30オ)」るる事は侍らめと思まはして・
むかし見はへしをんなとものあまにて侍るか・ひんかしやまのへんにはへるに・うつしたてまつらん・これみつかち
ちの朝臣のめのとにはへりしものの・みつはくみてはへるなり。あたりは人しけきやうなれと・いとかこかにて侍り
ときこえて・あけはなるるほとのまきれに・御くるまよす。この人をえいたきたまふましけれは・うはむしろにをし
くくみて・これみつのせたてまつる・いとささやかにて・うとましけもなくらうたけなり。したたかにしもえせねは
・かみはこほれいてたり。めもくれまとひて・あたらしく・かなしとおほ(30ウ)」せは・なりはてんさまも見んとおほ
せと・はやく御むまにて・二条院におはしましなん・人さはかしくなり侍らぬさきに・右近をくるまにのせて・うま
はきみにたてまつりて・われはかちよりくくりひきあけなとしていてたつ。かつはいとあやしくおほえぬ・おくりな
P0076
れと・御けしきいみしきを見れは・身をすててゆくに・きみはものもおほえす・われかのさまにておはしつきたり。
人人もいつくよりおはしますにかあらん・御ここちくるしけにこそ見えさせたまへなといへと・御丁のうちにいり
たまひて・むねをおさへておほすに・いみしけれは・なとてのり(31オ)」そひていかさりつらん・いきかへりたらんと
き・いかなるここちせん。見すてていきわかれにけりとつらくやおもはんと・こころまとひのなかにも・又おほすに
・むねをせきあくるここちし給て・御くしもいたく身もあつくいとくるしうまとはれ給へは・かうはかなくて・われ
もいたつらになりぬへきなめりとおほす。ひたくれと・おきもあかり給はねは・人人あやしかりて・御かゆなとそ
そのかしきこゆれと・いとくるしう・こころほそくおほさるるに・内より御つかひあり。きのふえたつねいてきこえ
さりしより・おほつかなからせ給て・おほ〈い〉とののきみたちなとま(31ウ)」いりたまへり。頭の中將はかりたちなか
ら・こなたにいりたまへときこえ給て・みすのうちなからきこえ給ふ。めのとにはへる人の・この五月のころをひよ
り・おもくわつらひ侍か・かしらそりなとして・いむ事のしるしにや・よみかへりたりしか・このころ又おこりてよ
はけになんなりにたる・いまひとたひとふらひ見よと申たりしかは・いとけなくよりなれしものの・いまはのきさみ
につらしとやおもひはへらんとて・まかりたりしに・そのいゑなりける下人のやまひしけるか・にはかにえいてあへ
て・なくなりにけるを・をちははかりて・日くらしてなんとりいてけるときき侍(32オ)」りしかは・神わさなとおほか
るころにて・いとふひんなることとおもふたまへ・かしこまりて・えまいらぬなり。このあかつきより・しわふきや
みにや・いとくるしう侍りて・むらいにてきこえさすなと・のたまはす。中將さるよしをこそそうしはへらめ。夜部も
御あそひにかしこうもとめきこえさせ給て・〈御けしきあしう侍きなときこえ給て・〉たちかへり・さても・いかなる
・いきふれにかからせたまへるそや・のへやらせたまふことこそ・まこととは思ふたまへられねといふにも・まつ御
むねふたかりて・かくこまかにはあらて・たたおほえぬけからひにふれたるよしをそうし給へ・はいとこそたいたい
P0077
しくはへれとつれなく(32ウ)」のたまへと・こころのうちにはいふかひなくかなしき事をおほすに・御ここちもいとあ
しけれは・人にも見あはせたまはす。藏人辨めしよせて・まめやかにことのよしをそうせさせたまふ。大〈い〉殿
にもかかることにて・えまうて給はぬよしなときこえ給ふ。あれにもあらぬさまにてふしたまふままに・いみしうく
るしかりたまふ。ひくれてこれみつまいりたり。けからひありとのたまはすれは・まいる人もたちなからまかてて・
人めしけからぬに・めしよせて・いかにそいまはと見はてつやとのたまふままに・そてを御かほにをしあててなきた
まふさまいみし。これみつも(33オ)」なくなく・いまはかきりにこそはものし給ふめれ。なかなかともなにかはとて・
あすよろしきひに侍るなれは・とかくしたてまつりてん・たうとき老僧のまめなるかあひしりてはへるに・かたらひ
つけはへりぬときこゆ。そひたりつるをんなは・いかかとの給へは・それなんえあるましくはへる。われもをくれし
とまとひ侍りて・けさはたににおちいりぬへくなん見え侍りつる。あのふるさと人につけやらんと申侍りつれと・し
はし思しつめよ・この事のさま思めくらしてとなん・こしらへかねはへるときこゆるままに・いといみしとおほして
・われもここちなやましくて・いかなる(33ウ)」へきにかとなんおほゆるとのたまふ。なにかさらにおもほしものせさ
せ給も・さるへきにこそはへらめ。人にもらさしと思ふたまふれは・これみつおりたちて・よろつはものし侍なんと
申す。さかし・さなんおもひなせと・うかひたるこころのすさみに・人の身をいたつらになしつる・かことをひぬへ
きか・いとからきなり。少將命婦なとにきかすな。あま君はましてかやうの事いさめらるるを・こころはつかしくな
んおほゆへきとくちかため給へは・さらに法師はらなとにも・いひなすかたことにはへりなときこゆるにそ・かかり
給へる。ほのききて女房なと・なに事ならん・けからひ(34オ)」のよしの給はせて・うちにもまいらせたまはす・かくさ
さめきなけき給を・おのおのかたらひあはせてあやしかる。さらはともかくもことなくしなさせなと・そのほとの事
とももの給へと・なにかことことしくすへきにも侍らす・とて・たつに・なをいとかなしくおほさるれは・いとひん
P0078
なしと思へけれと・いまひとたひかのなきからをも見さらんなん・いといふせかるへきを・むまにてものせんとのた
まふ・いとたいたいしきこととおもへと・さおほされんをは・いかかはせん・はやおはしまして・よふけぬさきにか
へりおはしまさんそよくはへらんと申せは・このころの御やつれにまう(34ウ)」けたまへる・かりの御よそひたてまつ
りなとして・いてたちたまふ。心ちかきくらしいみしうたへかたけれは・かくあやしきみちにいてたちても・あやう
かりけるものこりにいかにせんとおほしわつらへと・なをかなしさのやるかたなく・たたいまのからを見ては・又い
かてかはありしかたちをも見んとおほしねんしていてたまふ。みちややとをくおほゆ。十七日の月さしいてて・かは
らのほと御さきの火ほのかなるに・とりへやまなと見やられたるほと・ものむつかしきもなにともおほされす。かき
みたりたる心ちし給て・おはしつきぬ。あたりさへ(35オ)」すこきに・いたやのかたはらに・こたうたてておこなへる
あまのすまゐいとあはれなり。みあかしのひかりもかけほのかにて・このやにはをんなひとりなくこゑして・とのか
たにほうし二三人はかりものかたり〈うち〉しつつ・わさとこゑたてぬ念佛をそする。てらてらのそやもみなおこな
ひはてて・いとしめやかなり。きよ水のかたそひかりおほく見えて・人のけはひおほかりける。このあまのこのたい
とこ・こゑいとたうとくてときやううちしたるにも・なみたのこりなくおほさる。いりたまへれは屏風ひきつほねて
・〈ほの〉くらきに・うしろのかたにそ・(35ウ)」右近はふしたる・いかにわひしからんと見たまふ。おそろしくもお
ほえす・いとらうたけなるさまして・またいささかかはりたるところもなし・てをとらへて・われにいまひとたひこ
ゑをたに・きかせ給へ・いかなるむかしのちきりかありけん・しはしのほとに・こころをつくしてあはれにおほえし
を・うちすてて・かくまとはしたまふかいみしきことと・なき給ことかきりなし。たいとこたちも・たれとしらぬに
・あやしとおもひつつ・なみたこほしけり。右近をはいさ京へとのたまへと・おさなく侍しより・かたときもたちは
なれたてまつらす・なれきこえ(36オ)」つる人に・にはかにわかれたてまつりてたれは・いつくにかかへりはへらん・
P0079
いかになり給にきとか・人に〈は〉いひはへらん・いみしきことをはさるものにて・人にいひさはかれはへらんか・
いみしき事となきまとひて・けふりにたくひはへりなんといふ。ことわりなれと・さなん世中はある・わかれといふ
ものかなしからぬはなし。とあるもかかるもおなしいのちのかきりあるものになん・おもひなくさめて・いまはわれ
をたのめとのたまふ。かくいふわれこそ・えいきととまるましけれとのたまふも・たのもしけなし。これみつ・夜あ
けかたになりはへりぬらん・はや(36ウ)」かへらせ給なんときこゆれは・かへり見のみせられて・むねもつとふたかり
て・いてたまふ。みちいとしけきに・いととしきあさきりに・いつこともなくまとふここちし給ふ。ありしなから・
うちふしたりつるさま・うちかはし給へりしままに・わかくれなゐの御そのきられたりつるなと・いかなりけるちき
りにかと・みちすからおほさる。御むまにもはかはかしくのりたまふましきさまなれは・これみつつとそひて・御を
くりつかうまつる。とかくたすけておはしまさするに・つつみのほと馬よりすへりおりて・いみしく御ここちまとひ
けれは・(37オ)」かかるみちのそらにて・はふれなんするにやあらん・さらにえいきつくましき心ちなんするとの給ふ
に・これみつこころまとひて・わかはかはかしくは・さのたまふとも・かかるみちにゐていてたてまつるへきかなと
・おもふに・いとわひしく・こころあはたたしけれは・かはのみつに・てをあらひて・きよみつの觀音を念して・せ
んかたなくおもひまとふ。君もせめてこころをつよくおもひをこして・御こころのうちに・佛を念したてまつり給て
・とかくたすけられ給てなん・二条院におはしましつきにける。あやしく夜ふかき御ありきを・人人(37ウ)」いと見
くるしきわさかな・このころれいよりもしつこころなき御しのひありきのうちしきるなかに・きのふけふの御氣しき
は・いとなやましくおほしたりしを・いかてかくたとりありき給らんとなけきあへり。まことにふしたまひぬるまま
に・いといたうくるしかりたまひて・二三日になりぬれは・よはるやうにし給。うちにきこしめしておほしなけく事
かきりなし。御いのりともこなたかなたさしあひてひまなくののしる。御讀經。御修法まつりはらへなといひつくす
P0080
へくもあらすののしる。よにたくひなくゆゆしき御あり(38オ)」さまなれは・なかくもおはしますましきにやと・あめ
のしたのさわきなり。くるしき御ここちにも・かの右近をめして・つほねなとけちかくたまはせて・さふらはせ給ふ。
これみつここちまとひさはけと・おもひよりつつ・この人のたつきなしと思たるを・もてなしたすけてさふらはす。
ここちもよろしく・いささかひまありて・おほさるるおりは・めしいててつかひならしなとし給へは・ほとなくまし
らひつきにたり・ふくいとくろくして・かたちなとよからねと見くるしからぬわか人なり。あやしくみしかかりける
・人のおほんちきりにひかされて・われもえよに〈も〉ある(38ウ)」ましきなめり。としころのたのみうしなひて・こ
ころほそくおもふらん・なくさめにも・なからふるやうあらは・よろつにはくくまんとこそおもひしか。ほともなく
て又たちつつきぬへかめるか・くちをしくもあるかなとしのひやかにのたまひて・いとよはけになき給へは・いふか
ひなき事をはさるものにて・いみしくおしとおもひきこゆ。とののうちの人人・あしをそらにて・思まとふ。内の
御つかひあめのあしよりもしけし。おほし〈めし〉なけきおはしますことをきき給ふに・いとかたしけなくて・せめ
ておほしつよる。おほいとのもいみしくけいめい(39オ)」し給て・日々にまいり給て・さまさまの事をせさせたまふ。
かうかたかたいみしき御いのりとものしるしにや・廿余日いといたくわつらひ給けれと・ことなるなこりのこらす・
おこたりさまに見えたまふ。けからひいみ給ひしも・ひとつになりぬるよなれは・おほつかなからせたまふ御こころ
わりなくて・うちの御とのゐところにまいり給なんとす。おほいとのわか御くるまにてむかへたてまつり給て・御も
のいみやなにやと・むつかしくつつしませたてまつり給。われにもあらぬ・よによみかへりたらんやうにおほさる。
九月廿余日のほとにそ・おこたりはて給て・いと(39ウ)」いたくおもやせたまひたれと・なかなかいみしうなまめかし
くて・なかめかちにねをのみなきたまふ。うたて見たてまつりとかむる人もありて・御もののけなといふ人もあり。
右近めしいてて・のとやかなるゆふくれに・ものかたりなとし給て・なをいとあやしくなんある・なとて・ふかう・
P0081
その人とはしらせしとは思給へりしそ・まことにあまのこなりとも・さはかりのおもひをしらて・へたて給しかは・
つらくなんありしとの給はすれは・なとてか・ふかう・かくしきこえたまふ事ははへらん・いつのほとにかは・なの
りもきこえ給はん。はしめより・(40オ)」あやしくおほえぬさまなりし御ことなれは・うつつともおほえすなんあると
の給て・御名かくしをも・さはかりにこそはとおもひよりきこえ給なから・なをかりにおほせはこそ・かうまきらは
させ給らめとなん・うきことに〈おほしたりしと〉きこゆれは・あいなかりけるこころくらへかな。われはしかへた
つるこころもなかりき。たたかやうに・人にゆるされぬふるまひをなん・またならはぬ事なる・内にいさめのたまは
するを・はしめて・つつむ事おほかる身〈にて・はかなく人にたわふれ事いふもところせくとりなし・うるさき身〉な
るを・はかなかりしゆふへより・あやしうこころにかかりて・あなかちに見たてまつりしも・かかる(40ウ)」へきちき
りにこそは・ものしたまひけめと・思なすになん・あはれにも・又うちかへしつらくも思なさるる・かくなから・ふ
るましきにては・なとさしもこころにしみてあはれとおほえ給けん・なをくはしくかたれ・いまはなに事をのこすへ
きそ。なぬかなぬかに・ほとけかかせても・たれかためにか・こころのうちにもおもはんとのたまへは・なにかへたて
きこえ侍らん・たたみつからしのひすくしたまひてし事を・なき御うしろに・くちかろくやはとおもふたまふはかり
になん。おやたちははやくうせ給にき・三位中將となんきこえし。(41オ)」よになきものにおもひきこえ〈給〉しかと
・わか身のほとのこころもとなさを・おもほすめりしに・いのちさへたえすなり給にしのち・はかなきたよりに・頭
中將なん・また少將にものし給しときより・見たてまつりそめて・三とせはかりこころさしあるさまに・かよひたま
ひしを・こそのあきころ・みきのおほいとののわたりより・いとおそろしきことのきこえまうてこしより・ものおち
をわりなくし給し・御こころにて・せんかたなくおほしをちて・にしの京にめのとのすみはへりしところに・はひか
くれ給へりしを・それもいと見くるしきに・すみわひ(41ウ)」たまひて・やまさとにうつろひなんとおほしたりしを・
P0082
そこのことしよりふたかるかたにはへりけれは・たかふとてあやしきところにものしたまひしに・見あらはされたて
まつりぬることとおほしなけくめりしに・よの人ににすものつつみをし給て・人にもの思氣しき見えんを・はつかし
きものにしたまひて・つれなくのみもてなし御らんせられ給ふなめりしと・かたりいつるに・されはよとおほしあは
せて・いよいよあはれもまさりぬ。をさなき人まとはしたりしと・中將のうれへしは・さる人やととひたまふ。しか
・おととしのはるいてものし給へりし・(42オ)」をんなにていとらうたけに〈て〉なんとかたる。さていつくにそ・人
にはさともしらせて・われにえさせよ。あとはかなくいみしと思ふ・御かたみに・いとうれしかるへくなんとの給ふ。
かの中將にもつたふへけれと・いふかひなきことおひなん・とにもかくにもはくくまんに・とかあるましきを・そ
のあらんめのとなとにも・ことさまに・いひなして・ものせよなとかたらひ給ふ。さらはいとうれしくこそははへら
め・かのにしの京にておいいて給はんこころくるしうなん・はかはかしうあつかふ人なしとて・かしこになんときこ
ゆ。ゆふくれのしつかなるに・そらの氣しきもいとあはれ(42ウ)」なるに・おまへのせんさいもかれかれに・むしのね
もなきかれて・もみちのやうやういろつくほと・ゑにかきたたるやうにおもしろきを見わたして・こころよりほかに
おかしきましらひかなと・かのゆふかほのやとを思いつるもはつかし。たけのなかにいへはとといふとりのふつつか
なるこゑになくをきき給ふも・かのありし院にこのとりのなきしを・いとをそろしと思たりしさま・おもかけに・ら
うたくおほしいつ。としはいくつはかりにかものし給し・あやしくよ人ににす・あえかに見えしも・かくなかかるま
しくてなりけりとの給へは・十九になんなり給けん。(43オ)」右近はなくなりはへりにける御めのとの・すておきはへ
りにけれは・こ三位の君らうたかり給て・かの御あたりさけす・おほしたち給しを・思たまへいつれは・いかてよに
侍らんすらん・いとしも人にと・くやしくなん・ものはかなけにものし給し・ひとところをたのもし人にて・ならひ
侍りにけることときこゆ。はかなひたるこそ女はらうたけれ・あまりこころかしこく人になひかぬ・いとこころつき
P0083
なきわさなり。みつからはかはかしくすくよかならぬこころからにや・をんなはこころやはらかにて・とりはつして
人にあさむかれぬへきか・さ(43ウ)」すかにものつつみし・見ん人のこころにしたかえらんなん・あはれに・わかここ
ろのままにとりなをしつつ・見むも・なつかしくおほゆへきなとのたまへは・このかたの御このみには・もてはなれ
給はさりけりとおもひたまふるにも・くちをしく〈も〉侍かなとて・なく・そらもうちくもりて・かせひややかなる
に・いたうなかめ給て
『見し人のけふりをくもとなかむれはゆふへのそらもむつましきかなと』・ひとりこち給へとえさしいらへもきこえ
す。かやうにておはせましかはと・〈おもふにも〉むねのみふたかる。みみかしかましかり(44オ)」し・きぬたのをと
おほしいつるさへこひしうて・まさになかき夜とうちすしてふし給へり。かのいよのいへのこ君まいるおりおりも・
ありしやうなることつてもし給はぬを・うしとおほしはてにけるを・いとおしとおもふに・かくわつらひたまふをき
きて・かの人はさすかにうちなきけり。とをくくたりなんとするを・おもふも・さすかに心ほそけれは・おほしわす
れぬるかと・こころみんとて・うけ給はりなやむを・ことにいててはえこそ
『とはぬをもなとかととはてほとふるにいかはかりかはおもひわつらふ』。ますたはまことに(44ウ)」なときこえたり。
めつらしきにこれもあはれわすれ給はす。いけるかひなしやたかいはましことにか
『うつせみのよはうきものとしりにしを又ことのはにかかるいのちよ』。はかなしやと・御てもうちわななかるるに
・みたれかき給へるいととうつくしけなり。なをかのもぬけをわすれたまはぬを・いとおしくもおかしくもおもひけ
り。かやうにはにくからすきこえかはせと・けちかくてとはおもひよらす・さすかに・ゆふかひなく見えたてまつら
てやみなんとおもひけり。かのかたつかたは・藏人の少將(45オ)」かよはすとききたまふ。あやしやいかにおもふらん
・少將のこころのうちもいとおしく・又かの人の氣しきもいふかしけれは・このこ君して・しにかへるこころはしり
P0084
給へりやと・いひつかはす
『ほのかにものきはのおきをむすはすはつゆのかことをなににかけまし』。たかやかなるおきにつけたまへり。しの
ひてとの給へと・とりあやまちて少將も見つけて・われなりけりとおもはは・さりともつみゆるしてんとおほす・御
こころをこりそあひなかりける。少將なきおり・しのひて見て・いとこころうしとおもふから・(45ウ)」おほしいてた
るも・さすかにて御かへりくちときはかりをかことにてとらす
『ほのめかすかせにつけてもしたおきのなかははしもにむすほをれつつ』。てあららかなるを・されはみ・まきらは
しかきたるさま・しななし。見しほかけはなをおほしいてらる。うちとけてむかひゐたるらん人は・えにくむましき
さまもしたりしかな・なにのこころはせありけもなく・さうときてほこりかなりしとおほしいつるに・にくからす
なをこりすまに・又もあたなはたちぬへき御心の(46オ)」くさはひなめり。かの人の四十九日ひえのほけたうにて・よ
ろつしのひたれと・ことそかす・さうそくよりはしめて・さるへきものとも・すきやうなとにせさせたまふ。ほとけ
の御かさりはましておろかならす。これみつかあにのあさり・いとたうとき人にて・いとあはれにしけり。御ふみの
しにてむつましくおほす。もんさうはかせめして・願文つくらせたまふ。その人とはなくて・あはれと思し人のはか
なくなりにしを・あみたほとけにゆつりたてまつるよし・あはれけにかきいて給へれは・たたかくなから・くわふへ
き事も(46ウ)」はへらすと申す。しのひ給へと・御なみたのこほれていみしうおほしたれは・なに人ならん・その人と
きこえもなくて・かくおほしなけかすはかりなりけん・すくせのたかさなといひけり。しのひて・てうせさせ給へり
ける・さうそくのはかまをとりよせて
『なくなくもけふはわかゆふしたひもをいつれのよにかとけて見るへき』。このほとまてはたたよふなるを・いかな
るみちにおもむくらんとおほしやりつつ・ねんすいとあはれけにし給。頭中將を見たまふにつけても・むねのみさは
P0085
きて・(47オ)」かのなてしこのをひいてんありさまも・きかせまほしけれと・かことををちて・えいひいて給はす。か
のゆふかほのやとには・いつかたにかとおもひまとへと・えたつねきこえす。右近たにをとつれねは・あさましくあ
やしといひおもひあへり。たしかならねと・けはひをさはかりにやとささめきしかは・これみつをかこちけれと・い
とかけはなれてけしきなくいひて・なを・おなしこと・すきありけは・ゆめのここちして・すらうのこともなんとの
すきすきし〈き〉かとりて・ゐてかくしたるにやとそおもひける。かのいへのあるしそにしの京のめの(47ウ)」とのむ
すめなりける。はらからとち三人そありける。右近はこと人なりけれは・おもひへたてて・御ありさまもきかせぬと
そおもひて・なきこひきこえける。右近かしかましくいひさはかんをおもふに・君もいまさらりにこの事もらさしと・
いみしうしのひたまへは・わかきみのうへをたに・えきかす。あさましうゆくゑもなくてすきゆく。君はゆめにたに
見はやとおほしわたるに・ほうししたまひて〈の〉・又のよ・ほのかにかのありしゐんなから・そひたりし・をんな
もおなしさまに見えけれは・あれたるところに・すみけんものの・(48オ)」われに見いれけんたよりに・かくなりにけ
ると・おほすもいみしうのみなん。いよのすけは・かみなつきのついたちころにそくたりける。女房のくたらんにと
て・たむけこころことにせさせたまふ。うちうちにも・こまやかに・おかしきさまなる・くしあふきおほくして・ぬ
さなといとわさとかましくて・かのこうちきもつかはす
『あふまてのかたみはかりと見しほとにひたすらそてのくちにけるかな』。こまかなることともあれとも・うるさけ
れはかかす。御つかひかへりにけれと・こ君してこうちきの御かへり〈こと〉(48ウ)」はかりはきこえさせたり・こう
ちきは夏のなれは・また〈又〉ころもかへのも・たひのきぬにてそありける
『せみのはもたちかへてけるたひころもかへすを見てもねはなかれけり』。おもへはあやしく・人ににす・こころつ
よくても・ふりはなれぬるかなとおもひつつけられたまふ。けふそ冬・たつひなりける。いつしかとうちしくれて・
P0086
そらの氣しきもいとあはれなり。なかめくらし給て
『すきにしもけふわかるるもふたみちに(49オ)」ゆくかたしらぬあきのくれかな』。なをかく人しれぬことはくるしか
りけりとおほししりぬらんかし。かやうのくたくたしき事はあなかちにかくろへしのひ給しかは・いとおしくてみな
もらしととめたるを・なとかみかとの御こならんからに・見ん人さへおこかましく・かたほならす・ものをほめかち
なると・よ人も見きき・つくりことめきてとりなす人・ものしたまひけれはなん・あまりものいひさかなきつみや・
又さりところなくと・ほんにはことおほかりとなん(49ウ)」