1巻 桐壷


畳語、繰り返し文字は文字になおしてあります。和歌部分は『 』で囲んであります。句点は「。」になおしてあります。

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いつれの御時にか・女御・更衣・あまたさふらひたまふなかに・いとやむことなききはにはあらぬか・すくれてとき
めき給ありけり。はしめより・われはとおもひあかりたまへる御かたかた・めさましき物におとしめそねみたまふ。
おなしほと・それより・けらうの更衣たちは・まして・やすからす・あさゆふのみやつかへに・つけても・人の心を
のみ・うこかし・うらみをおふ・つもりにや・ありけむ・いとあつしうなりゆき・もの心ほそけに・さとかちなるを
・いよいよあかす・あはれなるものにおもほして・人の(1オ)」そしりをも・ははからせたまはす・よのためしにもな
りぬへき御もてなしなり。かむたちめ・うへ人なとも・あいなう・めをそはめつつ・いとまはゆき人の御おほえなり
・もろこしにも・かかる事のおこりにこそ・世もみたれあしかりけれと・やうやうあめのしたにも・あちきなう・人
のもてなやみくさになりて・やうきひのためしも・ひきいてつへくなりゆくに・いとはしたなき事・おほかれと・か
たしけなき・御心はへのたくひなきを・たのみにて・ましらひたまふ。ちちの大納言は・(1ウ)」なくなりて・ははき
たのかたなん・いにしへ人のよしあるにて・おやうちくし・さしあたりて・世のおほえ・はなやかなる・御かたかた
にも・いたう・おとらす・なに事のきしきをも・もてなしたまひけれと・とりたてて・はかはかしき・うしろみしな
けれは・事とあるときは・なほよりところなく・心ほそけなり。さきのよにも・御ちきりや・ふかかりけむ・よにた
くひなく・きよらなる・たまのをのこみこさへ・むまれたまひぬ。いつしかと・心もとなかり・いそき・まいらせて
・御覽するに・めつらかなる・ちこのおほむ(2オ)」かほかたちなり。一のみこは・右大臣の女御の御はらにて・よせ
をもく・うたかひなき・まうけのきみと・よにもてかしつききこゆれと・この御にほひには・ならひたまふへくも・
あらさりけれは・おほかたのやむ事なき・おほんおもひはかりにて・この君をはわたくしものに・おほしかしつきた
まふ事かきりなし。ははきみは・はしめより・をしなへてのうへみやつかへなとしたまふへききはにはあらさりき。
おほえ・いと・やむ事なく・上すめかしけれと・わりなくまとはさせたまふ・あまりに・さるへき・御あそひの(2ウ)」

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おりおり・なに事も・ゆへある事のふしふしには・まつ・まうのほらせたまふ。あるときには・おほとのこもりすく
して・やかて・さふらはせたまひなと・あなかちに・おまへさらす・もてなさせ給しほとに・をのつから・かろきか
たにも見えしを・このみこ・むまれ給てのちは・いと・心ことに・おほしをきてたれは・坊にも・ようせすは・この
みこ・ゐ給へきなめりと・一のみやの女御は・おほしうたかへり。人より・さきに・まいりたま〈ひ〉て・やむ事なき
・御おもひなへてならす。みこたちなとも・おはしませは・この御方の御いさめをのみそ・なを・わつらはしう・
(3オ)」心くるしき物に・おもひきこえさせ給ける。かしこき・御かけをは・たのみきこえなから・おとしめ・きすを
もとめ給人は・おほく・わか身は・かよはく・物はかなき・ありさまにて・なかなかなる・物おもひをそし給。おほ
んさうしは・きりつほなり。あまたの御かたかたを・すきさせ給て・ひまなき・御まへわたりに・人の御心を・つく
し給も・けに・ことはりと・見えたり。まうのほり給にも・あまり・うちしきるおりは・うちはし・わたとの・ここ
かしこのみちに・あやしきわさをしつつ・御をくりむかへの人の・裳・きぬのすそたへ(3ウ)」かたく・さかなき事と
も・おほかり。あるときは・えさらぬ・みちのとともをさしかためなと・こなた・かなたに・心をあはせて・はした
なめ・わつらはし給ときも・おほかり。事にふれて・かすしらす・くるしき事のみ・まされは・いと・いたう・おも
ひわひたるを・いとと・あはれと・御覽して・こうらうてんに・もとより・さふらひ給・かういのさうしを・ほかに
うつさせ給て・うへつほねに・たまはす。そのうらみまして・やらんかたなし。このみこ・みつになり給とし・御は
かまきの事・一のみやのき給しに・おとるけちめなく・くらつかさ・おさめとのの(4オ)」物をつくして・いみしきき
よらを・つくさせ給。それにつけても・よのそしりのみおほかれと・このみこのおよすけもておはする・御かたち心
はへありかたく・めつらかなるまて見えたまへは・えにくみあへたまはす。物のこころしり給へる人は・かかる人も
・よに・いておはする物なりけりと・あさましきまて・めをおとろかしたまふ。そのとしの夏・みやすところ・はか

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なきここちにわつらひて・まかてなんとし給を・いとまさらに・ゆるさせ給はす。としころつねのあつしさになりた
まへれは・御めなれて・なをしはし心み(4ウ)」〔よとのみのたまはするに・日日にをもり給て・たた五六日の程に・
いとよはうなれは・はは君なくなくそうして・まかてさせたてまつりたまふ・かかるおりにも・あるましきはちもこ
そと・心つかひして・みこをはととめたてまつりて・しのひていてたまふ・かきりあれは・さのみもえととめさせた
まはす・御らんしたにをくらぬおほつかなさを・いふかたなくかなしとおほさる・いとにほひやかにうつくしけなる
人の・いたうおもやせて・いとあはれと物おもひしみなから・ことにいててもきこえやらす・あるかなきかに(5オ)」
きえいりつつ・ものしたまふを御らんするに・きしかたゆくすゑおほしめされす・よろつのことを・なくなくちきり
のたまはすれと・御いらへもきこえ給はす・まみなともいとたゆけにて・いととなよなよと・われかのけしきにてふ
したれは・いかさまにかとおほしまとふ・てくるまのせんしなとの給はせても・又いりゐさせたまて・さらにゆるさ
せたまはす・かきりあらむみちにも・をくれさきたたしと・ちきらせ給けるを・さりともうちすてては・えゆきやら
しとの給はするを・をんなもいといみしとみたてまつりて
  『かきりとてわかるるみちのかなしきに〕(5ウ)」いかまほしきはいのちなりけり』。いと・かく・おもふたまへまし
かはと・いきもきえつつ・きこえまほしけなる事は・ありけなれと・いと・くるしけに・たゆけなれは・たたかうな
から・とも・かくも・ならんを・御覽しはてんと・おほせと・すほうとも・あまた・はしむへきよしなと・さるへき
人々・うけたまはれる・やかて・かしこにて・こよひより・あるへけれは・わりなく・おもほしめしなから・まかて
させたまうつ。御むね・つと・ふたからせ給て・つゆ・まとろまれす・あかしかねさせ給。御つかひのゆきかふほと
もなきに・なを・いふせさを・かきりなく・のたまはせつるを・よなか・うちすくる(6オ)」ほとになん・たえ・はて
給ぬとて・なき・さはけは・御つかひも・いと・あえなくて・かへりまいりぬ。きこしめす・御心まとひ・なに事も

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・おほしめしわかれす・いみしくて・こもりおはします。みこは・かくても・御覽せまほしけれと・かかるほとに・
さふらひ給・れいなき事なれは・まかてたまひなんとす。なに事か・あらむとも・おほしたらす。さふらふ人人・
なきまとひ・うへも・御なみた・ひまなう・なかれおはしますを・あやしと・見たてまつりたまへり。よろしき事た
に・かかるわかれのかなしからぬはなきわさなるを・ましてあはれに・いふかひなし。かきりあれは・(6ウ)」れいの
やうに・おさめたてまつるを・ははきたのかた・おなしけふりにもと・なきこかれ給て・〈御〉をくりの女房くるまに
・したひのりたまひて・おたきといふところに・いかめしう・そのさほうしたるに・おはしつきたる・心ちいかはか
りかは・ありけん。むなしき御からを・見る見る・なほ・おはするものと・おもふか・いと・かなしけれは・はひに
・なりたまはむを・見たてまつりて・いまはなき人と・ひたふるに・おもひなりなんと・さかしう・のたまひつれと
・くるまよりも・おちぬへく・まろひ給へは・さは・おもひつかしと・人人・もてわつらひきこゆ。内より・御つか
ひあり。みつのくらゐ・(7オ)」をくり給よしあり。その宣命・よむなん・いと・かなしき・わさなりける。女御とた
に・いはせす・なりぬるか・あかす・くちをしう・おほさるれは・いまひときはをたにとて・かくせさせ給なりけり。
これにつけても・やすからす・にくみたまふ・人人・おほかり。すこし・物のあはれしりたまへるは・さまかた
ちなとのめてたかりしにそへて・心はせも・なたらかに・めやすく・にくみところなかりしなと・いまそおもひいて
たまふめる。さまあしき・御もてなしゆへこそ・すけなう・ものし給しか。けに・人からのあはれに・なさけありし
・御心を・うへの女房(7ウ)」なとも・こひしのひあへり。なくてそとは・かかるおりにやと見えたり。はかなく日こ
ろすきて・のちの御わさなとも・こまかにとふらはせたまふ。ほとふるままに・せんかたなう・こひしく・おほさる
るに・御かたかたの御とのゐなとも・たえてしたまはす。たた・なみたに・ひちてあかしくらさせたまへは・見たて
まつる・人さへ・つゆけき秋なり。なきにつけても・人のむねあくましかりける・御おほえかなとそ・こきてんなと

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には・なほ・ゆるしなう・のたまひける。一の宮を・見たてまつり給にも・わか宮の御こひしさのみ・おほしいてら
れて・した(8オ)」しく・さふらふ・女房・御めのとなとを・つかはしつつ・ありさまをきこしめす。野わきたちて・
はたさむき・ゆふくれのほと・つねよりも・おほしいつる事・おほくて・ゆけいの命婦を・つかはす。ゆふつくよ・
おかしきほとに・いたしたてさせたまふて・やかてなかめおはします。かうやうのおりは・御あそひなとにも・心こ
となる物のねを・かきならし・はかなうきこえいつる事のはも・人よりは・ことなりし・けはひ・かたちなとの・お
もかけに・つとそひておほさるるも・やみのうつつには・なほおとりけり。命婦・かしこに・まうてつきて・かとひ
きいるるより・け(8ウ)」はひ・あはれなり。やもめすみなれと・人ひとりの御かしつきに・とかく・つくろひたてて
・めやすきほとにて・すくしたまへるを・くれやみにてふししつみたまへる・ほとに・くさも・たかくなり・のわき
に・いとと・あれたる心地して・月かけはかりそ・やへむくらにも・さはらす・さしいりたる。みなみをもてに・お
ろして・はは君も・とみに・物も・えいひやりたまはす。いままて・ととまり侍か・いとうきを・かかる・御つかひ
のよもきのつゆわけいり給に・つけても・いと・はつかしうなんとて・けにえたふましう・ないたまふ。まいりては
・いとと・心くるしう・心きもも・つくる(9オ)」やうになんと・内侍のすけのそうし給しを・物おもふたまへしらぬ
・心地にも・けにこそ・いと・しのひかたういへりけれとて・やや・ためらひて・おほせことつたへきこゆ。しはし
は・ゆめかとのみ・たとられしを・やうやう・思しつまるにしも・さむへきよなくたへかたきは・いかにすへきわさ
にかとも・とひあはすへき人たになきを・しのひてまいり給て・かひなき御物かたりをたにとなん・わか宮のいと・
おほつかなくつゆけきなかにすくしたまふらんも・心くるしう・おほさるるを・とくまいりたまへなと・はかはかし
うも・のたまはせやらす・むせかへらせ給つつ・かつは・(9ウ)」〔人も心よはく見たてまつるらむと・おほしつつま
ぬにしもあらぬ御けしきの心くるしさに・うけたまはりもはてぬさまにてなむ・まかてはへりぬるとて・御ふみたて

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まつる・めも見えはへらぬに・かくかしこきおほせことをひかりにてなむとてみたまふ・程へはすこしもまきるる事
もやと・まちすくす月日にそヘて・いとしのひかたきは・わりなきわさになむ・いはけなき人もいかにと思やりつつ
もろともにはくくまぬおほつか(10オ)」なさを・くちおしく・いまはなをむかしのかたみになすらへて・物し給へなと
こまやかにかかせたまへり
  『みやきのの露ふきむすふ風のをとにこはきかもとをおもひこそやれ』・なとあれと・えみたまひはてす・いのちな
かさのいとつらう・おもへたまへしらるるにまつのおもはん事たにはつかしう侍れは・ももしきにゆきかひ侍らん事
は・ましていとははかりおほくなむ・かしこきおほせことを・たひたひうけたまはりなから・みつからはえなむ・お
もふたまへたつまし(10ウ)」き・わかみやは・いかておほししるにか・まいりたまはんことをのみおほしいそくめれは
・ことはり〕(11オ)」(11ウ)」に・かなしう見たてまつりはへるなと・うちうちにおもひたまふるさまを・そうし給へ。ゆ
ゆしき身にもはへれは・かくて・おはしますも・いまいましう・かたしけなくなんと・のたまふ。宮はおほとのこも
りにけり。見たてまつりて・御ありさまも・くはしく・そうしはへらまほしきを・まちおはしますらんに・夜ふけ侍
ぬへしと・いそく。くれまとふ・心のやみも・かたへはるくはかりなん・いと・きこえまほしう・侍を・御わたくし
にも・心のとかに・まかて給へ。としころ・うれしく・おもたたしき・ついてにてのみ・たちよりたまひし物を・か
かる(12オ)」御つかひにて・見たてまつるか・かへすかへす・つれなきいのちにも侍かな。むまれし時より・おもふ心あ
りし人にて・故大納言・いまはとなるまて・たた・この人のみやつかへの・ほいかならす・とけさせたてまつれ・わ
れなくなりぬとも・くちおしう・おもひくつをるなと・返々・いさめをかれしかは・はかはかしく・うしろみおもふ
人なきましらひは・なかなかなるへき事と思給へなから・たた・かのゆいこんを・たかへしとはかりに・いたしたて
侍しを・みにあまるまての御心さしのよろつに・かたしけなきに・人けなきはちを(12ウ)」かくしつつ・ましらひたま

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ふめりしを・人の〈御〉そねみふかく・つもり・やすからぬ事・おほく・なりそひて・よこさまなるやうにて・つゐ
にかくなり侍ぬれは・かへりてはつらくなん・かしこき御心はへをも・おもひたまへられ侍と・いひもやらす・むせ
かへり給ほとに・いたうふけぬ。うへも・しかなん・わか・御心なから・あやしく・あやにくに・人めおとろくはか
り・おほされしも・かく・なかかるましきなりけりと・いまは・つらかりける人のちきりになん。世にいささかも人
の心まけたる事は・ととめしと・おもひしを・たた・この人のゆへにて・あま(13オ)」たのさるましき人のうらみを・
おひし・はてはては・かう・うちすてられて・心おさめんかたのなきままに・いとと人わろく・かたくなになり侍も
・さきのよゆかしうなんと・うちかへしつつ・しほたれかちにのみ・おはしますと・かたりて・つきせす・なくなく
・夜いたうふけぬれは・こよひすくさす・御かへり・そうせむと・いそきまいる。月はいりかたのそらきよう・すみ
わたれるに・風いと・すすしうふきて・くさむらのむしのこゑこゑ・もよほしかほなるも・いとたちはなれかたき・
草のもとなり(13ウ)」
  『すすむしのこゑのかきりをつくしてもなかきよあかすふるなみたかな』。えものりやらす
  『いととしくむしのねしけきあさちふにつゆをきそふるくものうへ人』。かこともきこえつへくなんと・いはせたま
ふ。おかしきさまなる・をくり物なと・あるへきおりにもあらねは・たた・かの御かたみとて・かかる・ようもやと
・のこしをきたまへりける・御さうそく・ひとくたり・御くしあけのてうとめく物・そへたまふ。わかき人人・かな
しき事は・さらにもいはす・内(14オ)」わたりを・あさゆふにならひて・いと・さうさうしう・うへの御ありさまなと
・おもひいてきこゆれは・とく・まいりたまはん事を・そそのかしきこゆれと・かく・いまいましき・身のそひたて
まつらんも・人もききうかるへし・又見たてまつらて・しはしもあらんは・いとうしろめたく・おもひきこえ給て・
すかすかとも・えまいらせたてまつりたまはぬ・なりけり。命婦は・まいりて・また・おほとののこもらす・まちお

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はしましけるを・いとあはれに・見たてまつる。おまへのつほせんさいのおもしろき・さかりなるを・御覽するやう
にて・しのひ(14ウ)」やかに・心にくきかきりの女房・四五人・さふらはせ給て・御物かたり・せさせ給なりけり。こ
のころ・あけくれ・御覽する・長恨哥のゑ・亭子院のかかせ給て・伊勢・貫之によませ給へる・やまとことのはをも
・もろこしのうたをも・たた・そのすちをそ・まくらことに・せさせたまふ。いと・こまやかに・ありさま・とはせ
たまへは・あはれなりつる事とも・しのひやかに・そうす。御かへり・御覽すれは・いとも・かしこきはをきところ
もはへらす。かかるおほせ事につけても・かきくらす・みたり心地になん(15オ)」
  『あらき風ふせきしかけのかれしよりこはきかうへそしつ心なき』・なとやうに・みたりかはしきを・心・おさめさ
りけるほとと・御覽しゆるす。いと・かうしも・人に見えしと・おほししつむれと・さらにえしのひあえさせたまは
す。御覽しはしめし・とし月の事さへ・かきあつめ・よろつに・おほしつつけられて・時のまもおほつかなかりしを
・かくても・月日は・へけりと・あさましうおほさる。故大納言のゆいこん・たかへす・みやつかへのほいふかく・
物したりし・よろこひには・かひあ(15ウ)」るさまにとこそ・おほしわたりつれ。いふかひなしやとのたまはせて・い
とあはれに・おほしやる。かくても・をのつから・わか宮なと・おひいて給はは・さるへき・ついても・ありなん。
いのちなかくとこそおもひねんせめなと・のたまはす。かの・をくり物・御覽せさす。なき人のすみか・たつねいて
たりけん・しるしのかんさし・ならましかはと・おほすもいとかなし
  『たつねゆくまほろしもかなつてにてもたまのありかをそことしるへく』。ゑにかけるやうきひのかたちは・いみし
き・ゑしといへとも・(16オ)」ふてかきりありけれは・いと・にほひすくなし。たいえきのふようも・けにかよひたり
し・かたち・いろあひ・からめいたりけん・よそひは・うるわしう・けふらにこそは・ありけめ。なつかしうらうた
けなりしありさまは・をみなへしの風になひきたるよりもなよひ・なてしこのつゆにぬれたるよりも・らうたく・な

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つかしかりし・かたちけはひを・おほしいつるに・花とりの色にも・ねにも・よそふへき・かたそなき。あさゆふの
ことくさには・はねをならへ・えたをかはさむと・ちきらせ給しに・たれも・かなはさり(16ウ)」ける・いのちのほと
そ・つきせす・うらめしき。風のをと・むしのねにつけても・物のみかなしう・おほさるるに・こきてんには・よの
なか・物むつかしう・おほされて・うへの御つほねにも・まうのほりたまはす。月のおもしろきに・よふくるまて・
あそひをそしたまふなる。みかと・いと・すさましう・物しと・きこしめす。このころの御けしきを・見たてまつる
・うへ人・女房なとは・かたはらいたしと・ききけり。いと・をしたち・かとかとしう・物し給・御かたにて・事に
も・あらす・おほしけつ・なるへし。月もいりぬ(17オ)」
  『くものうへもなみたにくるるあきのつきいかてすむらんあさちふのやと』。おほしやりつつ・ともし火を・かかけ
つくして・おきおはします。右近のつかさのとのゐ申のこゑ・きこゆるは・うしになりぬるなるへし。人めを・おほ
して・よるのおととに・いらせ給ても・まとろませ給事・いと・かたし。あしたに・おきさせ給ても・あくるも・し
らてと・おもほし・いつるにも・なほ・あさまつり事は・をこたりたまひぬへかめり。物なとも・きこしめさす。あ
さかれゐのけしきはかり・ふれさせ給て・大床子のおものなと・はた・いと・(17ウ)」はるけう・おほしたれは・はい
せんにさふらふかきりは・心くるしき・御けしきを・見たてまつりなやむ。すへて・ちかう・さふらふ・かきりは・
おとこ・をんな・いと・わりなき・わさかなと・いひあはせつつ・なけく。さるへきちきりこそは・おはしましけめ
・そこらの人のそしり・うらみをも・ははからせたまはす・この御事にふれたる事をは・たうりをもまけさせ給しに
・いま・はた・かく・世のまつりことをも・おほしすてたるやうになりゆくは・いと・たいたいしきわさなりと・ひ
とのみかとのためしまて・ひきいて・ささめき・なけきけり。(18オ)」月日へて・わか宮・まいり給ぬ。いとと・この
よの物ならす・きよらに・およすけたまへは・いと・ゆゆしう・おほしたり。あくるとしのはる・坊さたまり給にも

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・いと・ひきこさまほしう・おほせと・御うしろみ・すへき人もなく・又・よのうけひくましき事なりけれは・中
中・あやうく・おほしははかりて・いろにもいたさせたまはすなりぬるを・さはかり・おほしたれと・かきりこそ
ありけれと・世人もきこえ・女御もおほん心・おちゐたまひぬ。かのおはきたのかた・なくさむよなく・おほししつ
みて・おはすらん・ところへたに・ゆかむと・ねかひ給(18ウ)」ける・しるしにや・つゐにうせ給ぬれは・又・これを・
おほしなけく事かきりなし・みこ・むつになり給・としなれは・このたひは・おほししりて・いみしう・こひなき給。
としころ・なれ・むつひ・たまへるを・見たてまつりをく・かなしひをのみなん・の給ける。いまは・内にのみさふ
らひ給。ななつに・なり給へは・御ふみはしめなとせさせ給て・よにしらす・さとく・かしこく・おはしましけれは
・あまり・おそろしきまて御覽す。いまは・たれもたれも・〈に〉くみ給はし・はは君なくてたに・らうたうし給へと
て・こきてんなとに・わたらせ給・御ともにも・やかて・みすのうちに・(19オ)」いれたてまつり給。いみしき・物物
ふ・あたかたきなりとも・見てはうちゑまれ・心やはらきぬへき・御さまのしたまへれは・えさしはなちきこえたま
はす。をんなみこたちも・ふたところ・この御はらにおはしませと・なすらひ給へきそなかりける。いつれの御かた
かたも・えかくれあへたまはす。いまより・なまめかしう・はつかしけに・おはすれは・いと・おかしう・うちとけ
ぬ・あそひくさに・たれもたれも・おもひきこえたまへり。わさとの御かくもんをは・さるものにて・はかなき・こと
ふえのねにも・雲ゐをひひかし・すへて・いひつつけは・事事しう・(19ウ)」そら事にそなりぬへき・人の御さまな
る。そのころ・こまうとのまいれりけるなかに・かしこきさう人ありけるを・きこしめして・宮のうちにめさん事は
・うたのみかとの御いましめあれは・いみしうしのひやつして・このみこを・ころくわんにつかはしたり。御うし
ろみたちてつかうまつる・右大辨のこのやうにおもはせて・ゐてたてまつりたるに・さう人・おとろきて・あまたた
ひかたふきあやしふ。くにのおやとなりて・ていわうのかみなきくらゐにのほるへきさう物し給人の・そのかたにて

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見れは・みたれうれふる事やあらん・おほやけの(20オ)」かためとなりて・天下をたすくへきかたにて見れは・又その
さうたかふへしといふ。辨もいと・さえ・かしこきはかせにて・いひかはしたる事ともなん・いとけうありける。ふ
みなとつくりかはして・けふあすかへりなんとするに・かく・めつらしくありかたき人に・あひたてまつりたる・よ
ろこひのかへりては・かなしかるへき事の心はへを・おもしろうつくりたるに・みこもいとあはれなるくをつくり
たまへるを・かきりなくめてたてまつりて・いみしきをくり物ともをささけたてまつる。おほやけもおほくのものた
(20ウ)」まはせなとしけるを・もらさせたまはねと・をのつから・事ひろこりて・春宮の御おほちおととなともきき給
て・いかなる事にかと・おほしうたかひてなん・ありける。みかとかしこき御心に・やまとさうを・おほしおほせて・
おほしよれる事なれは・いままてこの君をみこにもなさせたまはさりけるを・さう人はまことに・かしこかりけりと
・おもほしあはせて・むほんの親王のけさくのよせなきにてはたたよはさし・わかよもいとさためかたきを・たた人
にておほやけの御うしろみするなん・ゆくさきもたのもしけなめると・(21オ)」おほしさためて・いよいよみちみちの
さえをならはさせ給に・きはことに・かしこくて・たた人にはいと・あたらしけれと・みことなり給なは・世のうた
かひ・おひたまひぬへく物し給へは・すくえうのかしこきみちの人に・かうかへさせ給にも・たたおなしさまになん
申たりけれは・源氏になしたてまつるへくおほしをきてたり。とし月に・そへて・みやすところの御事をおほしわす
るる時なし。なくさむやとさるへき人人をまいらせて御覽するにも・なすらひにおほさるへきもなく・ありかたきよ
なりけれは・物うく(21ウ)」のみよろつ・おほしめしむすほほれたり。先帝の四の宮〈御かたち・よにすくれてきこえ
たかうおはします。〉ははきさき・よになう・かしつききこえ給を・うへにさふらふ・内侍のすけ・せんたいの御時
の人にて・かの宮にもしたしく・まいりけれは・いはけなく・おはしましける時より・見たてまつりけり。いまもほの
見たてまつりて・うせ給にし・更衣の御かたちに・にたまへる人を・三代のみやつかへに・え見たてまつりつけぬに

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・きさいの宮のひめ宮こそ・いとよう・おほえて・おひいてさせたまへれ。ありかたき・御かたちになんと・そうし
けるに・まことにやと・御心とまりて・まい(22オ)」らせたてまつり給へきよし・ねんころにきこえたまひけるを・は
はきさき・あなおそろしや・とうくの女御のみ心いとさかなくて・きりつほのかういのあらはに・はかなうもてなさ
れにし・ためしもゆゆしうと・おほしつつみて・すかすかしうも・おほしたたさりけるほとに・きさきうせ給ぬ・心
ほそくておはしますらんを・たたわかをんなみこたちのおなしつらに・おもひきこえんなと・い〈と・〉ふかう・き
こえたまふ。さふらふ・人人・御うしろみたち・御せうとの兵部卿の宮なとも・けに・かう・心ほそくて・おはし
まさむよりは・内すみ(22ウ)」もし給て・おほん心なとも・なくさむへくと・おもほしなりて・まいらせたてまつりた
まへり。ふちつほと・きこゆ。けに・御かたち・ありさま・あやしきまてそ・おほえたまへる。これは・人の御きは
・まさり・おもひやり・めてたくて・たれも・えおもひおとしめきこえたまはねは・うけはりて・あかぬ事なし。か
れは・人も・ゆるしきこえさりしに・いとと・おほん心さしのあやにくなりしそかし。おほしまきるとはなけれと・
をのつから・御心うつろひて・こよなう・おほしなくさむやうなるも・あはれなるわさなりけり。源氏のきみは・御
あたり・(23オ)」さけさせたまはぬほとに・しけう・わたらせ給かたは・ましてえかくれあへさせたまはす。いつれの
御方も・われ・人におとらんと・おほしたるやはある・とりとりに・いとめてたうこそはおはすれと・みな・うち
をとなひたまへるに・いと・わかう・うつくしけにて・せちに・かくれたまへと・あさゆふにさふらひたまへは・を
のつから・見たてまつり給に・ははみやすところ・かけたに・おほえたまはぬを・いと・よう・にたまへりと・内侍
のすけのきこえけるを・おさなき・おほむ心地に・いと・あはれと・おもひきこえ給て・つゐに・見たてまつらまほ
し(23ウ)」く・なつさひ・ちかう・まいらはやと・おほえたまふ。うへも・かきりなき・御おもひとちにて・なうとみ
給そ・あやしう・よそへきこえつへき・心地なんする・なめしと・おほさて・らうたうし給へ・つらつき・まみなと

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の・いと・よう・にたりしゆへ・かよひきこえためるも・にけなからす〈と・〉つねに・きこえさせ給を・おさな
き・ここちにも・うれしくおもひて・はかなき・花もみちに・つけても・おかしきさまに・心さしを・見えたてまつ
り・こよなう・心よせきこえたまへれは・こきてんの女御は・又・この宮を・心よからす・おもひきこえ給ゆへに・
うちそへて・(24オ)」もとよりの御にくさも・たちいてて・物しと・おほしたり・よになう・たくひなしと・見たてま
つり・なたかう・おはする・宮の御かたちにも・なを・この君のにほはしさは・まさりて・たとへんかたなく・うつ
くしけなるを・よの人・ひかる君と・きこゆ。ふちつほの御おほえとりとりなりとにや・かかやく・ひの宮ときこゆ
めりし。源氏の君の御わらはすかた・いと・かへまうく・おほせと・十二にて御元服したまふ。みかと・よろつに・
ゐたちておほしいたつき・かきりある事に・事をくはへさせたまふ。ひととせ(24ウ)」の春東宮の御けんふくの・南殿
にありしきしき・よそほしかりし御ひひきにおとさせたまはす。ところところのきやう・くらつかさ・こくさうゐなと
・おほやけ事につかうまつれる・れいのおろそかなる事も・とりわきたる・おほせ事ありて・をのをのきよらをつく
して・つかうまつれり。おはしますてんのひんかしのひさしに・ひんかしむきに・御いし・たてて・火さの御座・ひ
きいれの大臣の御さ・御前にあり。時なりて・源氏まいりたまふ。みつからゆひたまへる・つらつき・かほのにほひ
・さまかへたまはむ事・おしけなり。大藏卿・み藏人・(25オ)」つかうまつる。いと・きよらなる・御くしを・そくほ
と・心くるしけなり。うへは・みやすところの見たまはましかはと・おほしいつるに・いとたへかたきを・心つよく
おほしかへす。かうふりし給て・御やすみところに・まかてたまて・御そたてまつりかへて・おりて・はいしたてま
つり給さまにそ・みな人なみた・おとしたまふ。みかとは・まして・えたへさせたまはす。おほしまきるるおりも・
ありける・むかしの事とりかへし・かなしうおもほさる。いと・かう・きひわなるほとは・あけをとりもやと・うた
かはしく・おほされつるを・あさましううつ(25ウ)」くしけさそひたまへり。ひきいれの左大臣・みこはらに・たたひ

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とり・かしつき給・御むすめ・春宮よりも・御けしき・あるを・おほしわつらふ事ありける・この君にたてまつらん
の心ふかきなりけり。うへに御けしきたまはらせ給けれは・御ときよくて・さらはやかてこのおりのうしろみなかめ
るを・そひふしにもと・もよほさせ給けれは・さおほしたり。さふらひにまかて給て・御みきなとまいるほと・みこ
たちの御さのすゑに・源氏の君つき給へり。おととけしきはみ給事あれと・はつかしくて・とかくも・あへしらひ
(25オ)」きこえたまはす。御前より・内侍せんしうけたまはりつたへて・おととまいり給へきめしあれは・まいり給・
ろくの物・うへの命婦・とりてたまふ。しろきおほうちきに・御そひとくたり・れいの事なり。御さかつきのついて

  『いときなきはつもとゆひになかきよをちきる心はむすひこめつや』と・御心はへありて・おとろかさせ給
  『むすひつる心もふかきもとゆひにこきむらさきのいろしあせすは』と・そうして・なかはしよりおりてふたうし給。
ひたり(26ウ)」のつかさの御馬・くら人ところのたかすゑて・たまはり給。みはしのもとに・みこたち・かむたちめ・
つらねて・ろくとも・しなしな・たまはり給。その日のおまへのおりひつ物・こものなと・右大辨なん・うけたまは
りて・つかうまつらせける。としき・ろくのからひつともなと・ところせきまて・春宮の御元服にかすまさりて・な
かなかかかきりなく・いかめしくなんありける。やかてその夜おととの御さとに・源氏の君まかてさてたてまつり給。
さほう・よに・めつらしきまて・もてかしつきたまへり。いと・きひわにて・おはしたるを・(27オ)」ゆゆしう・うつく
しと・おほす。をんな君は・すこし・すくしたまへるほとに・いと・わかうおはすれは・にけなう・はつかしと・お
ほしたり。このおととの御おほえ・いと・やむ事なく・おはするに・はは宮は・みかとのひとつきさいはらになん・
おはしけれは・いつかたにつけても・いと・はなやかなるに・この君さへ・かく・おはしそひぬれは・春宮の御おほ
ちにて・つゐに世のなかをしり給へき・右のおととの御いきをひは・物にもあらす・をされたまへり。御ことも・は

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らはららに・あまた物し給。宮の御はらには・藏人の少將にて・また・いと・(27ウ)」わかくおかしきを・右のおととの
御なかはよからねと・え見すくしたまはて・いと・かなしくし給・四の君に・あはせたてまつり給て・おとらす・も
てかしつきたまへは・あらまほしき・御あそひになん。源氏のきみは・うへのつねに・おほつかなかり・めしまつは
せは・心やすく・さとすみも・えしたまはす。心のうちには・たた・ふちつほの御かたちありさまを・たくひなしと
思きこえ給て・さやうならん人をこそみめ・ここら見るよに・ありかたく・おはしけるかな。おほいとののひめきみ
・いと・おかしけに・かしつかれ(28オ)」たる人と見ゆれと・いかなるにか・心にもつかすおほえたまひて・おさなき
ほとのこころひとつに・をきところなく・くるしきまて・思ありき給。おとなになり給てのちは・ありしやうにも・
みすのうちにもいれたまはす・御あそひなとのおりおり・にことふえのねにききかよひ・ほのかなる御けはひはかり
をなくさめにて・内すみのみ〈ん〉このましうおほえ給へは・五六日・さふらひ給ては・おほいとのに二三日なと
・たえたえにまかて給へと・たたいまは・おさなき御ほとに・よろつつみなくおほしなして・いとなみかしつきたて
28ウ)」まつり給。御かたの人人・よにをしなへたらぬをえりととのへすくりて・さふらはせ給。御心につくへきあ
そひをし・おほなおほな・おほしいたつくさま・をろかならす。内には・もとの・しけいさを・御さうしにて・こみや
すむところの御方の人々・まかてちらす・さふらはせ給。さとのとのは・もく・すり・たくみつかさなとに・せんし
くたりて・になく・あらためつくらせ給。もとのこたち・山のたたすまゐ・おもしろきところなりけるを・いとと・
いけの心・ひろうしなし・めてたうつくりののしる。かかるところに・おもふやうならん・人を(29オ)」すゑて・すま
はやと・なけかしうおほしわたる。ひかるきみといふなは・こまうとのめてきこえて・つけたてまつりけるとそ・い
ひつたへたるとなん(29ウ)」


尾州家  河内本 (武蔵野書院版) 目次へ戻る

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