53巻 手 習


畳語、繰り返し文字はゝ、ゞ、または文字になっています。


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そのころ、横川に、なにがし僧都とかいひて、いとたうとき人住みけり。
八十あまりの母、五十ばかりのいもうとありけり。古き願ありて、初瀬に詣で
たりけり。むつましうやむごとなく思ふ弟子の阿閣梨を添へて、仏経供養ず
ることをこなひけり。事ども多くして帰る道に、奈良坂といふ山越えける程よ
り、この母の尼君、心ちあしうしければ、かくては、いかでか残りの道をもお
はし着かむともてさはぎて、宇治のわたりに知りたりける人のいゑありけるに
とゞめて、けふばかり休めたてまつるに、なをいたうわづらへば、横川に消息
したり。山籠りの本意深く、ことしは出でじと思けれど、限りのさまなる親の、
道の空にて亡くやならむとおどろきて、急ぎ物し給へり。
おしむべくもあらぬ人ざまを、身づからも、弟子の中にも験あるして加持し
さはぐを、いゑ主聞きて、「御嶽精進しけるを、いたう老い給へる人のをもく
なやみ給ふは、いかゞ」とうしろめたげに思いて言ひければ、さも言ふべきこ
とぞ、いとおしう思て、いとせばくむつかしうもあれば、やうやういてたてま

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つるべきに、中神塞がりて、例往み給方は忌むべかりければ、故朱雀院の御
両にて宇治の院といひし所、このわたりならむと思出でて、院守・僧都知
り給へりければ、一二日宿らんと言ひにやり給へりければ、「初瀬になん、き
のふみなまいりにける」とて、いとあやしき宿守の翁を呼びて率て来たり。
「おはしまさば、はや。いたづらなる院の寝殿にこそ侍めれ。物詣での人は常
にぞ宿り給」と言へば、「いとよかなり。おほやけ所なれど、人もなく心やす
きを」とて、見せにやり給。この翁、例もかく宿る人を見ならひたりければ、
おろそかなるしつらいなどして来たり。
まづ、僧都渡り給。いといたく荒れて、おそろしげなる所かなと見給。「大
徳たち、経読め」などの給。この初瀬に添ひたりし阿闇梨と、おなじやうなる、
何ごとのあるにか、つきづきしきほどのげらうほうしに火ともさせて、人も寄
らぬうしろの方に行きたり。森かと見ゆる木の下を、うとましげのわたりやと
見入れたるに、白き物のひろごりたるぞ見ゆる。「かれは何ぞ」と立とまりて、
火を明かくなして見れば、もののゐたる姿なり。「狐の変化したる。にくし。
見あらはさむ」とて、一人ば今すこし歩み寄る、いま一人は、「あな用な。よ

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からぬものならむ」と言ひて、さやうの物退くべき印をつくりつゝ、さすがに
猶まもる。頭の髪あらば太りぬべき心ちするに、此火ともしたる大徳、憚り
もなくあふなきさまにて近く寄りてそのさまを見れば、髪は長くつやつやとし
て、大きなる木のいと荒荒しきにより居て、いみじう泣く。「めづらしきこ
とにも侍かな。僧都の御坊に御覧ぜさせたてまつらばや」と言へば、げにあや
しきことなりとて、一人はまうでて、かゝる事なむと申す。「狐の人に変化す
るとはむかしより聞けど、まだ見ぬもの也」とて、わざと下りておはす。
かの渡り給はんとする事によりて、下種どもみなはかばかしきは、御厨子
所などあるべかしきことどもを、かゝるわたりには急ぐ物なりければ、ゐし
づまりなどしたるに、たゞ四五人してこゝなる物を見るに、変はることもなし。
あやしうて、時の移るまで見る。とく夜も明けはてなん、人か何ぞと見あらは、
さむ、と心にさるべき真言を読み、印をつくりて心みるに、しるくや思らん、
「これは人なり。さらに非常のけしからぬ物にあらず。寄りて問ヘ。亡くなり、
たる人にはあらぬにこそあめれ。もし死にたりける人を捨てたりけるが、よみ
がへりたるか」と言ふ。「何のさる人をか、この院のうちに捨て侍らむ。たと

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ひまことに人なりとも、狐、木霊やうの物の、あざむきて取りもて来たるにこ
そ侍らめ、と不便にも侍けるかな。穢らひあるべき所にそ侍べめれ」と言ひ
て、ありつる宿守の男を呼ぶ。山彦のこたふるもいとおそろし。
あやしのさまにひたいおし上げて出で来たり。「こゝには若き女などや住み
給。かゝることなんある」とて見すれば、「狐の仕うまつるなり。この木のも
とになん、時々あやしきわざなむし侍。をとゝしの秋も、こゝに侍人の子の、
二ばかりにはべしをとりてまうで来たりしかど、見をどろかずはべりき」、
「さて其児は死にやしにし」と言へば、「生きて侍り。狐は、さこそは人をを
びやかせど、ことにもあらぬ奴」と言ふさま、いと馴れたり。かの夜深きまい
り物の所に、心を寄せたるなるべし。僧都、「さらば、さやうの物のしたるわ
ざか、猶よく見よ」とて、此ものをぢせぬ法師を寄せたれば、「鬼か、神か、
狐か、木霊か。かばかりの天の下の験者のおはしますには、え隠れたてまつら
じ。名のり給へ名のり給へ」と、衣を取りて引けば、顔を引き入れていよいよ泣く。
「いで、あなさがなの木霊の鬼や。まさに隠れなんや」と言ひつゝ、顔を見ん
とするに、昔ありけむ目も鼻もなかりける女鬼にやあらんとむくつけきを、頼

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もしういかきさまを人に見せむと思て、衣をひぎ脱がせんとすれば、うつぶし
て声立つばかり泣く。何にまれ、かくあやしきこと、なべて世にあらじとて、
見はてんと思に、雨いたく降りぬべし。「かくてをいたらば、死にはて侍ぬべ
し。垣のもとにこそ出ださめ」と言ふ。僧都、「まことの人のかたちなり。そ
の命絶えぬを見る見る捨てんこと、いといみじきことなり。池にをよぐ魚、山
に鳴く鹿を立に、人にとらへられて死なむとするを見て助けざらむは、いとか
なしかるべし。人の命久しかるまじき物なれど、残りの一二日をもおしまず
はあるべからず。鬼にも神にもりようぜられ、人にをはれ、人にはかりごたれ
ても、これ横さまの死にをすべき物にこそあんめれ、仏のかならず救ひ給べき
際なりつなを心みに、しばし湯を飲ませなどして助け心みむ。つゐに死なば、
言ふ限りにあらず」との給て、この大徳して抱き入れさせ給ふを、弟子ども、
「たいだいしきわざかな、いたうわづらひ給人の御あたりに、よからぬ物を
とり入れて、穢らひかならず出で来なんとす」と、もどくもあり。又、「物の
変化にもあれ、目に見す見す生ける人を、かゝる雨にうち失はせんは、いみじ
きことなれば」など、心心に言ふ。下種などは、いとさはがしく、物をうた

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て言ひなす物なれば、人さはがしからぬ隠れの方になん臥せたりける。
御車寄せて下り給程いたう苦しがり給とてのゝしる。すこし静りて、僧
都、「ありつる人、いかゞなりぬる」と問ひ給。「なよなよとして物言はず、息
もし侍らず。何か、物にけどられにける人にこそ」と言ふを、いもうとの尼君
聞き給て、「何事ぞ」と問ふ。「しかしかのことなむ、六十にあまる年、めづ
らかなる物を見給へつる」との給。うち聞くまゝに、「をのが、寺にて見し夢
ありき。いかやうなる人ぞ。まづそのさま見ん」と泣きての給。「たゞこの東
の遣戸になん侍。はや御覧ぜよ」と言へば、急ぎ行きて見るに、人も寄りつか
でぞ捨ておきたりける。いと若ううつくしげなる女の、白き綾の衣一襲、くれ
なひの袴ぞ着たる、香はいみじうかうばしくて、あてなるけはひ限りなし。
「たゞ我恋かなしむむすめのかへりおはしたるなめり」とて、泣く泣く御達
を出だして、抱き入れさす。いかなりつらむともありさま見ぬ人は、おそろし
からで抱き入れつ。生けるやうにもあらで、さすがに目をほのかに見あけたる
に、「物のたまへや。いかなる人か、かくては物し給へる」と言へど、ものお
ぼえぬさま也。湯とりて手づからすくひ入れなどするに、たゞよはりに絶え入

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るやうなりければ、「中中いみじきわざかな」とて、「この人亡くなりぬべし。
加持し給へ」と験者の阿闍梨に言ふ。「さればこそ。あやしき御ものあつかひ」
とは言へど、神などのために経読みつゝ祈る。
僧都もさしのぞきて、「いかにぞ。何のしわざぞと、よく調じて問へ」との
給へど、いとよはげひ消えもていくやうなれば、「え生き侍らじ。すぞろなる
穢らひにこもりて、わづらふべきこと。さすがにいとやむごとなき人にこそ
侍めれ。死にはつとも、たゞにやは捨てさせ給はん。見ぐるしきわざかな」
と言ひあへり。「あなかま。人に聞かすな。わづらはしきこともぞある」など
口固めつゝ、尼君は、親のわづらひ給よりも、此人を生けはてて見まほしうお
しみて、うちつけに添ひゐたり。知らぬ人なれど、みめのこよなうおかしげな
れば、いたづらになさじと見るかぎりあつかひさわぎけり。
さすがに、時時目見あけなとしつゝ、涙の尽きせず流るゝを、「あな心うや。
いみじくかなしと思ふ人の代はりに、仏の導き給へると思ひきこゆるを、かひ
なくなり給はば、中中なることをや思はん。さるべき契にてこそ、かく見た
てまつらめ。猶いさゝか物の給へ」と言ひつゞくれど、からうして、「生き出

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でたりとも、あやしぎ不用の人なり。人に見せで、夜、この川に落とし入れ
絵てよ」と、息の下に言ふ。「まれまれ物の給をうれしと思ふに、あないみ
じや。いかなればかくはの給ぞ。いかにしてさるところにはおはしつるぞ」と
問へども、物も言はずなりぬ。身にもし疵などやあらんとて見れど、こゝはと
見ゆる所なくうつくしければ、あさましくかなしく、まことに人の心まどはさ
むとて出で来たる仮の物にやと疑ふ。
二日ばかり籠りゐて、二人の人を祈り、加持する声絶えず、あやしきことを
思さはぐ。そのわたりの下種などの僧都に仕まつりける、かくておはします
なりとてとぶらひ出で来るも、物語などして言ふを聞けば、「古八の宮の御む
すめ、右大将殿の通ひ給し、ことに悩み給こともなくてにはかに隠れ給へりと
てさはぎ侍、その御葬送のざうじども仕うまつり侍りとて、昨日はえまいり侍
らざりし」と言ふ。さやうの人の玉しゐを、鬼の取りもて来たるにやと思にも、
かつ見る見る、ある物ともおぼえずあやうくおそろしとおぼす。人々、「よべ
見やられし火は、しかことことしきけしきも見えざりしを」と言ふ。「ことさ
ら事そぎて、いかめしうも侍らざりし」と言ふ。穢らひたる人とて、立ちなが

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らをい返しつ。「大将殿は、宮の御むすめもち給へりしは、亡せ給て年ごろに
なりぬる物を、誰を言ふにかあらん。姫宮ををきたてまつり給て、よに異心お
はせじ」など言ふ。
尼君よろしくなり給ぬ。方もあきぬれば、かくうたてある所に久しうおはせ
んも便なし、とて帰る。「此人は猶いとよはげなり。道の程もいかゞ物し給は
ん」と、「心ぐるしきこと」と言ひあへり。車二つして、老い人乗り給へるに
は、仕うまつる尼二人、次のには、この人を臥せて、かたはらに今一人乗り添
ひて、道すがら行もやらず、車とめて湯まいりなどし給。比叡坂本に、小野と
いふ所にぞ住み給ける、そこにおはし着くほど、いととをし。「中宿りをまう
くべかりける」など言ひて、夜ふけておはし着きぬ。僧都は親をあつかひ、む
すめの尼君は、この知らぬ人をはぐくみて、みな抱きおろしつゝ休む。老のや
まいのいつともなきが、苦しと思給べし、とを道のなごりこそしばしわづら
ひ給けれ、やうやうよろしうなり給にければ、僧都は登り給ぬ。 
かゝる人なん率て来たるなど、ほうしのあたりにはよからぬことなれば、見
ざりし人にはまねばず、尼君もみな口固めさせつゝ、もし尋ね来る人もやある

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と思も、静心なし。いかで、さるゐなか人の住むあたりに、かゝる人落ちあぶ
れけん、物詣でなどしたりける人の、心ちなどわづらひけんを、まゝ母などや
うの人のたばかりて置かせたるにや、などぞ思よりける。「河に流してよ」と
言ひし一言よりほかに、物もさらにの給はねば、いとおぼつかなく思て、いつ
しか人にもなしてみんと思に、つくづくとして起き上がる世もなく、いとあや
しうのみ物し給へば、つゐに生くまじき人にやと思ながら、うち捨てむもいと
おしういみじ。夢語りもし出でて、はじめより祈らせし阿闍梨にも、しのびや
かに芥子焼くごとせさせ給。
うちはへ、かくあつかふほどに、四五月も過ぎぬ。いとわびしうかひなきこ
とを思れびて、僧都の御もとに、
猶下り給へ。この人助け給ヘ。さすがにけふまでもあるは、死ぬまじか
りける人を、つきしみ両じたる物の去らぬにこそあめれ。あが仏、京に出
で給ばばこそはあらめ、こゝまではあへなん。
など、いみじきこどを書きつゞけて奉り給へれば、「いとあやしきことかな。
かくまでもありける人の命を、やがてとり捨ててましかば、さるべき契ありて

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こそは、われしも見つけけめ、心みに助けはてむかし。それにとゞまらずは、
ごう尽きにけりと思はん」とて下り給けり。
よろこびおがみて、月此の有さまを語る。「かく久しうわづらふ人は、むつ
かしきことをのづからあるべきを、いさゝか衰へず、いときよげに、ねぢけた
る所なくのみ物し給て、限りと見えながらも、かくて生きたるわざなりけり」
など、おほなおほな泣く泣くの給へば、「見つけしより、めづらかなる人の御あ
りさまかな。いで」とて、さしのぞきて見給て、「げにいときやうさくなりけ
る人の御容面かな。功徳の報ひのこそ、かゝるかたちにも生ひ出で給けめ。い
かなる違ひ目にて損はれ給けん。もしさにや、と聞きあはせらるゝ事もなし
や」と問ひ給ふ。「さらに聞こゆることもなし。何か、初瀬のくわんをむの給
へる人なり」との給へば、「何か、それ。縁に従ひてこそ導き給はめ、種なき
ことはいかでか」などの給が、あやしがり給て、すほう始めたり。
おほやけの召しにだに従はず、深く籠りたる山を出で給て、すぞろにかゝる
人のたまになむをこなひさはぎ給と、物の聞こえあらん、いと聞きにくかるべ
しとおぼし、弟子どもも言ひて、人に聞かせじと隠す。僧都、「いであなかま

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大徳たち、われ無慚のほうしにて、忌むことの中に破る戒は多からめど、女の
筋につけて、まだ譏りとらず、あやまつことなし。六十にあまりて、今さらに
人のもどき負はむは、さるべきにこそはあらめ」との給へば、「よからぬ人の、
物を便なく言ひなし侍時には、仏ぼうの疵となり侍こと也」と、心よからず
思て言ふ。「このすほうのほどに、験見えずは」と、いみじきことどもを誓
ひ給て、夜一夜、加持し給へるあかつきに、人に駆り移して、何やうのもの、
かく人をまどはしたるぞと、有さまばかり言はせまほしうて、弟子の阿闍梨と
りどりに加持し給。月比いさゝかもあらはれざりつる物のけ、調ぜられて、
「をのれは、こゝまでまうで来て、かく調ぜられたてまつるべき身にもあらず。
むかしは、をこなひせし法師の、いさゝかなる世にうらみをとゞめて漂ひあり
きしほどに、よき女のあまた住み給し所に住みつきて、かたへは失ひてしに、
この人は、心と世を恨給て、われいかで死なんといふことを、夜昼の給しに
たよりを得て、いと暗き夜、ひとり物し給しをとりてしなり。されど観音とさ
まかうざまにはぐくみ給ければ、此僧都に負けたてまつりぬ。今はまかりな
ん」とのゝしる。「かく言ふは何ぞ」と問へば、つきたる人、物はかなきけに

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や、はかばかしも言はず。
正身の心ちはさはやかに、いさゝかものおぼえて見まはしたれば、一人見し
人の顔はなくて、みな老いほうし、ゆがみ衰へたる物のみ多かれば、知らぬ国
に来にける心ちしていとかなし。ありし世のこと思出づれど、住みけむ所、
誰といひし人とだにたしかにはかばかしうもおぼえず。たゞわれは限りとて身
を投げし人ぞかし、いづくに来にたるにかとせめて思出づれば、いといみじ
とものを思嘆きて、みな人の寝たりしに、妻戸を放ちて出でたりしに、風は
はげしう、河浪も荒ふ聞こえしを、ひとり物おそろしかりしかば、来し方行く
先もおぼえで、簀子の端に足をさし下ろしながら、行べき方もまどはれて、帰
り入らむも中空にて、心つよく、此世に亡せなんと思たちしを、おこがましう
て人に見つけられむよりは鬼も何も食い失へと言ひつゝ、つくづくとゐたりし
を、いとぎよげなるおとこの寄り来て、いざ給へ、をのがもとへと言ひて、抱
く心ちのせしを、宮と聞こえし人のしたまふとおぼえし程より、心ちまどひに
けるなめり、知らぬ所に据ゑをきて、此男は消え失せぬと見しを、つゐにかく
本意のこともせずなりぬると思つゝ、いみじう泣くと思しほどに、その後のこ

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とは、絶えていかにもいかにもおぼえず、人の言ふを聞けば、多くの日比も経にけ
り、いかにうきさまを知らぬ人にあつかはれ見えつらんとはづかしう、つゐに
かくて生きかへりぬるかと思ふもくちおしければ、いみじうおぼえて、中中
しづみ給ひつる日比は、うつし心もなきさまにて、物いさゝかまいることもあ
りつるを、露許の湯をだにまいらず。
「いかなれば、かく頼もしげなくのみはおはするぞ。うちはへぬるみなどし
給へることはさめ給て、さはやかに見え給へば、うれしう思きこゆるを」と、
泣く泣くたゆむおりなく、添ひゐてあつかひきこえ給。ある人々も、あたらし
き御さまかたちを見れば、心を尽くしてぞおしみまもりける。心には猶いかで
死なんとぞ思わたり給へど、さばかりにて生きとまりたる人の命なれば、いと
しうねくて、やうやう頭もたげ給へば、物まいりなどし給にぞ、中中面痩せ
もていく。いつしかとうれしう思きこゆるに、「尼になし給てよ。さてのみな
ん生くやうもあるべき」とのたまへば、「いとおしげなる御さまを、いかでか、
さはなしたてまつらむ」とて、たゞ頂許をそぎ、五戒ばかりを受けさせた
てまつる。心もとなけれど、もとよりおれおれしき人の心にて、えさかしくし

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ゐてもの給はず。僧都は、「今は、かばかりにて、いたはりやめたてまつり給
へ」と言ひをきて、登り給ぬ。
夢のやうなる人を見たてまつる哉と尼君はよろこびて、せめて起こし据ゑ
つゝ、御髪手づから梳り給。さばかりあさましう引き結ひてうちやりたりつれ
ど、いたうも乱れず、ときはてたれば、つやつやとけうらなり。一年たらぬつ
くも髪多かる所にて、目もあやに、いみじき天人の天降れるを見たらむやうに
思ふも、あやうき心ちすれど、「などか、いと心うく、かばかりいみじく思き
こゆるに、御心を立てては見え給。いづくに誰と聞こえし人の、さる所にはい
かでおはせしぞ」と、せめて問ふを、いとはづかしと思て、「あやしかりしほ
どに、みな忘れたるにやあらむ、ありけんさまなどもさらにおぼえ侍ず。たゞ
ほのかに思出づることとては、たゞいかでこの世にあらじと思つゝ、夕暮ご
とに端近くてながめし程に、前近く大きなる木のありし下より人の出で来て率
て行く心ちなむせし。それより外のことは、われながら誰ともえ思出でられ
侍ず」と、いとらうたげに言ひなして、「世中になをありけりと、いかで人に
知られじ。聞きつくる人もあらば、いといみじくこそ」とて泣い給。あまり問

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ふをば、苦しとおぼしたれば、え問はず。かぐや姫を見つけたりけん竹取の翁
よりもめづらしき心ちするに、いかなる物のひまに消え失せんとすらむと、静
心なくぞおぼしける。
此あるじも、あてなる人なりけり。むすめの尼君は、上達部の北の方にてあ
りけるが、その人亡く成給て後、むすめたゞ一人をいみじくかしづきて、よき
君達を婿にして思あつかひけるを、そのむすめの君の亡くなりにければ、心う
し、いみじと思入りて、かたちをも変へ、かゝる山里には住みはじめたりけ
る也。世とともに恋ひわたる人の形見にも、思よそへつべからむ人をだに見出
でてしかな、つれづれも心ぼそきまゝに思嘆きけるを、かくおぼえぬ人のか
たちけはひもまさりざまなるを得たれば、うつゝのことともおぼえず、あやし
き心ちしながらうれしと思。ねびにたれど、いときよげによしありて、有さま
もあてはかなり。
むかしの山里よりは、水のをともなごやかなり。造りざまゆへある所、木立
おもしろく、前裁もおかしく、ゆへを尽くしたり。秋になり行ば、空のけしき
もあはれなり。門田の稲刈るとて、所につけたる物まねびしつゝ、若き女ども

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は歌うたひけうじあへり。引板ひき鳴らすをともおかしく、見し東路のことな
ども思ひ出でられて、かの夕霧の宮す所のおはせし山里よりは、今すこし入り
て、山に片かけたる家なれば、松風しげく、風の音もいと心ぼそきに、つれ
づれにをこなひをのみしつゝ、いつとなくしめやかなり。
尼君ぞ、月など明かき夜は、琴など弾き給。少将の尼君などいふ人は、琵琶
弾きなどしつゝ遊ぶ。「かゝるわざはし給や。つれづれなるに」など言ふ。む
かしもあやしかりける身にて、心のどかにさやうの事すべき程もなかりしかば、
いさゝかおかしきさまならずも生ひ出でにける哉と、かくさだすぎにける人の、
心をやるめるおりおりにつけては思ひ出づるを、あさましく物はかなかりける
と、われながらくちおしければ、手習に、
身を投げし涙の河のはやき瀬をしがらみかけて誰かとゞめし
思の外に心うければ、行末もうしろめたく、うとましきまで思やらる。
月の明かき夜な夜な、老い人どもは艶に歌よみ、いにしゑ思出でつゝ、さ
まざま物語りなどするに、いらふべき方もなければ、つくづくと打ながめて、
われかくてうき世の中にめぐるとも誰かは知らむ月の都に

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今は限りと思し程は、恋しき人多かりしかど、こと人々はさしも思ひ出でられ
ず、たゞ、親いかにまどひ給けん、乳母、よろづにいかで人なみなみになさむ

と思いられしを、いかにをえなき心ちしけん、いづくにあらむ、われ世にある
物とはいかでか知らむ、おなじ心なる人もなかりしまゝに、よろづ隔つること
なく語らひ見馴れたりし右近なども、おりおりは思出でらる。
若き人の、かゝる山里に今はと思絶えこもるは、かたきわざなりければ、
たゞいたく年経にける尼七八人ぞ、常の人にてはありける、それらがむすめ
孫やうの物ども、京に宮仕へするも、異ざまにてあるも、時時ぞ来通ひける。
かやうの人につけて、見しわたりに行き通ひ、をのづから世にありけり、と誰
にも誰にも聞かれたてまつらむこと、いみじくはづかしかるべし。いかなるさま
にてさすらへけんなど、思やり世づかずあやしかるべきを思へば、かゝる人々
にかけても見えず。たゞ侍従、こもきとて、尼君のわが人にしたりける二人を
のみぞ、此御方に言ひわけたりける。みめも心ざまも、むかし見し宮こ鳥に似
たるはなし。何ごとにつけても、世中にあらぬ所はこれにやとぞ、かつは思な
されける。かくのみ人に知られじと忍び給へぱ、まことにわづらはしかるべき

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ゆへある人にも物し給らんとて、くはしきこと、ある人々にも知らせず。
尼君のむかしの婿の君、今は中将にて物し給ける、おとうとの禅師の君、僧
都の御もとに物し給ける、山籠りしたるをとぶらひに、はらからの君たち常に
登りけり。横川に通ふ道のたよりによせて、中将こゝにおはしたり。前駆うち
をひて、あてやかなるおとこの入り来るを見出だして、しのびやかにおはせし
人の御さまけはひぞ、さやかに思出でらるゝ。これもいと心ぼそき住まゐの
つれづれなれど、住みつきたる人々は、物きよげにおかしうしなして、垣ほに
植へたる撫子もおもしろく、女郎花、き経など咲きはじめたるに、色々の狩
衣姿の男どもの若きあまたして、君もおなじ装束にて、南をもてに呼び据へた
れば、うちながめてゐたり。年廿七八の程にて、ねびとゝのひ、心ちなからぬ
さまもてつけたり。
尼君、障子口にき丁立てて対面し給。まづうち泣きて、「年ごろの積るに
は、過ぎにし方いとゞけどをくのみなん侍べるを、山里の光に猶待ちきこえ
さすることの、うち忘れずやみ侍らぬを、かつはあやしく思給ふる」との給
へば、「心のうちあはれに、過ぎにし方のことども、思給へられぬおりなきを、

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あながちに住み離れ顔なる御ありさまに、をこたりつゝなん。山籠りもうら
山しう、常に出で立ぢちを、おなじくはなど、慕ひまとはさるゝ人々に、妨
げらるゝやうに侍てなん。けふはみなはぶき捨てて物し給へる」との給。「山
籍りの御うらやみは、中中今様だちたる御物まねびになむ、むかしをおぼし
忘れぬ御心ばへも、世になびかせ給はざりけると、をろかならず思給へら
るゝおり多く」など言ふ。
人々に水飯などやうの物食はせ、君にも蓮の実などやうの物出だしたれば、
馴れにしあたりにて、さやうのこともつゝみなき心ちして、むら雨の降り出づ
るにとめられて、物語りしめやかにし給。言ふかひなく成にし人よりも、此君
の御心ばへなどのいと思やうなりしを、よその物に思なしたるなんいとかなし
き、など忘がたみをだにとゞめ給はずなりにけんと、恋しのぶ心なりければ、
たまさかにかく物し給へるにつけても、めづらしくあはれにおぼゆべかめる問
はず語りもし出でつべし。
姫君は、われは我と思いづる方多くて、ながめ出だし給へるさまいとうつく
し。白き単衣の、いとなさけなくあざやぎたるに、誇も槍皮色にならひたるに

P344

や、光も見えず黒きを着せたてまつりたれば、かゝることどもも、見しには変
はりてあやしうもあるかなと思つゝ、こはごはしういらゝぎたる物ども着給へ
るしも、いとおかしき姿なり。御前なる人々、「故姫君のおはしたる心ちのみ
し侍つるに、中将殿をさへ見たてまつれば、いとあはれにこそ。おなじくは、
昔のさまにておはしまさせばや。いとよき御あはひならむかし」と言ひあへる
を、あないみじや、世にありて、いかにもいかにも人に見えんこそ、それにつ
けてぞむかしのこと思出でらるべき、さやうの筋は恩絶えて忘れなん、と
思。
尼君、入り給へる間に、客人、雨のけしきを見わづらひて、少将といひし人
の声を聞き知りて、呼び寄せ給へり。「昔見し人々は、みなこゝに物せらるら
んやと思ひながらも、かうまいり来ることもかたくなりにたるを、心あさきに
や護も誰も見なし給らん」などの給。仕うまつりなれにし人にて、あはれなり
し昔のことどもも思出でたるつゐでに、「かの廊のつま入りつる程、風のさ
はがしかりつるまぎれに、簾の隙より、なべてのさまにはあるまじかりつる人
の、うち垂れ髪の見えつるは、世を背き給へるあたりに、誰ぞとなん見おどろ

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かれつる」との給。
姫君の立ち出で給へる後手を見給へりけるなめりと思ひ出でて、ましてこま
かに見せたらば、心とまり給なんかし、むかし人はいとこよなうをとり給へり
しをだに、まだ忘がたくし給めるをと、心ひとつに思て、「過ぎにし御事を忘
れがたく慰めかれ給めりし程に、おぼえぬ人を得たてまつり給て、明け暮の見
物に思きこえ給めるを、うちとけ給へる御有さまを、いかで御覧じつらん」と
言ふ。かゝることこそはありけれとおかしくて、何人ならむ、げにいとおかし
かりつと、ほのかなりつるを、中中思出づ。こまかに問へど、そのまゝに
も言はず、「をのづから聞こしめしてん」とのみ言へば、うちつけに問ひ尋む
もさまあ上き心ちして、「雨もやみぬ。日も暮ぬべし」と言ふにそゝのかされ
て、出給。
前近き女郎花をおりて、「何にほふらん」と口ずさびて、ひとりごち立てり。
「人の物言ひを、さすがにおぼし咎むるこそ」など、古体の人どもは物めでを
しあへり。いときよげに、あらまほしくもねびまさり給にけるかな、おなじく
は、昔のやうにても見たてまつらばやとて、「藤中納言の御あたりには、絶え

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ず通ひ給やうなれど、心もとゞめ給はず、親の殿がちになん物し給とこそ言ふ
なれ」と尼君もの給て、「心うく、物をのみおぼし隔てたるなむいとつらき。
今は、猶さるべきなめりとおぼしなして、はればれしくもてなし給へ。この
五年六年、時の間も忘ず、恋しくかなしと思つる人の上も、かく見たてまつ
りて後よりは、こよなく思忘れにて侍。思きこえ給べき人々世におはすと、
も、今は世になき物にこそ、やうやうおぼしなりぬらめ。よろづのこと、さし
あたりたるやうには、えしもあらぬわざになむ」と言ふにつけても、いとゞ涙
ぐみて、「隔てきこゆる心は侍らねど、あやしくて生き返ける程に、よろづの
こと夢の世にたどられて、あらぬ世に生れたらん人は、かゝる心ちやすらんと
おぼえ侍れば、今は知べき人世にあらんとも思ひ出ず、ひたみちにこそむつま
しく思きこゆれ」との給さまも、げに何心なくうつくしく、うち笑みてぞまも
りゐ給へる。
中将は、山におはしつきて、僧都めづらしがりて、世中の物語し給ふ。
その夜はとまりて、声たうとき人に経など読ませて、夜一夜遊び給。禅師の君、
こまかなる物語りなどするつゐでに、「小野に立寄りて、物あはれにも有しか

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な。世を捨てたれど、猶さばかりの心ばせある人は、難うこそ」などあるつゐ
でに、「風の吹上げたりつる隙より、髪いと長く、おかしげなる人こそ見えつ
れ。あらばなりとや思つらん、立ちてあなたに入りつる後手、なべての人とは
見えざりつ。さやうの所に、よき女はをきたるまじき物にこそあめれ。明け
暮見る物は、ほうしなり。をのづから目馴れておぼゆらん。不便なることぞ
かし」との給。禅師の君、「この春、初瀬に詣でて、あやしくて見出でたる人
となむ聞き侍し」とて、見ぬことなれば、こまかには言はず。「あはれなりけ
ること哉。いかなる人にかあらむ。世中をうしとてぞ、さる所には隠れゐけむ
かし。昔物語の心ちもするかな」との給。
又の日、帰り給にも、「過ぎがたくなむ」とておはしたり。さるべき心づか
ひしたりけれぱ、昔思ひ出でたる御まかなひの少将の尼なども、袖口さまこと
なれどもおかし。いとゞいや目に、尼君は物し給。物語りのつゐでに、「忍び
たるさまに物し給らんは、誰にか」と問ひ給。わづらばしけれど、ほのかにも
見つけてけるを、隠し顔ならむもあやしとて、「忘れわび侍て、いとゞ罪深う
のみおぼえ侍つる慰めに、この月ごろ見給ふる人になむ。いかなるにか、いと

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物思しげきさまにて、世にありと人に知られんことを苦しげに思て物せらる
れば、かゝる谷の底には誰かは尋聞かんと思つゝ侍を、いかでかは聞きあ
らはさせ給へらん」といらふ。「うちつけ心ありてまいり来むにだに、山深き
道のかことは聞こえつべし。ましておぼしよそふらん方につけては、ことごと
に隔て給まじきことにこそは。いかなる筋に世をうらみ給人にか。なぐさめ
きこえばや」など、ゆかしげにの給。出で給とて、畳紙に、
あだし野の風になびくな女郎花われしめ結はん道遠くとも
と書きて、少将の尼して入れたり。尼君も見給て、「此御返書かせ給へ。い
と心にくきけつき給へる人なれば、うしろめたくもあらじ」とそゝのかせば、
「いとあやしき手をば、いかでか」とて、さらに聞き給はねば、「はしたなき
ことなり」とて、尼君、「聞こえさせつるやうに、世づかず、人に似ぬ人にて
なむ。
うつしうへて思みだれぬ女郎花うき世をそむく草の庵に」
とあり。こたみはさもありぬべし、と思ゆるして帰りぬ。
文などわざとやらんは、さすがにうひうひしう、ほのかに見しさまは忘ず、

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物思ふらん筋何ごとと知らねど、あはれなれば、八月十余日のほどに、小鷹狩
のついでにおはしたり。例の尼呼び出でて、「一目見しより、静心なくてなむ
の給へり。いらへ給べくもあらねば、尼君、「待乳の山となん見給ふる」と
言ひ出だし給。対面し給へるにも、「心ぐるしきさまにて物し給と聞き侍し人
の御上なん、残りゆかしく侍つる。何ごとも心にかなはぬ心ちのみし侍れば、
山住みもし侍らまほしき心ありながら、ゆるい給まじき人々に、思ひ障りてな
む過ぐし侍。世に心ちよげなる人の上は、かく屈じたる人の心からにや、ふさ
はしからずなん。物思給らん人に、思ことを聞こえばや」など、いと心とゞ
めたるさまに語らひ給、「心ちよげならぬ御願ひは、聞こえかはし給はんに、
つきなからぬさまになむ見え侍れど、例の人にてはあらじと、いとうたゝある
まで世をうらみ給めれば、残り少なき齢どもだに、今はと背きばべる時は、い
と物心ぼそくおぼえ侍し物を、世をこめたる盛りには、つゐにいかゞとなん見
給へ侍」と、親がりて言ふ。
入りても、「なさけなし。猶いさゝかにても聞こえ給へ。かゝる御住まひは、
すゞろなることも、あはれ知るこそ世の常のことなれ」など、こしらへても言

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へど、「人に物聞こゆらん方も知らず、何ごとも言ふかひなくのみこそ」と、
いとつれなくて臥し給へり。客人は、「いづら。あな心う。秋を契れるは、す
かし給にこそ有けれ」など、恨みつゝ、
松虫の声をたづねて来つれどもまた萩原の露にまどひぬ
「あないとおし。これをだに」などせむれば、さやうに世づいたらむこと言
ひ出でんもいと心うく、又言ひそめては、かやうのおりおりにせめられむもむ
つかしうおぼゆれば、いらへをだにしたまはねば、あまり言ふかひなく思あへ
り。尼君、はやうはいまめきたる人にぞありけるなごりなるべし。
「秋の野の露わけきたる狩衣むぐらしげれる宿にかこつな
となん、わづらはしがりきこえ給める」と言ふを、うちにも、猶かく心より外
に世にありと知られはじむるを、いと苦しとおぼす心のうちをば知らで、おと
こ君をも飽かず思出でつゝ恋わたる人々なれば、「かくはかなきつゐでにも、
うち語らひきこえ給はんに、心より外に、世にうしろめたくば見え給はぬ物を、
世の常なる筋にはおぼしかけずとも、なさけなからぬ程に、御いらへばかりは
聞こえ給へかし」など、ひき動かしつべく言ふ。

P351

さすがに、かゝる古体の心どもにはありつかずいまめきつゝ、腰おれ歌この
ましげに若やぐけしきどもは、いとうしろめたうおぼゆ。限りなくうき身なり
けりと見はててし命さへ、あさましう長くて、いかなるさまにさすらふべきな
らむ、ひたふるに亡き物と人に見聞き捨てられてもやみなばや、と思ひ臥し給
へるに、中将は、大方物思はしきことのあるにや、いといたう打嘆き、しの
びやかにふゑを吹きならして、「鹿の鳴く音に」などひとりごつけばひ、まこ
とに心ちなくはあるまじ。「過ぎにし方の思出でらるゝにも、中中心づく
しに、今はじめてあはれとおぼすべき人、はた難げなれば、見えぬ山路にも、
え思なすまじうなん」と、うらめしげにて出でなむとするに、尼君、「などあ
たら夜を御覧じさしつる」とて、ゐざり出で給へり。「何か。をちなる里も、
心み侍れば」など言ひすさみて、いたうすきがましからんも、さすがに便なし、
いとほのかに見えしさまの、目とまりしばかり、つれづれなる心なぐさめに
思出づるを、あまりもて離れ、奥深なるけはひも所のさまにあはずすさまじ、
と思へば、帰りなむとするを、笛の音さへ飽かずいとゞおぼえて、
ふかき夜の月をあはれと見ぬ人や山の端ちかき宿にとまらぬ

P352

と、なまかたはなることを、「かくなん聞こえ給ふ」と言ふに、心ときめきし
て、
山の端に入まで月をながめ見んねやの板間もしるしありやと
など言ふに、この大尼君、笛の音をほのかに聞きつけたりければ、さすがにめ
でて出で来たり。
こゝかしこうちしはぶき、あさましきわなゝき声にて、中中むかしのこと
などもかけて言はず、誰とも思分かぬなるべし。「いで、その琴の琴弾き給
へ。横笛は、月にはいとおかしき物ぞかし。いづら、御達、琴取りてまいれ」
と言ふに、それなめりとをしはかりに聞けど、いかなる所にかゝる人、いかで
籠りゐたらむ、定めなき世ぞ、これにつけてあはれなる。盤渉調をいとおかし
う吹きて、「いづら、、さらば」とのたまふ。むすめ尼君、これもよき程のすき
物にて、「むかし聞き侍しよりも、こよなくおぼえ侍は、山風をのみ聞きな
れ侍にける耳からにや」とて、「いでや、これもひがことに成て侍らむ」と言
ひながら弾く。今様は、おさおさなべての人の今は好まず成行物なれば、中
中めづらしくあはれに聞こゆ。松風もいとよくもてはやす。吹きて合はせた

P353

る笛の音に、月もかよひて澄める心ちすれば、いよいよめでられて、よゐまど
ひもせず起きゐたり。
「女は、むかしはあづま琴をこそは、こともなく弾きはべりしかど、今の世
には変はりにたるにやあらむ、この僧都の、聞きにくし、念仏より外のあだわ
ざなせそとはしたなめられしかば、何かはとて弾き侍らぬなり。さるは、いと
よく鳴る琴も侍り」と言ひつゞけて、いと弾かまほしと思たれば、いとしのび
やかにうち笑ひて、「いとあやしきことをも制しきこえ給ける僧都かな。極楽
といふなる所には、菩薩などもみなかゝることをして、天人なども舞ひ遊ぶこ
そたうとかなれ。をこなひまぎれ、罪得べきことかは。こよひ聞き侍らばや」
とすかせば、いとよしと思て、「いで、殿守のくそ。あづま取りて」と言ふに
も、咳は絶えず、人々は見ぐるしと思へど、僧都をさへうらめしげに愁へて言
ひ聞かすれば、いとおしくてまかせたり。取り寄せて、たゞ今の笛の音をもた
づねず、たゞをのが心をやりて、あづまの調べを爪さはやかに調ふ。みな異物
は声をやめつるを、これをのみめでたると思て、「たけふ、ちゝりちゝり、たり
たんな」などかき返しはやりかに弾きたる、言葉ども、わりなく古めきたり。

P354

「いとおかしう、今の世に聞こえぬ言葉こそは弾き給けれ」とほむれぱ、耳ほ
のぼのしく、かたはらなる人に問ひ聞きて、「今様の若き人は、かやうなるこ
とをぞ好まれざりける。こdに月ごろ物し給める姫君、かたちいとけうらに物
し給めれど、もはら、かやうなるあだわざなどし給はず、埋もれてなん物し
給める」と我かしこにうちあぎ笑ひて語るを、尼君などはかたはらいたしと
おぼす。これに事みなさめて帰り給程も、山おろし吹て、聞こえ来る笛の音
いとおかしう聞こえて、起き明かしたるつとめて、
よべは、かたがた心乱れ侍しかば、急ぎまかで侍し。
忘られぬ昔のことも笛竹のつらきふしにも音ぞ泣かれける
猶すこしおぼし知るばかり教へなさせ給へ。思はれぬべくば、すきずきし
きまでも、何かは。
とあるを、いとゞわびたるは、涙とゞめがたげなるけしきにて、書き給ふ。
笛の音に昔のこともしのばれてかへりし程も袖ぞぬれにし
あやしう、物思ひ知らぬにやとまで見侍ありさまは、老い人のの問はず語
りに聞こしめしけむかし。

P355

とあり。めづらしからぬも見所なき心ちして、うちをかれけん。
おぎの葉にをとらぬほどほどにをとづれわたる、いとむつかしうもあるかな、
人の心はあながちなる物なりけり、と見知りにしおりおりも、やうやう思出
づるまゝに、「猶かゝる筋のこと、人にも思放たすべきさまにとくなし給て
よ」とて、経ならいて読み給。心のうちにも念じ給へり、かくよろづにつけて、
世中を思捨つれば、若き人とておかしやかなることもことになく、むすぼほ
れたる本上なめりと思。かたちの見るかひ有うつくしきに、よろづの咎見ゆる
して、明け暮れの見物にしたり。すこしうちはらひ給おりは、めづらしくめ
でたき物に思へり。
九月になりて、此尼君、初瀬に詣づ。としごろいと心ぼそき身に、恋しき
人の上も思やまれざりしを、かくあらぬ人ともおぼえ給はぬ慰めを得たれば、
くわんをんの御験うれしとて、返り申だちて詣で給なりけり。「いざ給へ、人
やは知らむとする。おなじ仏なれど、さやうの所にをこなひたるなむ験ありて
よきためし多かる」と言ひて、そゝのかし立れど、むかし母君、乳母などの、
かやうに言ひ知らせつゝ、たびたび詣でさせしを、かひなきにこそあめれ、命

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さへ心にかなはず、たぐひなきいみじき目を見るはといと心うきうちにも、知
らぬ人に具して、さる道のありきをしたらんよと、空おそろしくおぼゆ。
 心ごはきさまには言ひもなさで、「心ちのいとあしうのみ侍れば、さやうな
らん道の程にもいかがなそ、つつましうもなむ」との給ふ。物おぢは、さもし
給べき人ぞかしと思て、しゐてもいざなはず。
  はかなくて世にふる河のうき瀬には尋もゆかじ二本の杉
と手習にまじりたるを、尼君見つけて、「二本は、またもあひきこえんと思
給人あるべし」と戯れ言を言ひあてたるに、胸つぶれて面赤ね給へる、いと
あい行づきうつくしげなり。
  ふる河の杉の本だち知らねども過にし人によそへてぞ見る
ことなることなきいらへを、口とく言ふ。しのびてと言へど、みな人慕ひつつ、
ここには人少なにておはせんを心ぐるしがりて、心ばせある少将の尼、左衛門
とてあるおとなしき人、童ばかりぞとどめたりける。
 みな出で立ちけるをながめ出でて、あさましきことを思ながらも、今はい
かがせむと、頼もし人に思ふ人一人物し給はぬは心ぼそくもあるかなと、いと

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つれづれなるに、中将の御文あり。「御覧ぜよ」と言へど、聞きも人れ給はず。
いとゞ人も見えず、つれづれと来し方行先を思屈じ給ふ。「苦しきまでもな
がめさせ給かな。御五を打たせ給へ」と言ふ。「いとあやしうこそはありしか」
とはの給へど、打たむとおぼしたれば、盤取りにやりて、われはと思て先ぜさ
せたてまつりたるに、いとこよなけれぼ、又手なをして打つ。「尼上とう帰ら
せ給はなん、此御五見せたてまつらむ。かの御五ぞいとつよかりし。僧都の君、
はやうよりいみしう好ませ給て、けしうはあらずとおぼしたりしを、いと棋聖
大徳になりて、さし出でてこそ打たざらめ、御五には負けじかしと聞こえ給し
に、つゐに僧都なん、二つ負け給し。棋聖が五にはまさらせ給べきなめり、あ
ないみじ」とけうずれば、さだすぎたる尼びたいの見つかぬに、物好みするに
むつかしぎこともしそめてける哉と思て、心ちあしとて臥し給ぬ。時時は
ればれしうもてなしておはしませ。あたら御身を、いみじう沈みてもてなさせ
給こそくちおしう、玉に疵あらん心ちし侍れ」と言ふ。夕暮の風の音もあは
れなるに、思出づることも多くて、
心には秋の夕をわかねどもながむる袖に露ぞみだるゝ

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月さし出でておかしき程に、昼、文ありつる中将おはしたり。あなうたて、
こは何ぞ、とおぼえ給へば、奥深く入給を、「さもあまりにもおはします物か
な。御心ざしのほどもあはれまさるおりにこそ侍めれ。ほのかにも、聞こえ給
はんことも聞かせ給へ。しみつかんことのやうにおぼしめしたるこそ」など言
ふに、いとはしたなくおぼゆ。おはせぬよしを言へど、昼の使の、一所など問
ひ聞きたるなるべし。いと言多くうらみて、「御声も聞き侍らじ。たゞけ近く
て聞こえんことを、聞きにくしともいかにともおぼしことはれ」とよろづに言
ひわびて、「いと心うく。所につけてこそ、物のあはれもまされ。あまりかゝ
るは」などあはめつゝ、
「山里の秋の夜ふかきあはれをももの思ふ人はこそ知れ
をのづから御心も通ひぬべきを」などあれば、「尼君おはせで、紛はしきこゆ
べき人も侍らず、いと世づかむやうならむ」とせむれば、
憂物と思もしらですぐす身を物おもふ人と人は知りけり
わざといらへともなきを、聞きて伝へきこゆれば、いとあはれと思て、「猶
たゞいさゝか出で給へと聞こえ動かせ」と、この人々をわりなきまでうらみ

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給。「あやしきまで、つれなくぞ見え給や」とて、入りて見れば、例はかりそめ
にもさしのぞき給はぬ老人の御方に入り給にけり。あさましう思て、かくなん
と聞こゆれば、「かゝる所にながめ給らん心のうちのあはれに、大方のありさ
まなどもなさけなかるまじき人の、いとあまり思知らぬ人よりも、けにもて
なし給めるこそ。それ物懲りし給へるか。猶いかなるさまに世をうらみて、い
つまでおはすべき人ぞ」などありさま問ひて、いとゆかしげにのみおぼいたれ
ど、こまかなることば、いかでかは言ひ聞かせん、たゞ、「知りきこえ給べき
人の、年比はうとうとしきやうにて過ぐし給しを、初瀬に詣であひ給て、尋
きこえ給つる」とぞ言ふ。
姫君は、いとむつかしとのみ聞く老い人のあたりにうつぶしふして、寝も寝
られず。よひまどひば、えもいはずおどろおどろしきいびきしつゝ、前にもうち
すがひたる尼ども二人臥して、をとらじといびきあはせたり。いとおそろしう、
こよひこの人々にや食はれなんと思ふも、おしからぬ身なれど、例の心よはさ
は、一つ橋あやうがりて帰り来たりけん物のやうに、わびしくおぼゆ。こもき、
供に率ておはしつれど、色めきて、このめづらしきおとこの艶だちゐたる方に

P360

帰りゐにけり。いまや来る、今や来ると待ゐたまへれど、いとはかなき穎もし人な
りや。
中将、言ひわづらひて帰りにければ、「いとなさけなく、埋もれてもおはし
ますかな。あたら御かたちを」など譏りて、みな一所に寝ぬ。
夜中ばかりにやなりぬらんと思ほどに、尼君しはぶきおぼほれて起きにたり。
火影に、頭つきはいと自きに、黒き物をかづきて、この君の臥し給へる、あや
しがりて、鼬とかいふなる物がさるわざする、額に手を当てて、「あやし、こ
れは誰ぞ」と執念げなる声にて見おこせたる。さらにたゞいま食ひてむとする
とぞおぼゆる、鬼の取りもて来けん程は、物のおぼえざりければ、中中心や
すし。いかさまにせんとおぼゆるむつかしさにも、いみじきさまにて生き返り、
人になりて、又ありし色色のうきことを思ひ乱れ、むつかしともおそろしと
も、物を思ふよ。死なましかばこれよりもおそろしげなる物の中にこそはあら
ましか、と思やらる。
昔よりのことを、まどろまれぬまゝに、常よりも思つゞくるに、いと心うく、
親と聞こえけん人の御かたちも見たてまつらず、遥かなる東をかへるかへる年月

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をゆきて、たまさかに尋寄りて、うれし頼もしと思きこえしはらからの御あ
たりをも思はずにて絶えすぎ、さる方に思さだめ給し人につけて、やうやう身
のうさをも慰めつべききはめに、あさましうもてそこなひたる身を思もてゆけ
ば、宮をすこしもあはれと思ひきこえけん心ぞいとけしからぬ、たゞこの人の
御ゆかりにさすらへぬるぞと思へば、小島の色をためしに契給しを、などて
おかしと思きこえけんと、こよなく飽きにたる心ちす。はじめより、薄きなが
らものどやかに物し給し人は、このおりかのおりなど思ひ出づるぞこよなかり
ける。かくてこそありけれと聞きつけられたてまつらむはづかしさは、人より
まさりぬべし、、さすがにこの世には、ありし御さまを、よそながらだにいつか
見んずるとうち思、猶わろの心や、かくだに思はじなど、心ひとつをかへさふ。
からうして鳥の鳴くを聞きて、いとうれし。母の御声を聞きたらむは、まし
ていかならむと思明かして、心ちもいとあし。供にてわたるべき人もとみに
来ねば、猶臥し給つるに、いびきの人はいととく起きて、粥などむつかしき
ことどもをもてはやして、「御前にとくきこしめせ」など寄り来て言へど、ま
かなひもいとゞ心づきなく、うたて見知らぬ心ちして、「なやましくなん」と

P362

ことなしび給を、しひて言ふもいとこちなし。
下種下種しきほうしばらなどあまた来て、「僧都、けふ下りさせ給べし」。
「などにはかには」と問ふなれば、「一品宮の御物のけに悩ませ給ける、山の
座主御すほう仕まつらせ給へど、猶僧都まいらせ給はでは験なしとて、昨日
二たびなん召し侍し。右大臣殿の四位の少将、よべ夜ふけてなん登りおはしま
して、后の宮の御文など侍けば、下りさせ給なり」など、いとはなやかに言
ひなす。はづかしうとも、あひて尼になし給てよと言はん、さかしら人少なく
てよきおりにこそと思へば、起きて、「心ちのいとあしうのみ侍を、僧都の下
りさせ給へらんに、忌むこと受け侍らんとなむ思侍を、さやうに聞こえ給へ」
と語らひ給へば、ほけほけしう打うなづく。
例の方におはして、髪は尼君のみ梳り給を、こと人に手触れさせんもうたて
おぼゆるに、手づからはたえせぬことなれば、たゞすこしとき下して、親に今
一たびかうながらのさまを見えずなりなむこそ、人やりならずいとかなしけれ。
いたうわづらひしけにや、髪もすこし落ち細りたる心ちすれど、何ばかりも衰
へず、いと多くて、六尺ばかりなる末などぞいとうつくしかりける。筋なども

P363

いとこまかに、うつくしげなり。「かゝれとてしも」とひとりごちゐ給へり。
暮れ方に、僧都ものし給へり。南面払ひしつらひて、まろなる頭つき行き
ちがひさはぎたるも、例に変はりていとおそろしき心ちす。母の御方にまいり
給て、「いかにぞ、月此は」など言ふ。「東の御方は物詣でし給にきとか。

このおはせし人は、なをものし給や」など問ひ給。「しか。こゝにとまりてな
ん。心ちあしとこそ物し給て、忌むこと受けたてまつらんとの給つる」と語る。
立ちてこなたにいまして、「こゝにやおはします」とて、き丁のもとについ
ゐ給へば、つゝましけれど、ゐざり寄りていらへし給。「不意にて見たてまつ
りそめてしも、さるべき昔の契ありけるにこそと思給へて、御祈りなどもね
んごろに仕うまつりしを、ほうしはその事となくて御文聞こえうけ給はらむも
便なければ、自然になんをろかなるやうになり侍ぬる。いとあやしきさまに、
世を背き給へる人の御あたり、いかでおはしますらん」との給。「世中に侍ら
じと思たち侍し身の、いとあやしくていままで侍つるを、心うしと思侍物か
ら、よろづにせさせ給ける御心ばえをなむ、言ふかひなき心ちにも思給へ知
らるゝを、猶世づかずのみ、つゐにえとまるまじく思給へらるゝを、尼にな

P364

させ給てよ。世中に侍とも、例の人にてながらふべくも侍らぬ身になむ」と聞
こえ給。
「まだいと行く先とをげなる御程に、いかでか、ひたみちにしかはおぼし
たゝむ。かへりて罪ある事也。思立て、心を起こし給ほどは強くおぼせど、年
月経れば、女の御身といふ物いとたいだいしき物になん」とのたまへば、「幼
く侍しほどより、物をのみ思べき有さまにて、親なども尼になしてや見ましな
どなむ思の給し。まして、すこしもの思知りて後は、例の人ぎまならで、
後の世をだにと思心深かりしを、亡くなるべき程のやうやう近くなり侍にや、
心ちのいとよはくのみなり侍を、猶いかで」とて、うち泣きつゝの給。
あやしく、かゝるかたちありさまを、などて身をいとはしく思はじめ給けん、
物のけもさこそ言ふなりしか、と思あはするに、さるやうこそはあらめ、いま
までも生きたるべき人かは。あしき物の見つけそめたるに、いとおそろしくあ
やうきことなりとおぼして、「とまれかくまれ、おぼしたちての給を、三宝の
いとかしこくほめ給こと也、ほうしにて聞こえ返すべきことにあらず。御忌む
ことは、いとやすく授けたてまつるべきを、急なることにまかんでたれば、こ

P365

よひかの宮にまいるべく侍り。あすよりや御すほう始まるべく侍らん。七日は
ててまかでむに仕まつらむ」との給へば、かの尼君おはしなば、かならず言ひ
さまたげてんといとくちおしくて、「乱り心ちのあしかりし程に、乱るやうに
ていと苦しう侍れば、をもくならば、忌むことかひなくや序らん。猶けふはう
れしきおりとこそ思ひ侍れ」とて、いみじう泣き給へば、聖心にいといとおし
く思て、「夜やふけ侍ぬらん。山より下り侍こと、昔はことともおぼえ給はざ
りしを、年の生うるまゝには、耐へがたく侍ければ、うち休みて内にはまいら
んと思侍を、しかおぼし急ぐことなれば、けふ仕うまつりてん」との給に、
いとうれしくなりぬ。
鋏とりて、櫛の箱の蓋さし出でたれぱ、「いづら、大徳たち。こゝに」と呼
ぶ。はじめ見つけたてまつりし二人ながら、供にありければ、呼び入れて、
「御髪おろしたてまつれ」と言ふ。げにいみじかりし人の御有さまなれば、う
つし人にては、世におはせんもうたてこそあらめと、この阿閣梨もことはりに
思に、き丁の帷子のほころびより、御髪をかき出だし給つるが、いとあた
らしくおかしげなるになむ、しばし鋏をもてやすらひける。

P366

かゝるほど、少将の尼は、せうとの阿闍梨の来たるに、あひて、下にゐたり。
左衛門は、この私の知りたる人にあいしらふとて、かゝる所にとりては、みな
とりどりに、心寄せの人々めづらしうて出で来たるにはかなき事しける、見入
れなどしけるほどに、こもき独して、かゝることなんと少将の尼に告げたりけ
れば、まどひて来て見るに、わが御上の衣、袈裟などをことさら許とて着せた
てまつりて、「親の御方おがみたてまつり給へ」と言ふに、いづ方とも知らぬ
ほどなむ、え忍びあへ給はで泣き給にける。「あなあさましや。などかくあふ
なきわざはせさせ給。上、帰りおはしては、いかなることをの給はせむ」と言
へど、かばかりにしそめつるを、言ひ乱るも物しと思て、僧都諫め給へば、寄
りてもえ妨げず。「流転三界ちう」など言ふにも、断ちはててし物をと思出
づるもさすがなりけり。御髪もそぎわづらひて、「のどやかに、尼君たちして
なをさせ給へ」と言ふ。額は僧都ぞそぎ給。「かゝる御かたちやつし給て、悔
ひ給な」などたうときことども説き聞かせ給。とみにせさすべくもあらず、
みな言ひ知らせ給へることを、うれしくもしつるかなと、これのみぞ仏は生け
るしるしありてとおぼえ給ける。

P367

みな人々、出でしづまりぬ。夜の風のをとに、この人々は、「心ぼそき御住ま
ひもしばしの事ぞ。今いとめでたくなり給なんと頼みきこえつる御身を、かく
しなさせ給て、残り多かる御世の末を、いかにせさせ給はんとするぞ。老ひ
衰へたる人だに、今は限りと思はてられて、いとかなしきわざに侍」と言ひ
知らすれど、猶たゞ今は、心やすくうれし、世に経べき物とは思かけずなりぬ
るこそはいとめでたきことなれと、胸のあきたる心ちぞし給ける。
つとめては、さすがに人のゆるさぬことなれば、変はりたらむさま見えんも
いとはづかしく、髪の裾のにはかにおほとれたるやうに、しどけなくさへそが
れたるを、むつかしきことゞも言はず、つくろはん人もがなと、何事につけても
つゝましくて、暗うしなしておはす。思ふ事を人に言ひつゞけん言の葉は、も
とよりだにはかばかしからぬ身を、まいてなつかしうことはるべき人さへなけ
れば、たゞ硯に向かひて、思あまるおりには、手習をのみたけきこととは書き
つけ給。
亡きものに身をも人をも思つゝ捨てし世をぞさらに捨てつる
今は、かくて限りつるぞかし。

P368

と書きても、猶身づからいとあはれと見たまふ。
かぎりぞと思なりにし世間を返返もそむきぬるかな
おなじ筋のことを、とかく書きすさびゐ給へるに、中将の御文あり。物さは
がしうあきれたる心ちしあへる程にて、かゝることなど言ひてけり。いとあへ
なしと思て、かゝる心の深くありける人なりければ、はかなきいらへをもしそ
めじと思離るゝ成けり、さてもあへなきわざかな、いとおかしく見えし髪の
ほどを、たしかに見せよ、と一夜も語らひしかば、さるべからむおりにと言ひ
しものをと、いとくちおしうて、立かへり、
聞こえん方なきは、 
岸遠く漕はなるらむあま舟に乗をくれじといそがるゝかな
例ならず取りて見給。物のあはれなるおりに、いまはと思もあはれなる物か
ら、いかゞおぼさるらん、いとはかなきものの端に、
心こそうき世の岸をはなるれど行ゑも知らぬあまのうき木を
と、例の手習にし給へるを包みてたてまつる。「書き写してだにこそ」との給
へど、「中中書きそこなひ侍なん」とてやりつ。めづらしきにも、言ふ方な

P369

くかなしうなむおぼえける。
物詣での人帰り給て、思さはき給こと限りなし。「かゝる身にては、すゝめ
きこえんこそはと思なし侍れど、残り多かる御身を、いかで経たまはむとすら
む。をのれは世に侍らんこと、けふあすとも知りがたきに、いかでうしろやす
く見たてまつらむと、よろづに思給へてこそ、仏にも祈きこえつれ」と、臥
しまろびつゝ、いといみじげに思給へるに、まことの親の、やがて骸もなき
物と思まどひ給けんほど推しはからるゝぞ、まづいとかなしかりける。例のい
らへもせで背きゐ給へるさま、いと若くうつくしげなれば、いと物はかなくぞ
おはしける御心なれど、泣く泣く御衣のことなどいそぎ給。鈍色は手馴れにし
ことなれば、小袿、袈裟などしたり。ある人々も、かゝる色を縫い着せたてま
つるにつけても、「いとおぼえず、うれしき山里の光と明け暮れ見たてまつり
つる物を、口おしきわざかな」と、あたらしがりつゝ、僧都をうらみ譏りけり。
一品宮の御なやみ、げにかの弟子の言ひしもしるく、いちしるきことども
ありて、をこたらせ給にければ、いよいよいとたうとき物に言ひのゝしる。名
残もおそろしとて、御すほう延べさせ給へが、とみにもえ帰り入らでさぶらひ

P370

給に、雨など降りてしめやかなる夜、召して夜居にさぶらはせ給。日ごろい
たうさぶらひ極じたる人はみな休みなどして、御前に人少なにて、近く起きた
る人少なきおりに、おなじ御丁におはしまして、「昔より頼ませ給中にも、
此たびなん、いよいよ後の世もかくこそはと頼もしきことまさりぬる」など
の給はす。「世の中に久しうはべるまじきさまに、仏なども教へ給へることど
も侍るうちに、ことし来年過ぐしがたきやうになむ侍れば、仏を紛れなく念じ
勤め侍らんとて、深く籠り侍を、かゝる仰せ言にてまかり出で侍にし」など啓
し給。
御ものゝけの執念きことを、さまざまに名のるがおそろしきことなどの給
つゐでに「「いとあやしう、希有のことをなん見給へし。この三月に、年老て
侍母の願有て、初瀬に詣でて侍しかへさの中宿りに、宇治の院といひ
侍所にまかり宿りしを、かくのごと、人住まで年経ぬる大きなる所は、よか
らぬ物かならず通ひ住みて、重き病者のためあしき事どもと思給へしもしる
く」とて、かの見っけたりしことどもを語りきこえ給。「げにいとめづらかな
ることかな」とて、近くさぶらふ人々みな寝入りたるを、おそろしくおぼされ

P371

て、おどろかさせ給。大将の語らひ給さい将の君しも、このことを聞きけり。
おどろかさせ給人々は、何とも聞かず。僧都、おぢさせ給へる御けしきを、
心もなきこと啓してけりと思て、くはしくもその程のことをば言ひさしつ。
「その女人、このたびまかり出で侍つるたよりに、小野に侍つる尼どもあひと
ひ侍らんとてまかり寄りたりしに、泣く泣く出家の心ざし深きよし、ねん比に
語らひ侍しかば、頭おろし侍にき。なにがしがいもうと、故衛門の督の妻に
侍し尼なん、亡せにし女子の代わりにと、思よろこび侍て、随分にいたはり
かしづき侍けるを、かくなりたれば、うらみ侍なり。げにぞ、かたちはいとう
るはしくけうらにて、をこなひやつれんもいとおしげになむ侍し。何人にか
侍けん」と、ものよく言ふ僧都にて、語りつゞけ申給へば、「いかでさる所
に、よき人をしもとりもて行きけん。さりとも、今は知られぬらむ」など、こ
の宰相の君ぞ間ふ。「知らず。さもや語らひ給らん。まことやむごとなき人
ならば、何か、隠れ侍らじをや。ゐ中人のむすめも、さるさましたるこそおは
侍らめ。りうの中より仏生まれ給はずはこそ侍らめ、たゞ人にてはいと罪え
きさまの人になん侍ける」など聞こえ給。

P372

そのころ、かのわたりに、消え失せにけむ人をおぼし出づ。この御前なる人
も、姉の君の伝へに、あやしくて失せたる人とは聞きをきたれば、それにやあ
らんとは思けれど、定めなきこと也、僧都も、「かゝる人、世ににある物とも知
られじと、よくもあらぬかたきだちたる人もあるやうておもむけて、隠し忍
侍を、事のさまのあやしければ啓し侍なり」と、なま隠すけしきなれば、人
にも語らず。宮ば、「それにもこそあれ、大将に聞かせばや」と、此人にぞの
給はすれど、いづ方にも隠すべきことを、定めてさならむと知らずながら、
はづかしげなる人に、うち出での給はせむもつゝましくおぼして、やみにけり。
姫宮をこたりはてさせ給て、僧都も登りぬ。かしこに寄り給へれば、いみじ
ううらみて、「中中、かゝる御ありさまにて罪も得ぬべきことを、の給も
あはせずなりにけることをなむ。いとあやしき」などの給へど、かひもなし。
「今は、たゞ御をこなひをし給へ。老いたる、若き、定めなき世なり。はかな
き物におぼしとりたるも、ことはりなる御身をや」との給にも、いとはづかし
うなむおぼえける。「御ほうぶくあたらしくし給へ」とて、綾、薄物、絹など
いふ物たてまつりをき給。「なにがしが侍らんかぎりは、仕うまつりなん。何

P373

かおぼしわづらふべき。常の世に生い出でて、世問のゑいぐわに願ひまつは
るゞかぎりなん、所せく捨てがたく、われも人もおぼすべかめることなめる。
かゝる林の中にをこなひ勤め給はん身は、何ごとかはうらめしくもはづかしく
もおぼすべき、。このあらん命は、葉の薄きが如し」と言ひ知らせて、「松門に
暁到りて月徘徊す」と、ほうしなれど、いとよしよししくはづかしげなるさ
まにての給ことどもを、思やうにも言ひ聞かせ給かな、と聞きゐたり。
けふは、ひねもすに吹く風の音もいと心ぼそきに、おはしたる人も、「あは
れ、山臥はかゝる日にぞ、音は泣かるなるかし」と言ふを聞きて、我も今は山
臥ぞかし、ことはりにとまらぬ涙なりけり、と思つゝ、端の方に立出でて見
れば、遥かなる軒端より、狩衣姿色色に立まじりて見ゆ。山へ登る人なりとて
も、こなたの道には、通ふ人もいとたまさかなり。黒谷とかいふ方よりありく
ほうしの跡のみ、まれまれは見ゆるを、例の姿見つけたるは、あひなくめづら
しきに、このうらみわびし申将なりけり。かひなきことも言はむとて物したり
けるを、紅葉のいとおもしろく、ほかの紅に染めましたる色々なれば、入り来
るよりぞ物あはれなりける。こゝに、いと心ちよげなる人を見つけたらば、あ

P374

やしくぞおぼゆべき、など思て、「暇ありて、つれんづれなる心ちし侍に、紅葉
もいかにと思給へてなむ。猶立かへりて旅寝もしつべき木のもとにこそ」と
て、見出だし給へり。尼君、例の涙もろにて、
木枯の吹にし山のふもとには立かくすべきかげだにぞなき
との給へば、
待人もあらじとおもふ山里の梢を見つゝ猶ぞ過うき
言ふかひなき人の御事を、なをつきせずの給て、「さま変わり給へらんさま
を、いさゝか見せよ」と、少将の尼にの給。「それをだに、契りししるしにせ
よ」とせめ給へば、入りて見るに、ことさら人にも見せまほしききましてぞお
はする。薄き鈍色の綾、中にば萱草など澄みたる色を着て、いとさゝやかに、
やうだひおかしく、いまめきたるかたちに、髪は五重の扇を広げたるやうにこ
ちたき末つき也。こまかにうつくしき面様の、化粧をいみじくしたらむやうに、
あかくにほひたり。をこなひなどをしたまふも、猶数珠は近き几帳にうち掛
けて、経に心を入れて読み給へるさま、絵にもかゝまほし。うち見るごとに涙
のとめがたき心ちするを、まいて心かけ給はんおとこは、いかに見たてまつり

P375

給はんと思て、さるべきおりにや有けむ、障子の掛け金のもとにあきたる穴を
教へて、紛るべき木丁など押しやりたり。いとかくは思はずこそ有しか、いみ
じく思さまなりける人をと、我したらむあやまちのやうに、おしくくやしうか
なしければ、つゝみもあへず、物ぐるはしきまでけはひも聞こえぬべければ、
退きぬ。
かばかりのさましたる人を失ひて、尋ねぬ人ありけんや、又その人かの人の
むすめなん行ゑも知らず隠れにたる、もしは物えんじして世を背きにけるな
ど、をのづから隠れなかるべきをなど、あやしう返返思。尼なりとも、
かゝるさましたらむ人は、うたてもおぼえじなど、中中見所まさりて、心ぐる
しかる、へきを、忍びたるさまに猶語らひとりてんと思へば、まめやかに語ら
ふ。「世の常のさまにはおぼし憚ることも有けんを、かゝるさまになり給にた
るなん、心やすう聞こえつべく侍。さやうに教へきこえ給へ。来し方の忘れが
たくて、かやうにまいり来るに、又今ひとつ心ざしを添へてこそ」などの給。
「いと行末心ぼそく、うしろめたき有さまに侍に、まめやかなるさまにおぼ
し忘れずとはせ給はん、いとうれしうこそ思給へをかめ。侍らざらむ後なん、

P376

あはれに思給へらるべき」とて、泣き給に、この尼君も離れぬ人なるべし、
誰ならむと心得がたし。「行末の御後見は、命も知りがたく頼もしげなき身な
れど、さ聞こえそめ侍なれば、さらに変はり侍べらじ。尋きこえ給べき人は、
まことにものし給はぬか、さやうのことのおぼつかなきになん、憚るべきこと
には侍らねど、なを隔てある心ちし侍べき」との給へば、「人に知らるべきさ
まにて世に経たまはば、さもや尋出づる人も侍らん。今は、かゝる方に思き
りつる有さまになん。心のおもむけもさのみ見え侍つるを」など語らひ給。
こなたに消息し給へり。
大かたの世を背きける君なれど厭ふによせて身こそつらけれ
ねん比に深く聞こえ給ことなど言ひ伝ふ。「はらからとおぼしなせ。はかなき
世の物語りなども聞こえて慰めむ」など言ひつゞく、。「心ふかからむ御物語り
など、聞きわくべくもあらぬこそ口おしけれ」といらへて、この厭ふにつけた
るいらへはし給はず。
思寄らずあさましきこともありし身なれば、いとうとまし、すべて朽木な
どのやうにて、人に見捨てられてやみなむともてなし給。されば、月ごろたゆ

P377

みなく結ぼほれ、物をのみおぼしたりしも、この本意の事し給てよりのち、す
こしはればれしうなりて、尼君とはかなくたはぶれもしかはし、五打ちなどし
てぞ明かし暮らし給。をこなひもいとよくして、法華経はさら也、ことほうも
んなども、いと多く読み給。雪深く降り積み、人目絶えたる比ぞ、げに思やる
方なかりける。
年もかへりぬ。春のしるしも見えず、凍りわたれる水の音せぬさへ心ぼそく
て、「君にぞまどふ」との給し人は、心うしと思はてにたれど、猶そのおりな
どのことは忘れず。
かきくらす野山の雪をながめてもふりにしことぞけふもかなしき
など、例の慰めの手習を、おこなひのひまにはし給。われ世になくて年隔たり
ぬるを、思出づる人もあらむかしなど、思出る時も多かり。若菜をおろそか
なる籠に入れて、人の持て来たりけるを、尼君見て、
山里の雪間の若菜つみばやし猶おいさきの頼まるゝかな
とて、こなたにたてまつれ給へりければ、
雪ふかき野辺の若菜も今よりは君がためにぞ年もつむべき

P378

とあるを、さぞおぼすらんとあはれなるにも、見るかひ有べき御さまと思はま
しかばと、まめやかにうち泣い給。
閨のつま近き紅侮の色も香も変はらぬを、春や昔のと、こと花よりもこれに
心寄せのあるは、飽かざりし匂ひのしみにけるにや。後夜に閼伽奉らせ給。
げらうの尼のすこし若きがある召し出でて、花おらすれば、かことがましく散
るに、いとゞ匂ひ来れば、
袖ふれし人こそ見えね花の香のそれかとにほふ春の明ぼの
大尼君の孫の紀伊の守なりける、この比上りて来たり。三十ばかりにて、
かたちきよげに誇りかなるさましたり。「何ごとか、こぞおとゝし」など問に、
ほけほけしきさまなれば、こなたに来て、「いとこよなくこそひがみ給にけれ。
あはれにもはべるかな。残りなき御さまを見たてまつることかたくて、とをき
程に年月を過ぐし侍よ。親たち物し給はで後は、一所をこそ御かはりに思きこ
え侍つれ。常陸の北の方はをとづれきこえ給や」と言ふは、いもうとなるべし。
「年月に添へては、つれづれにあはれなることのみまさりてなむ。常陸ば久し
うをとづれきこえ給はざめり。え待つけ給まじきさまになむ見え給」との

P379

給に、わが親の名とあひなく耳とまれるに、又言ふやう、「まかり上りて日
比になり侍ぬるを、公事のいとしげく、むつかしうのみ侍に、かゝづらひてな
ん。きのふもさぶらはんと思給へしを、右大将殿の宇治におはせし御供に仕
うまつりて。故八の宮の住み給し所におはして、日暮らし給し。故宮の御むす
めに通ひ給しを、まづ一所は一年亡せ給にき。その御おとうと、又忍て据へ
たてまつり給へりけるを、こぞの春、又亡せ給にければ、その御はてのわざせ
させ給はんこと、かの寺の律師になん、さるべきことの給はせて、なにがしも、
かの女の装束一くだり調じ侍べきを、せさせ給てんや。をらすべき物はいそぎ
せさせ侍春ん」と言ふを聞に、いかでかあはれならざらむ。人やあやしと見む
とつゝましうて、奥にむかひてゐ給へり。尼君、「かの聖の親王の御むすめは、
二人と聞きしを、兵部卿宮の北の方は、いづれぞ」との給へば、「この大将
殿の御後のは劣り腹なるべし。ことことしうももてなし給はざりけるを、いみ
じうかなしび給ふなり。はじめの、はた、いみじかりき。ほとほと出家もし
給つべかりきかし」など語る。
かのわたりの親しき人なりけり、と見るにも、さすがおそろし。「あやしく、

P380

やうの物と、かしこにてしも亡せ給けること。きのふもいと不便に侍しかな。
河近き所にて、水をのぞき給て、いみじう泣き給き。上にのぼり給て、柱に書
きつけ給し、
見し人は影もとまらぬ水の上に落そふ涙いとゞせきあへず
となむ侍し。言にあらはしての給ことは少なけれど、たゞ気色にはいとあはれ
なる御さまになん見え給し。女は、いみじくめでたてまつりぬべくなん。はか
く侍し時より、優におはしますと見たてまつりしみにしかば、世中の一の所も
何とも思侍らず、たゞこの殿を頼みきこえてなん過ぐし侍ぬる」と語るに、
ことに深き心もなげなるかやうの人だに、御有さまは見知りにけりと思。尼
君、「光君と聞こえけん故院の御有さまにば並び給はじとおぼゆるを、たゞ今
の世に、この御族ぞめでられ給なる。右の大殿と」との給へば、「それば、か
たちもいとうるはしうけうらに、宿徳にて、際ことなるさまぞし給へる。兵部
卿宮ぞいとみじうおはするや。女にて馴れ仕うまつらばやとなんおぼえ侍」
など、教へたらんやうに言ひつゞく。あはれにもおかしくも聞に、身の上もこ
の世のことともおぼえず。とゞこほることなく語りをきて出ぬ。

P381

忘給はぬにこそはとあはれに思にも、いとゞ母君の御心のうちをしはから
るれど、中中言ふかひなきさまを見えきこえたてまつらむは、猶つゝましく
ぞ有ける。かの人の言ひつけし事どもを、染めいそぐを見るにつけても、あや
しうめづらかなる心ちすれど、かけても言ひ出でられず。裁ち縫いなどするを、
「これ御覧じ入れよ。物をいとうつくしうひねらせ給へば」とて、小袿の単衣
たてまつるを、うたておぼゆれば、心ちあしとて手も触れず臥し給へり。尼君、
急ぐことをうち捨てて、いかゞおぼさるゝなど思乱れ給。紅に桜のをり物
の袿重ねて、「御前にはかゝるをこそたてまつらすべけれ。あさましき墨染な
りや」と言ふ人あり。
尼衣かはれる身にやありし世のかたみに袖をかけてしのばん
と書きて、いとおしく、亡くもなりなん後に、物の隠れなき世なりければ、聞
きあはせなどして、うとましきまでに隠しけるなどや思はんなど、さまざま
思つゝ、「過にし方のことは、絶えて忘れ侍にしを、かやうなることをおぼ
しいそぐにつけてこそ、ほのかにあはれなれ」とおほどかにの給。「さりとも、
おぼし出づることは多からんを、尽きせず隔て給こそ心うけれ。身にはかゝる

P382

世の常の色あひなど、久しく忘れにければ、なをなをしく侍つけても、昔の
人あらましかばなど思出侍る。しかあつかひきこえ給けん人、世におはすら
ん。やがて亡くなしてみ侍しだに、猶いづこにあらむ、そことだに尋聞かま
ほしくおぼえ時を、行ゑ知らで、思ひきこえ給人々侍らむかし」との給へば、
「見し程までは、一人は物し給き。この月比亡せやし給ぬらん」とて、涙の
落つるをまぎらはして、「中中思出るにつけて、うたて侍ればこそ、え聞こ
え出ね。隔ては何ごとにか残し侍らむ」と、言少なにの給なしつ。
大将は、この果てのわざなどせさせ給て、はかなくてやみぬるかなとあはれ
におぼす。かの常陸の子どもは、かうぶりしたりしは蔵人になして、わが御
司の将監になしなど、いたはり給けり。童なるが、中にきよげなるをば、近く
使ひ馴らさむとぞおぼしたりける。
雨など降りてしめやかなる夜、きさひの宮にまいり給へり。御前のどやかな
る日にて、御物語りなど聞こえ給つゐでに、「あやしき山里に年ごろまかり通
ひ見給へしを、人の譏り侍しも、さるべきにこそばあらめ、誰も心の寄る方の
ことはさなむあると思給へなしつゝ、箇時々見たまへしを、所のさがにやと

P383

心うく思給へなりにし後は、道も遥けき心ちし侍て、久しう物し侍らぬを、
先つ比、物のたよりにまかりて、はかなき世の有さまとり重て思給へしに、
ことさら道心おこすべく造りをきたりける聖の栖となんおぼえ侍し」と啓し
給に、かのことおぼし出でていといとおしければ、「そこにはおそろしき物
や住むらん。いかやうにてか、彼人は亡くなりにし」と問はせ給ふを、なを
つゞきをおぼし寄る方と思て、「さも侍らん。さやうの人離れたる所は、よか
らぬ物なんかならず住みつき侍を、亡せ侍にしさまもなんいとあやしく侍る」
とて、くはしくは聞こえ給ばず。猶かく忍ぶる筋を聞きあらはしけりと思給
はんがいとおしくおぼされ、宮の物をのみおぼして、その比はやまゐになり
給しをおぼしあはするにも、さすがに心ぐるしうて、かたがたに口入れにく
き人の上とおぼしとゞめつ。
小宰相に、忍びて、「大将、かの人のことを、いとあはれと思ての給しに、
いとおしうてうち出でつべかりしかど、それにもあらざらむ物ゆへとつゝまし
うてなん。君ぞ、ことごと聞きあはせける。かたはならむことは、とり隠して
さることなんありけると、大方の物語のついでに、僧都の言ひしことを語れ」

P384

との給はす。「御前にだにつゝませ給はむことを、ましてこと人はいかでか」
と聞こえさすれど、「さまざまなることにこそ。又まろはいとおしきことぞあ
るや」とのたまはするも、心得て、おかしと見たてまつる。
立寄りて物語りなどし給ふつゐでに、言ひ出でたり。めづらかにあやしと、
いかでかおどろかれ給はざらむ。宮の問はせ給いしも、かゝることをほのおぼ
し寄りてなりけり、などかのたまはせはつまじき、とつらけれど、われも又は
じめよりありしさまのこと聞こえそめざりしかば、聞きて後も猶おこがまし
き心ちして、人にすべて漏らさぬを、中中外には聞こゆることもあらむかし、
うつゝの人々の中に忍ることだに隠れある世の中かは、など思入りて、此人
にもさなむありしなど明かし給はんことは、猶口をもき心ちして、「猶あやし
と思し人のことに、似ても有ける人のありさまかな。さて其人は猶あらんや」
との給へば、「かの僧都の山より出でし日なむ、尼になしつる。いみじうわづ
らいし程にも、見る人おしみてせさせぎりしを、正身の本意深きよしを言ひて
なりぬるとこそ侍なりしか」と言ふ。
所も変はらず、そのころの有さまと思あはするにたがふふしなければ、まこ

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とにそれと尋出でたらん、いとあさましき心ちもすべきかな、いかでかはた
しかに聞くべき、下り立ちて尋ありかんもかたくなしなどや人言ひなさん、又、
彼宮も聞きつけ給へらんには、かならずおぼし出でて、思入りにけん道も妨
げ給てんかし、さて、さなの給いそなど聞こえをき給ければや、われにはさる
ことなん聞きしと、さるめづらしきことを聞こしめしながら、の給はせぬにや
ありけん、宮もかゝづらひ給ふにては、いみじうあはれと思ながらも、さらに
やがて亡せにし物と思なしてをやみなん、うつし人になりて、末の世には、黄
なる泉のほとりばかりを、おのづから語らひ寄る風の紛れもありなん、我もの
にとり返しみんの心ち又つかはじなど、思乱れて、猶のたまはずやあらんと
おぼゆれど、御けしきのゆかしければ、大宮にさるべきつゐでつくり出だして
ぞ啓し給。
「あさましうて失ひ侍ぬと思給へし人、世に落ちあぶれてあるやうに、人
のまねび侍しかな。いかでかさることは侍らんと思ひ給れど、心とおどろおどろ
しうもて離るゝことは侍らずやと、思わたり侍人のありさまにはべれば、人
の語り侍べしやうにては、さるやうもや侍らむと、似つかはしく思給へら

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るゝ」とて、今すこし聞こえ出で給。宮の御事を、いとはづかしげに、さすが
にうらみたるさまには言ひなし給はで、「かのこと、またさなんと聞きつけ給 
へらば、かたくなにすきずきしうもおぼされぬべし。更に、さてありけりとも
知らず顔にて過くし侍なん」と啓し給へば、「僧都の語りしに、いとものおそ
ろしかりし夜のことにて、耳もとゞめざりしことにこそ。宮はいかでか聞き給
はむ。聞こえん方なかりける御心のほどかなと聞けば、まして聞きつけ給はん
こそいと苦しかるべけれ。かゝる筋につけて、いとかろくうき物にのみ世に知
られ給ぬめれば心うく」などの給はす。いとをもき御心なれば、かならずしも
うちとけ世語りにても、人の忍て啓しけんことを漏らさせ給はじなどおぼす。
住むらん山里はいづこにかはあらむ、いかにしてさまあしからず尋寄らむ、
僧都にあひてこそは、たしかなる有さまも聞きあはせなどして、ともかくも問
ふべかめれなど、たゞ此事を起き臥しおぼす。
月ごとの八日は、、かならずたうときわぎせさせ給へば、薬師仏に寄せたてま
つるにもてなし給つるたよりに、中堂に時時まいり給けり。それより、やが
て横川におはせんとおぼして、かのせうとの童なる率ておはす。その人々には、

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とみに知らせじ、有さまにぞ従はんとおぼせど、うち見む夢の心ちにも、あは
れをも加へむとにやありけん。さすがに、その人とは見つけながら、あやしき
さまに、かたちことなる人のなかにて、うきことを聞きつけたらんこそいみじ
かるべけれと、よろづに道すがらおぼし乱れけるにや。


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